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2012年7月13日 (金)

小田原城開城の日に歩く、後北条の小田原

気がつけばすでに夏。月日の流れる速さに気持ちがついていけないでおりますが・・・

さて、今日13日は、小田原城で秀吉による論功行賞が行われた日です。

サル7月5日は小田原城が開城、つまり、我らが北条が秀吉の下へ降った日でした。422年前のその日に思いを馳せるべく、歴友達と今日もまた小田原を歩いてまいりました。


いや~ 暑かった!sunsweat01

天気予報では夕方から雨が降るとか曇りとか言っていたのに、いつものごとく、日は差し暑いのなんのって。旧暦とはいえ、小氷河期とはいえ、小田原は海の土地。422年前もさぞや暑かったことでしょう。


さて、集結は箱根板橋駅(小田原駅のひとつ隣)!
いざ、参る!rock

(早川口)

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~↑これだけ以前撮った写真~

大構(総構)の一部です。この写真だとそうは見えないですが、住宅街のど真ん中。
明治時代は山縣有朋の側近の屋敷の流水庭園だったとはいえ、二重戸張(ふたえとばり)や、水堀だったと思われる小田原用水から水を引いた細い小川が土塁を囲んでいたのが分かります。

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(松田憲秀屋敷跡)

特にそうという説明板はありませんが「お花畑(おはなばた)」という案内板や石標があります。北条の超々々重臣、松田殿の屋敷跡あたりです。広大だったのでこのあたり一帯とういうイメージですかね。ほぼ全て住宅地です。

松田憲秀は、小田原籠城中に長男の笠原政晴(伊豆郡代の家督を継いでいた)と共に秀吉に内通します。それを、嫡男(次男)の直秀により当主・氏直に密告され(ドヒャー wobbly)、氏直は政晴を成敗!憲秀は、小田原開城後に秀吉より自害を言い渡されるのです。


一方、密告した嫡男の直秀さん。当主・氏直さん達と同じく高野山組となりますが、その後のことは調べておりません。憲秀の弟のご子孫は、後に結城秀康に仕えたようです。

もし、このことが本当だとして(これは後世伝わる話で実はどうだったかは様々な説があります)、松田殿や例えば大道寺殿が悪かったわけではなく、皆、それぞれの立場や考えがあり、最後はそれぞれの道を行ったということだと思うのだよ。


松田屋敷にあった門柱は、なんと今、東京の芝離宮に残されているそうです。私は見たことがありませんが、遠江衆や他の方のコメントで知りました。

芝離宮は江戸時代の小田原城主・大久保家の上屋敷だったところですよね。五代将軍綱吉の「お成り」を仰ぐ際、茶室の柱に使用するために小田原から運んだとのことですわ。


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(北条氏照どの屋敷跡heart01
と、残された史料から想定されるエリアのひとつ。興味ある方は以前のブログ記事をご参照くだされませ。

氏照だけではなく、氏邦も、氏規も、氏堯も、氏房も・・・他所に本拠地とする城はあれど、本城小田原にも当然屋敷を持っていたはずですよね。出戻り(失礼)の山木大方や、一度も嫁がなかった香沼さまの屋敷は分かっていますが、他の方達はそれぞれどのあたりだったのでしょうねえ。

重臣達の屋敷でさえ広大なのですから、一族・ご一家衆ともなれば堀や土塁で囲まれ、その広さもひとつの城ほどはあったことでしょうな。昨今、ご城下で検出されている障子堀を含む堀々も、もしかしたらそれらのお屋敷を囲んでいた堀かもしれません。な~んてね。

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(北条家のホームドクター 田村先生屋敷跡)
といわれているあたり

(山角町)

同じく、北条の超重臣である山角殿の屋敷あった辺りです。「やまかくちょう」という石の案内碑があります。

松田殿の屋敷もそうですが、重臣達の屋敷跡はその後、江戸時代の前大久保・稲葉・後大久保の時も重要な場所でした。それらもここに書きだすと、いつのどこで誰の何か、5W(1Hはない)が脳内がゴシャゴシャになってしまうので、とりあえず北条時代のことだけを書きまする。というか、自分自身がゴシャゴシャ状態で良く分かっとらんばい。


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板橋地蔵尊から見た、総構(そうがまえ)の南西部です。

大構(総構)は、小田原城の内側から見たり堀底を歩いたりはよくしますが、外側から眺めたことはありますか?

板橋あたりからは、総構の圧倒的な壮大さを体感することが出来ます。こちらは石垣山側なので、おサルが見た総構えと同じです。おサル殿下も北条の凄い大構を見て、「な、なんでゃぁも!あれはっ!」と言ったことでしょう。。。

凄いとこを撮ったのですが、写真になるとその凄さが全然出ないので載せるのはやめておきます。本当に凄いですよ。ぜひ一度ご自身の目で、板橋側から凄い総構を見上げてみてくだされ。


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(小田原用水取水口)

小田原用水は「日本最古の上水道」と言われています。箱根芦ノ湖の水を引き込み北条氏康が造ったのが始まりで、早川用水とも呼ばれています。民家の間の非常に狭いところや、民家の真下を流れたりしているんですよ。湿気対策が大変そうね。

天正18年の「仕寄図」にも、早川と分かれて総構え内を流れている‘かわ’と書かれた流れが見えます。


小田原用水。これが難しくてね。江戸時代にも改修されているらしく、また、江戸時代の灌漑用水である荻窪用水と脳内ゴシャゴシャになっておりやして、その上、超方向音痴なもので全体像が把握できておりません。ゆえに、妄想も働かずまだまだブログには書けまへん。

詳しくは、「小田原城待ち歩きガイド」OZZさんをご覧になることをオススメします。


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今のところ小田原城の大構(総構)に2ヶ所しかない、竪掘を登ります。

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といっても、竪掘に沿った石段を登るのです。巨大だねえ。この写真は上から撮りました。下に見えるのが街。左側のフェンスの下、なんだか分かりますか?

JR新幹線の線路なのだよ。

そう、かつては当たり前ですが線路は無く尾根が続いていたのだ。そして、竪掘を登りきると、城内です。

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墓地です・・・


ちゃうちゃう、堀跡です。今は墓地なんですね。ナンマイダー~

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(鉄砲矢場→伝肇寺西→二重戸張)

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(天神山台)
絵図面によると、ここには四角く囲った堀があったようですな・・・ふむ。
皆であることを色々と妄想しました。かなり楽しい妄想でしたheart01。ここには書けないですがね。でも、その考察に1票です。

(外郭新堀土塁)(上二重戸張)
先のブログ記事「新堀見学会ガイドツアー」をご覧いただけると助かりまする。

恒例!
(小峯大掘切東堀・中堀・西堀→南側の堀を覗く→小峯御鐘ノ台→一枚畠→御前曲輪→八幡山大掘切→藤原平→鍛冶曲輪→八幡曲輪)

恒例とはいえ、西堀や南側の堀などはなかなか見られません。こちらも先のブログ記事をご覧くだされ。あれ、書いてないか?一部分は書いた。


さて、こんなところですかねえ。

小田原をご存知の方は、ドびっくり~なさったことと存じます。ええ、歩きに歩きましたとも。以上の他にもたくさんまわりましたが、北条時代か江戸時代かうろ覚えだったり、北条時代でもこちとらの知識がなく妄想が働かなかったところもありますので、また追々。

当初は、天正18年7月5日、北条氏直が弟である氏房を伴って城を出た「渋取口」まで行く予定でしたが、灼熱地獄と時間切れのため、そして、喉が渇いて金色のシュワッ!とした冷たいものbeerが脳に浮かんで、断念しました。


おっと、大事なところを書き忘れておりました。
最後は、7月11日に切腹した北条氏政&氏照兄弟のお墓参りです。

政&照兄弟は、二人で一人。照どのの病を「怖い」と心配していた政さんのお手紙がありましたね。照どのは籠城中に体調が悪化し田村安栖先生の屋敷で臥せっていたのではという説もあります。


一枚岩を保ってきた北条一族も後半はだいぶ亀裂がはいっていましたが、政&照兄弟は、最後まで二人三脚でむずかしい時代の北条一門を強引に率いてきたのですね。

「照どの、兄上さま。我らが必ず小田原北条の名誉挽回をいたしますぞ!」
合掌・・・


beer で、帰りどこでビールを飲んだかって?

駅前の鈴廣さん2階ラウンジ「箱根ビールバー」です。

夏季限定で箱根ビール一杯、300円!一口グラスじゃあないですよ。ちゃんとしたピルスナーグラスです。ビールは、ビルスと日替わりでエール、ヴァイツェン、おだわらレモンがあります。

箱根ビールって美味しいんですねえ。私は、ビールはあまり飲みませんが、それでも夏は少し飲みたくなります。米・コーンスターチが入った、くだんの某日本のビール会社のビールが好きなため、地ビールというのは美味しくないと思っていました。ところが、箱根ビールはけっこうイケますな。


ビールを注文すると、鈴廣さんのカマボコが付いてきます。 これが、けっこう量があるんですよ。

途中から、昼間お仕事だった小田原衆が一人加わりまして、興味深いあんな話やこんな話をしているうちにビールをお代わり。お代わりするたびに、また違う種類のカマボコ。またカマボコ、またカマボコ(@_@)。カマボコ星人になりそうでした~。

「箱根ビールバー」は、
平日の 16:00~19:00。
8/31までなり。


よろしくば、以下。

「小田原城三の丸外郭「新堀」ガイドツアー」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-f9c7.html
「小田原衆と歩く、総構えの北と西」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-31ae.html
「北条氏照の小田原奥州屋敷」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-ea40.html
「もし今日、小田原城が落ちなかったら」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-9cc7.html


ほな。


cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は、マリコ・ポーロが撮影したものです。

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