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2012年8月20日 (月)

小田原城、戦国の御主殿クラスの建物跡(2012.8.20)

真夏昼
それは白昼夢の様に目の前に広がっていた

8月18日に小田原城御用米曲輪で行われた見学会に行ってきました。そりゃあ楽しみにしておりましたよ。かつて、こんなに楽しみに待ったものがあったでしょうか・・・

けっこう、あった。。。

あ、いや、でも、それぐらい楽しみでした。

Photo


調査整備中の御用米曲輪の見学記は障子掘などを含め度々当ブログでもご報告しておりますが、今回は、どえりゃあものが出てきてしまいました!


後北条氏の御主殿クラスの建物の礎石群(の一部)です。石列はバラけている部分もありましたが、半間間隔(一間=約6尺2寸5分=小田原北条の寸法)できれいに並んでいる列もありました。

周囲は江戸時代の遺構が上を覆っているため、それらがない部分しか掘れませんが、館の大きさは、奥行き 4間、長さ 7間以上にはなるだろうとのこと。


江戸時代に幕府の御用米の蔵が建っていたこの場所は、戦国北条時代は、会所または氏政の若い頃の屋敷(氏政亭)があったのでは?といわれていました。

八王子城の御主殿は全容が出ておりまして、大きい建物の方が9間x15間です。八王子城主氏照どのは No.2 とはいえ当主ではないですし、八王子城もあくまでも支城です。小田原城は当主の本城ですから、たとえ会所とはいえ、たとえ御曹司の館とはいえ、八王子城の御主殿と同じかそれ以上の大きさであったとは思えます。

小田原では初めてですが、他所で戦国大名の御主殿級の建物が出てきているのは、朝倉一条谷や大友の府内や三好の勝端城館、そして我が八王子城ぐらいしかなく、非常に少ない例だそうです。

さすが聖地・小田原!貴重な日本の遺産がまだまだ地下に埋まっていたのですねえ。


そして、もうひとつ凄いことに・・・

そこには 焼土痕 がハッキリと見えたのです。

Dsc_0934
~かなり強い火があたっている↑~


わらわ、御用米曲輪の発掘調査見学の度に、焦土痕は?焦土土痕は?としつこく伺っておりました。でも、今まで焦土痕は出てこなかったため(他では出ている)、「信玄たら法螺をふいたんじゃないの~」と申しましたが、もしかしたら法螺ではないかもしれません。

この焦土痕が永禄12年の信玄のものとは断定はまだ出来ないようです。もうひとつ何かしら決め手になるようなものが出てこないですかねえ。

もっと掘らなきゃ分からんですかねえ。

(2014.3.8 加筆
もし信玄が火を放ったとしたら、焦土痕はこんな程度の範囲ではないはず。八王子城なんて一面焦土痕でした。これは、なにか違う焼け後ですねえ。)

4
~説明板の下方にその旨書いてある。見えるかな?~


戦国期の遺構のことばかり書いておりますが、実は今回の見学会のメインは江戸時代の「瓦積塀」(かわらづみべい)という珍しい貴重な塀でした。小田原市HPの見学会のお知らせにもそちらの方がフューチャーされているため、江戸時代ファンらしき方達の方がたくさんいらしていました。

その塀の写真はって?
マリコ・ポーロが撮るわけないでしょ。

(いえね、江戸時代にまったく興味がないわけではないんですよ。ただ、北条だけでも脳と心がいっぱいなので、それ以上興味を広げないようにしているだけ。)


というより、写真、あまり撮れなかったんです。ボーッとしてしまいましてね。暑さでではないです。感慨が深過ぎて、興奮するというよりボワ~ンとしてしまったんですね。御用米曲輪がまるで異次元のように見えました。

夜も、妙な夢を見てしまいましたんですわ。見学会の前に久々に歴史見聞館へ入ったのですが(暑さ逃れで)、そのせいなのかどうか、見聞館の人形の北条氏直さんと二人で、誰もいない発掘中の御用米曲輪に立って話をしている夢なんです。話の内容は秘密じゃ。

まったく、御用米曲輪には色々クラクラさせられるったらありゃしない。


ゆえに、配布資料の写真をどうぞ。

Dsc_0941

同じく配布資料の平面図です。行かれなかった方達、これで分かるかな~?

Dsc_0942


御用米曲輪を含む小田原城の天主閣側は、江戸時代での整備復興復元とされています。でも、戦国時代のこのエキサイティングな出現を、どうにか出来ないものでしょうか。石ではなく土だから、この場所でこのままの状態でいつまでもキープすることは無理でしょうが、文化庁様どうかお願い致しますです。

それから、もっともっとたくさんの戦国ファン北条ファンにも見てほしいですねえ。焼土痕も、もし本当に永禄12年のものだったら、信玄ファンにも是非に見せてあげたいものだねえ。


100_2

御用米曲輪からはもっともっと出てくる‥‥と、夢で氏直さんがおっしゃっていた。


「大河 武田信玄~小田原攻め(永禄12年)感想」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-d8e7.html
「小田原の戦国時代・江戸時代の焼け跡」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-8488.html
「信玄に火を放たれた小田原城」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-8322.html


ほな。


コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。
画像は、マリコ・ポーロが撮影したものです。

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