« 小田原城開城の日に歩く、後北条の小田原 | トップページ | 北条氏照の首級(しるし)はどこに‥? »

2012年8月 7日 (火)

後北条の姫も妬んだ常盤姫

(2014.7 加筆
かつては崎姫=山木大方(高源院)とされていましたが、今は、二人は別人で、吉良に嫁いだのは崎姫とされています。それをお含みおきの上、以下読んでくださると助かります。)

001
~九品仏浄真寺の「白道」~


お盆シーズンですな。

というところで、ここに一人の旅人がいます。

旅人は悪人や猛獣に追われています。旅人が逃げていこうとする先には2本の河が流れています。片方の河は、怒りと憎しみが燃える 火の河もう片方は、欲や執着の波が渦巻く 水の河。行く先は火と水が荒れ狂いそれはどこまで続くかはかり知れません。

よく見ると、両方の河の間に細く細く白い道が見えます。しかし、その道には両側から火と水が覆いかぶさっています。後ろを振り返ると、追ってきた悪人や猛獣がすでにそこまで迫っています。

もはやこの白い道を進むしかない。旅人は意を決して一歩を踏み出します。

悪人や獣たちは「そっちへ行くと危ないぞ~。こっちへ来~い。」と、旅人を惑わせ引き戻そうとします。

その時聞こえてきたのは、釈迦の自分を励ます声。阿弥陀の自分を招く声。
「迷うな。恐れるな。前へ進め。私がそなたを守っている。」


まるで、インディー・ジョーンズやロード・オブ・ザ・リングみたいなお話ですが、これは浄土宗のお寺でよく伺う「二河白道(にがびゃくどう)」のお話です。ご存知の方も多いと思います。私も、片方の親の実家が浄土宗の檀家なので子供の頃から何度が聞いたことがあります。

火の河は南。水の河は北。悪人や獣がいるのは東。旅人が進む決意をした白い道の先が西。すなわち西方極楽浄土ですね。

話はもう少し長いですが、その心(解釈)は・・・人それぞれあると存じますので自分の解釈は述べないでおこうと思います。でも、今、これを書いていて感じたのですが、子供の頃とはもちろん、若い頃とも受け取り方は違ってくるものなんですねえ。

005
~浄真寺にある樹齢700年(推定)のカヤの木~


さて、
炎天下の灼熱地獄で先へ進むのを逡巡する軟弱な旅人(わらわ)が「白道」を進むと、右手には閻魔様がいらっしゃいます。なおも進み、土塁で囲まれた城跡に出ると、その向うには 「九品(くほん)の仏」 がおわすのです。


旅人(わらわ)が暑さで朦朧としながら妄想をしていたのは、東急大井町線九品仏駅前(世田谷区)の「浄真寺」です。「白道」は浄真寺の参道を言います。

そして、「九品(くほん)の仏」とは、

上品上生(じょうぼんじょうしょう)
上品中生(ちゅうしょう)
上品下生(げしょう)

中品(ちゅうぼん)上生
中品中生
中品下生

下品(げぼん)上生
下品中生
下品下生

の、9体の阿弥陀様のことです。九品の阿弥陀様はそれぞれ結んでらっしゃる印が違うのですね。


「九品(くほん)」とは、此の世に生きる人々全て、善行の者も悪行をなした者も含めた全ての人々を9つの類とし、阿弥陀様によるそれぞれの極楽浄土での救われ方を説いたもの・・・らしいです。

といってもこれは、仏が人をランク分けするものではなく、人は皆、下品下生であり(そうなる可能性は常にあり)、上品を目指して日々をおこないすましていくべきだとのことのようです。

いうなら、修行の段階というものでしょうか?


ですから、たとえ下品下生でも阿弥陀様の救いは受けられるわけです。「あ、じゃあ下品下生でもいいや」ではアカンそうですが。

教えはもっともっと深いものであると存じますし、頭の中でモヤモヤとしてうまく言葉や文章がまとまりません(←つまり、分かってない)。私の解釈も合っているかどうかも自信がありませんので、興味ある方はお寺さんなどへお聞きになることをオススメいたすものです。


「九品」の話をすると、「俺は下品(げひん)だから、下品の中位かなあ」などとのたまうオヤジが必ずいますが、それは右から左へ聞き流しておきましょう。

いやいや、上品(じょうひん)、下品(げひん)も、ここからきた言い方らしいですね。

004
~同じく浄真寺にある都の天然記念物の大イチョウ~


まあ、早い話が・・・bleah

この九品の仏(阿弥陀仏)が揃っておわすのが、「浄真寺」なのです。九品の仏が勢ぞろいしてらっしゃるのは他には京都の「浄瑠璃寺」だけだそうですよ。

浄瑠璃寺は京都といっても奈良との県境にあり、京都から行くより奈良から行く方が近く便がいいです。

「当尾(とうのお)の里」といわれ、岩船寺とを結ぶ散策路は人気がありますね。石仏が点在するのどかな道をゆくと木立の中にひそやかにお寺が建っていて、そこには鄙とは思われない美しい塔があり仏達が待っていてくださる。

私も早春や晩秋にここを歩くのが好きで、♪仏は常にいませども~ と鼻歌を歌いながら何度か足を運んだことがありました。


一方、東京世田谷の浄真寺は隣の駅がショッピングタウン自由が丘という都会の住宅街にありますので、鄙びたゆかしい風情というのとはちょっと違います。

というか、それどころか、ここは戦国時代の城跡なのです。


かつては足利公方の御一家で、その後は小田原北条氏(後北条氏)の二代にわたる嫁入り&養子送り込み作戦で小田原北条の一族となった吉良殿の、世田谷城 の支城 奥沢城 だったのです。

随分前に一度書きましたが、土塁や堀跡に囲まれ、お寺の裏側には当時の沼地の名残の湿地帯があり菖蒲などか咲く小公園になっています。開発された都市の住宅街のど真ん中にしては、これだけでもよくぞ残ったなと思います。


奥沢城跡である九品仏浄真寺には、「鷺草伝説」ゆかりの鷺草が咲く池があります。もう咲いてるかなあと思い、先日ちょっと立ち寄ってみました。

002
~鷺草はこの池に咲く~

003

う~ん、ちょっと(かなりsweat01)早かったかな。炎天下の太陽光で私のショボいスマホでは全然写っていませんが、少しは咲いちょる。自由が丘で買物などをするついでに毎年なんとなく見に行きますが、ここ数年は暑さのせいかチョッと・・・咲きがさみしいような・・・。


今の世田谷一帯と目黒区の一部(と大田区品川区と川崎市のほんのチョビッと)は、戦国期は吉良殿のご領地でした。吉良殿が開基創建したお寺や神社もたくさんあります。

「鷺草伝説」は、その吉良の頼康殿にまつわる本城・世田谷城と支城・奥沢城あたりに伝わる「お話」です。「お話」は一種類だけではなく、何パターンもあります。


wine 例えば世田谷区や目黒区のHPによると、

吉良頼康には奥沢城主・大平出羽守の娘で常盤(ときわ)という美しい側室がいました。頼康の常盤への寵愛を妬んだ側妾達は、常盤を陥れようと頼康へ讒言をします。最初は取りあわなかった頼康も、しだいに常盤を遠ざけるようになりました。

誠を信じてもらえない常盤は死をもって身の潔白を証明しようと、幼い頃から可愛がっていた白鷺の足に遺書を結びつけ実家の奥沢城へ向けて放ちました。

白鷺は常盤の思いを届けようと飛び立ちましたが、そうとは知らない、奥沢城の近くで狩をしていた頼康の目にとまり、なんと!矢で射落とされてしまったのです。

ううっ
なんてこった!頼康殿。ヒドイ・・・

頼康は白鷺の足に結んであった遺書を見て常盤の無実を知り、急ぎ世田谷城に帰りましたが、すでに遅し。自刃した常盤は息をひきとっていました。

その時、白鷺が死んだ跡から一本の草が生え、サギに似た白い可憐な花を咲かせました。これが鷺草と呼ばれるようになったとさ。

めでたしめでたし

paper

ちゃうちゃう、めでたくない。
カワイソウ・・・crying

031
~奥沢城址の「鷺草伝説」のレリーフ~


wine また、同じく目黒区のHPには、常盤姫が出てこない伝承も載っています。それは、

いつの頃か、吉良氏の世田谷城が敵軍に包囲されました。奥沢城主に援軍を頼みたいが蟻の這い出る隙もありません。

そこで、日ごろ飼い慣らしておいた1羽の白鷺に密書を結びつけて放ちました。しかし、白鷺はあんまり一生懸命に飛んだので、あとひといきで奥沢城というところまで来ながら力尽きて落ちてしまいました。

かわいそう crying

以来、その地に鷺草が群れ咲くようになりましたとさ。


「敵軍」とは、我らが氏綱公の北条氏ですかね。それとも、天正18年、おサルの豊臣勢でしょうか。

また、常盤姫が出てくる方のお話でいう常盤をイジめた女達のモデルは、正室である氏綱の娘とも言われています。


それぞれの話はもっと細かくて長くて、他にも仇討がからむお話や、鷺草は最初からこの地に咲いていたことになっているお話もあります。少しづつ違う内容であちらこちらに伝わっているようですね。

これらは「伝承」ですので本当かどうかは分かりませんが、その後、常盤のことで深く後悔した頼康殿は領内の駒留八幡宮に若宮と弁財天を祀ったそうですし、世田谷の上馬には、常盤のことを讒言した12人の妻妾達(誰が数え残した?)が、頼康に切り捨てられ埋められたという「常盤塚」なぞもございます。


儚く、美しく、鷺草のイメージによく合う悲話にございます。

鷺草は大正時代頃までこのあたりに自生していたそうですが、今は毎年植えつけていると浄真寺さんに案内が貼られていました。遠藤周作氏も著作「埋もれた古城」でこれらのお話を載せてらっしゃいます。

九品仏の鷺草の見ごろは、今週あたりでしょうか。


では・・・の前に、ぜんぜん別件


随分前に書いた「奥沢城」のブログ記事です。城跡らしい写真はこちらで。ショボイけど。
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-f648.html

では。


cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は、マリコ・ポーロが撮影したものです。

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

|

« 小田原城開城の日に歩く、後北条の小田原 | トップページ | 北条氏照の首級(しるし)はどこに‥? »

3.小田原北条のヒロイン達」カテゴリの記事

6.小田原北条以外の歴史のこと」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/545855/55354605

この記事へのトラックバック一覧です: 後北条の姫も妬んだ常盤姫:

« 小田原城開城の日に歩く、後北条の小田原 | トップページ | 北条氏照の首級(しるし)はどこに‥? »