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2012年11月 8日 (木)

玉縄城の歴代城主の法要が営まれました

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~玉縄北条菩提寺「龍宝寺」。築城500年祭で歴代‘城主’の名入りの旗がたてられている。~


サル11月4日、「玉縄城築城500年祭」の一環として催された、玉縄城の歴代‘城主’の法要に行ってまいりました。

こたびのブログ記事は、超ややこしいですよ~coldsweats01


今までもチラホラと書いておりますが、玉縄城は北条早雲が築城した小田原北条の重要拠点の城のひとつ。鎌倉へは一駅の大船駅にある、北条御一家衆が守る城です。


麓にある「龍宝寺」は、北条綱成(つなしげ)から以降、氏繁、氏勝の‘玉縄北条’の菩提寺です。北条当主一族である玉縄城初代‘城主’氏時&二代為昌の菩提寺は他にあります。というか、あったと思います。

北条三代当主・氏康の弟である、玉縄城二代‘城主’為さまheart01は小田原城内にあった本光寺が菩提寺ですが、玉縄城初代‘城主’の‘氏勝’の菩提寺は分かりません。兄である北条二代当主・氏綱によって早雲寺に葬られたのでしょうか?

(このへんのところは、こってり妄想した以前のブログ記事をご覧くだされましたら嬉しゅうござる。)

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~玉縄城下に為さまheart01の旗がはためくのは嬉しいねえ~


そして、玉縄城の三代目の‘城主’(玉縄北条では初代‘当主’)が、今川から氏綱の元へ逃れてきて北条の養子となり、義兄の氏康と「俺とお前は、バディだっ!rock」と後北条躍進時の最強ペアを組んだ、地黄八幡‘北条綱成(つなしげ)’ですな。

「北条当主」だの、「玉縄北条当主」だの、「玉縄城主」だの、「一族」だの、「一門」だの、ややこしや~ややこしや~ゆえ、この言い方が正しいかどうか分かりませんが、このように書かせていただきやす。よけい分かり難いって?


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~玉縄北条三代‘当主’の墓。山頂にあったものを、お参りしやすいようにと境内の本堂に向かって左奥に移したとのこと。~


玉縄城四代城主(玉縄北条二代当主)の‘氏繁’は、当初は、‘パパ綱成’+ パパのバディの北条当主‘氏康’=‘康成(やすしげ)’といい、パパと同じく北条一族の娘を娶りました。

家督を継いだ‘康成’は、‘氏’を授けられて‘氏繁’となりました。パパは北条当主の義弟であってもバディであっても盟友であっても、あくまでも家臣でしたが、息子は血の上からも北条御一家となったわけです。

以後、玉縄北条の男子には‘氏’の通字が付きます。


その玉縄城四代‘城主’(玉縄北条二代)の‘氏繁’と、五代(三代)‘氏勝’の間には‘氏舜’という人がいたはずなのですが、その人のお墓はないですし、一般的には「玉縄北条三代」と言われていますね??

なぜなんだろう??
‘氏舜’は玉縄北条の歴代当主の‘左衛門大夫’を名乗っていたようですから、継いでいたことは確かなんだと思うのですが?でも、この日、旗はちゃんとたってましたし、先週の歴代当主パレードでも、仲間の武者殿が氏舜役をやりました。

まあ、為さまheart01もちょっと前までは玉縄歴代城主には入れられていませんでしたからねえ。


前の繰り返しになりますが、「龍宝寺」というのは玉縄北条二代‘当主’の‘氏繁’の法名(戒名)です。

玉縄北条の菩提寺なのに、なんで、一代目‘綱成’の法名ではなく二代目‘氏繁’の法名がお寺の名前になったのかと思いますよね。


‘パパ綱成’が自身の菩提寺として開基したお寺がありました。でも、息子の‘氏繁’は‘パパ綱成’より先に亡くなってしまいます。そこで、そのまた息子(氏康の孫)の‘氏勝’が、‘ジジ綱成’の香華寺を‘パパ氏繁’の菩提寺としました。

調べたわけでもどなたかに伺ったわけでもないですが、それで「龍宝寺」なのであり、その後亡くなった‘ジジ綱成’も含めての玉縄北条一族の菩提寺となったのでしょう。

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~法要に訪れるたくさんの人。本堂の中もいっぱい。~


とまあ、‘氏’の羅列でややこしや~で書いている当方もわけ分からなくなってますが、間違ってないかにゃあ?


この日は、玉縄衆の、氏照どの&戦国まつり友と一緒にお参りしましたが、私は玉縄北条当主や玉縄北条ファンが羨ましかったです。

なぜなら、八王子城主であり、北条軍団軍団長であり、北条四代当主である兄の氏政と「俺とお前は、バディだ!」の我らが 北条氏照heart01 は、このように盛大でファンもたくさん集える法要を、ゆかりのお寺で営まれたことがないからです。


氏照どのの菩提寺は八王子城下の「宗関寺」です。「宗関寺」は小田原北条滅亡後の文禄年間に氏照の師であった卜山和尚によって再開されましたが、消失。

その後、江戸時代の元禄年間に、かつての氏照の家臣であり水戸家の家老となっていた中山家によって再建されました。「旧宗関寺」にあるお墓もその時の再建です。ですから、氏照どののお墓に並んで中山殿のお墓があるでしょう。

これは私だけの勝手な思いなのですが、氏照どののお墓参りをしていると、どうも、中山家を拝んでいるような気になる・・・ごにょごにょ。


八王子城内でも宗関寺でもいいですが、今回の玉縄の法要のように、我らが殿・氏照どのの法要をいつか盛大に催すことができたらいいなあと思う、今日この頃です。

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玉縄城築城500年祭は、まだまだイベントが続くようですよん♪

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~高野山 奥の院、玉縄北條の最後~


玉縄城主二代・北条為昌について
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-e4c6.html

この記事の中に為さまについての他の記事もリンクしております。もし、ご興味あらば。

「玉縄城‐1 現代の難攻不落の城へ1」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-170d.html
「玉縄城‐2」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-77e4.html
「玉縄城‐3」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-0e19.html

「逆井城 さしま古城まつり 前ノリ」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-6fa7.html
「さしま古城まつり」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-6ffd.html

「小説 北條龍虎伝」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-b9ae.html


ほにゃ。


cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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