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2012年11月16日 (金)

北関東の侵略者、北条氏照の「祇園城」

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~「古河」「栗橋」。古河の先が「小山」。後北条ファン、特に北条氏照フリークにはツボshineな地名。~


サル秋の一日、古河歴史博物館へ「古河公方足利氏」展を見に行くついでに、北条軍団軍団長・氏照どのの北関東の拠点である「祇園城」へ立ち寄ってみました。

大好きな氏照どのの拠点になぜ「ついで」に「立ち寄る」だけなのかと申しますと、「祇園城」は小田原北条が滅びた後のおサルの時代も続き、今も公園として整備されているのとのことでそんなには氏照どのに浸れないだろうと思っていたからです。


ゆえに、1時間半はかかるとはいえ、朝は家の野暮用を済ませゆっくり家を出ました。湘南新宿ラインに乗り、利根川を渡河!

最近は川を渡る時に「渡河!」と言わねば(心の中で)気が済まなくなっておりますが、途中からは「氏照どのに浸れない」と思っていたのもどこかへすっ飛び、駅名だけでこの萌えよう(?)。久喜駅あたりからすでに妄想は始まり、利根川を渡河する頃にはスパークッbombimpact

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~ちゃんとあるじゃん!通り名に「祇園城」が。~

小山駅から「祇園城」主郭部へはこの道をまっすぐ行って徒歩10分位なんですね。古河歴博への「ついで」と思っていたのでなんの下調べもせず、駅から近かったようなことを何かで読んだ気がするとはいえ、どれだけあるのかさえも分からんかった(下調べしなさ過ぎsweat01)。

駅で周辺地図を探しましたが見つからず、スマホを開こうかと思ったのですが充電が減ると何ぶん遠方なため何かあったら困るので往路はタクシーにしようと思いました。


ところが駅前のタクシーの2-3人の運転手さん方、「祇園城???」。

まあねえ、戦国期の城跡へ行く時はそういうことが多いのですよねえ。わらわ言い方を変えました。「小山城というのでっかね?」。ところが・・・「小山城???」。


えーーーっ!
名にし負う我らが後北条軍団の軍団長。四代当主・氏政の片腕、名にし負う北条氏照の、名にし負う「祇園城」であるぞ。知らんのかっ、無礼者!そこへなおれ!

と思いつつも、仕方にゃいスマホを開こうかと思ったら一人の運転手さんが、「あ、とじょー?」


え?泥鰌(どじょう)・・・
paperちゃうちゃう、とじょう。

「とじょう」とは「外城」とか「外定」のことでんな。外郭や支城のことなので、たぶん、祇園城の支城(なのかな?)の長福城とか鷲城とか中久喜城のことでしょうか。ということは、違いまんな。

諦めて、スマホで検索しながら先頭の一台に乗りこみました。そしたら、なんのことはない。思川を渡河!するまでもない、目の前の緑がこんもりしたとこでした。「城址公園」というのですね。トホホ・・・。

皆さん、カーナビに導かれて車で行くのでない場合、下調べは必要ですよ。


「どこだ?どこだ?」と騒いでいた時間より短い時間で、「あっ」と言う間も無く祇園城入口に到着。現代の祇園城は、いきなり主郭から登城します。

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ここで興味深かったのが、城内の2つの大きな説明板です。ちょっと抜粋。

▲昭和56年版は主郭(本丸)にあり、
「(小山氏が城を)大きく拡張したが、天正18年、北条に加担したため滅びた」。

▲登城口にあるのは平成3年版で、
「・・北条氏照によって陥落。小山秀綱は追放された。その後、城は、氏照が大規模に拡張整備し・・」(上の写真ご参照)。


余談ですが、お酒の「小山祇園城」のラベルにも北条のことは一切触れられておらず、「・・国司兼守護である小山市の居城として約450年威容を誇る・・・」とあるんですよ。

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~以前にお土産でいただいた~


そうだね。北関東にとって北条は侵略者。勢いに乗って古河公方の縁戚となり、その立場を利用し北関東を侵略していきましたもんね。

北関東の戦国武将達は、それに対抗するため毎年恒例、山を越えてやってくる越後の御屋形を頼ったり、戦国末期には西からやってくる魔王やおサルと結んだということですわ。気持ちは分かるよね。


特に氏照どのは強気で強引な方だったと思うから大変だったと思うんだわ。

あ、私は氏照どのファンですよ。でも、「ファン」というものは「信者」ではないので、ブラックな面や反対側からの見方も知って、それらを含めてファンというものでしょう。

それに、氏照どのは、強引で尊大ぶった嫌な奴というのではなかったと思うのよ。だって、ただそれだけだったら、あの過激な兄弟衆(ファンですよ)や、癖の強い一門や、ましてや兄上様(四代当主・氏政さん)がついていかないと思うもの。


などと妄想しつつ、土塁に囲まれ綺麗に整備された主郭から二の郭へ向かう途中の橋(後付け?)の上に差し掛かると・・・

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うっ!
上の方の堀幅はゆうに20mはあるぞえ。これは、マズッタか。けっこう残ってて浸れるかもしれないかもしれないのでは。もっと早く家を出ればよかったかもしれない。


上の画像は、よく写真などで見る赤い橋の堀です。向うは思川(おもいがわ)に出ます。この先の曲輪のそのまた先にも思川に至る掘がありました。

坂東は街道はもちろんですが、水運が要です。思川で運ばれてきた物資はこのあたりから荷揚げされたのですかねえ。時間があったら川岸に降りてみたかったです。


新しチックな赤い橋を渡り、広い二の郭出ると左側の思川寄りに馬出があるんですね。逆から来るとしたら、馬出を通って橋を渡って主郭となるのだね。あにゃ?この城の追手ってどこだったの?

このほかにも祇園城には橋が多いのですが、曳き橋みたいなものは当時も架けられていたのかな。曲輪と曲輪を繋ぐ土橋らしきものも残っていないように見えましたが、橋の跡らしきものはあるのでしょうか。

祇園城はおサルの時代も続いています。氏照どの後の本多殿が土橋を壊し橋を架けたのでしょうか。


城の縄張りや構造は私にはまったく分からんですので、「ま、いいわ」とずんずん奥へ進んでみました。

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~真ん中の白い細い木のとこがL字のクランク。写真じゃ見えない?~

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~小田原の小峰ではありませんよ。すっごい掘!人が立たないと掘の大きさが分からない。~

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~氏照どのが見た「思川」の眺め~


「思川 おもいがわ」とはなんとロマンチックな名前でしょう。

「思川」とは「田心川」が変化していったもので、「田心川」とは「田心姫 たごりひめ」という、水にゆかりの神様からきたものだそうですわ。


なあんだdown

氏照どのは残念なことに八王子城よりこちらにいた年月のほうが長いはず。氏照どのに恋い焦がれた女人か小姓(←こっちの方が好み)が、その思い叶わず川に身を投げたとかなんとかの話でもまつわるものかと思ったら違ったのだね。


とかなんとかで妄想していたら・・・うぎゃー、時間が全然なくなってしまいました。もう小山を出て古河へ向かわないと、古河歴博閉まっちゃう。まだ北曲輪も、後に小山御殿となったとこの空堀も行けてない・・・crying

また来なきゃですね。

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~古河公方展のチラシ。素敵!~


先のブログ記事「11-12月の気になる後北条&古河関連企画展」でも書きましたが、古河公方といえば、北条氏照。

氏照関連文書などもさぞやと思川?で、後ろ髪ひかれつつも祇園城を後にしたのに・・・

ない!

足利尊氏からはじまる、足利氏の展示が主でした。


おもしろいですねえ。
北条がらみのことは、「北条が介入し‥」と「北条の娘が生んだ子を次の公方にせねばならず‥」の二言しか書いてありませんでした。

古河公方・足利義氏の後見であった氏照どのに触れたものは皆無でしたし、氏政兄上が野田(だったかな?)に出した書状が一通展示されているだけでした。

「古河公方展」といえば半分は「北条展」だろうと、北条身ビイキの思い込みで行ってしまいましたが、これはこれで興味深かったです。


氏照ファンとしては、それなら小山にもっといるか、古河の「古河公方館(鴻ノ巣御所)」に行けばよかったなと、ちょっと後悔。いや、出発が早ければそれもこれも全部行けたんですがね。

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~古河駅の観光案内書でもらえる「古河てくてくマップ」~

古河の観光は、「江戸時代の城下町」として充実しているようですね。


「関東の大乱~享徳の乱展」at群馬歴史博物館
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/at-e97f.html
「11-12月の気になる後北条&足利関連の企画展」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/1-12-1c45.html


ほにゃ。

cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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