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2012年11月14日 (水)

映画 「のぼうの城」で、たぎってきました♪

~館の周りは四方が沼水で、二十余町にかけて霜枯れた芦が広がり水鳥が多く飛び渡る~
と、連歌師の宗長が永正6年(北条早雲の頃)、旅日記に記した景色を見ることができました。

Dsc_1306
~↑映画館にて~


映画 「のぼうの城」を見てきましたぞえ。♪

原作について、以前のブログ記事でなんのかんのと百言居士っておりましたが、なんのかんの言いながらも後北条フリークとしてはやはり見ておきたいのだよ。


忍城や成田殿や、「のぼうの城」の小説や映画については、当ブログをご覧になってくださる方々は私よりも詳しいでしょうし、いつもの繰り返しですがここでウィキペディアみたいなことを書いてもせんないゆえ、やめときます。

と言いながらも・・・


成田氏は、平安時代から続く御家で、鎌倉時代頃から勢力を拡大していった名門ですよね。忍城は成田氏が約100年にわたって拠点とした城でありまする。

その成田氏といえば・・・
鶴岡八幡宮での上杉謙信の関東管領就任式で、謙信君から殴る蹴る&鞭打ちの暴行を受け(←そこまでじゃない?)、上杉とは手切れとなり後北条についたことは有名ですな。


こちらも、以前の松山城のブログ記事で書いたかもしれませんが・・・
「のぼうの城」の城主・氏長殿の叔父上は、同じく現代の行田市にある 騎西城 の城主でした。

騎西城は、救援に間に合わず北条氏康・武田信玄ペアに松山城を落とされちゃった謙信君が、腹いせに周囲の村々共々ケチョンケチョンにぶっ壊して落城させちゃった城です。

それで成田氏はいったんは上杉と復縁したのですが、鶴岡八幡宮事件でまた上杉とは絶縁したんですね。


謙信君、ちょっとテンパッテましたなあ。私は上杉謙信も好きですが、毘沙門堂に籠ったのは、自分でも知っていて扱いかねていたこういう性格をクールダウンさせるためでもあったのでしょうかねえ。


それた話を映画に戻し・・・

原作や言葉使いとか、長親のキャラクター設定や、史実(←よく知らん)等々は関係なく、素直におもしろかったですわ~。

戦いのシーンは少々劇画チックでしたが、あれは田んぼのあぜ道か?湿地の掻き揚げ道か?が、要害となるのもよくわかりました。セット、ロケ、CG(決壊シーンを除く)は、タイムトリップ感 満喫 happy01。一番上に書いた「景色」とはそのことです。


「戦いまする!」
長束殿の前で一斉に刀の位置を左側へ変えた時には、たぎりましたわ~impact

弱小野球部が地域の人達と一丸となって名門野球部に挑み、まさかの勝利を飾る!みたいな物語でした。


「待たれーいっ!小田原城は昨日・・・」
のとこでは、ちょっとジ~ンweepとしてしまったよ。でも、氏直さんはあんなじゃないですからね。原作読んだ時もそう思ったが、なんで北条をああいうキャラクター設定にするんかいなannoy

戦のあと、和尚殿が犠牲者の遺体に経をあげて歩いていましたね。八王子城落城後にやはり一体一体に引導を渡して歩いた牛秀和尚という名僧がいましたが、あのシーンを見ていて、あんなにサバサバしたものではないでしょうが八王子城の戦後もかくやと思いました。


忍城最後の城主・氏長殿や従兄弟であった長親さん(のぼう様)は、その後は蒲生レオ様に預けられ、成田氏は烏山3万8千石を賜わりましたが、氏長殿と長親殿は結局は袂を別ったそうです。

のぼう長親さんは、小田原に詰めていた当主・氏長殿の命に反したんですもんねえ。そうなるのかもしれませんねえ。


映画のエンディングロールでは、現代の忍城下の領民(?)の方達の暮らしが映し出されていました。400年余りたった今でも、のぼう様が見守ってくれているかのようで、実際の成田長親さんがどうだったかは置いておいて、のぼう様の領民を思う気持ちが主軸だった映画の締めくくりらしく、とても良かったです。

こういうプロの映画にしてもテレビドラマにしても、歴史まつりなどのセミプロの「おもてなし武将隊」の寸劇にしても、素人の自前甲冑武者君達の寸劇にしても、コミカルでもザックリでもいいですが、かつて戦があった城で、その城や犠牲になった人達に敬意を表し思いを寄せる姿が見られないものは、私は好きではありません。


忍城の江戸時代は、松平→阿部→奥平が城主となり幕末まで続いたんですね。

ちなみに、百言居士らせていただくと・・・
現代の忍城には天守風建造物が建っていますが、これは天守閣ではありまへん。櫓というのかな。ゆえに、江戸時代の本丸にこういう建造物はなかったでしょう。

江戸時代の忍城には天守閣はありませんでした。徳川が造らせるわけありません。戦国時代は、もちろんああいう江戸時代風の天守閣はありまへん。全国に多い、いわゆる模擬天守ですな。

今、日本にある天守閣はほとんどこの模擬天か、「当時から現存している」といわれている、徳川幕府が開かれる前のおサルが天下の時代、つまり戦国期の終わりに全国に一気に建てられたもの(または、それを復元したもの)にござんす。


江戸時代に天守閣があった城は、小田原城はじめわずかです。江戸城だって途中からは天守閣なかったんですよ。

まあ、小田原城天守閣の話は近々bleah


注)水攻めシーンをご覧になりたくはない方は・・・
三成が「水攻めにする」と言ったところで暫時paper廊下に出られ、田楽踊りの曲が聞こえ始めた頃にまた御席に戻られたらどうかなと思います。


ほにゃ。

cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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