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2013年1月21日 (月)

三浦半島の大要塞!観音崎の砲台群ガイドツアー

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~旅順で活躍した28サンチ榴弾砲(実物大模型)。海上に浮かぶ筒状の物体は、聴測所(潜水艦の音を聴く軍事施設)~


古河公方のことをアップするつもりでしたが(といっても大したことは書けぬで)、ちょっと珍しい探検をしましたのでそれをご紹介させていただきやす。


先の土曜日、神奈川県は三浦半島の観音崎へ行きました。なぜかというと、

黒船さ見でぇ!黒船さ乗りでぇ・・・


ちゃうちゃう、時代がチトちゃう。

東京湾要塞地帯のひとつ、三浦半島の観音崎の砲台群をまわってきたのです。

 

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~第一砲台。左のトンネル状のところから司令室へ行く。ほとんどの砲台はレンガ造り。~


幕末、「藩」が管理していた「台場」は、「藩」の崩壊と共に放置されました。ちょうど昨日、大河「八重の桜」で会津の管轄であった品川砲台のシーンがありましたが、あれですね。

その後、明治6年頃から西洋式の砲台の建設構想が始まり、観音崎には日本初の西洋砲台が築かれたのだそうです。

砲台というのは「陸軍」の管轄だったのですってね。私は「海軍」の管轄かと思っていました。海岸防備だし、勝先生の海軍操練所でも砲術を教えていたりしたので、漠然とそう思ってしまっていたようです。

 

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~今は塞がれているが左のカマボコ型が打つとこね。ここは平射砲(カノン砲)用。右側の四角く区切られているところに砲弾を並べる。地下は砲弾庫になっている。~


まあ、たまげました!観音崎だけでも、いったいぜんたい、いくつの砲台(&砲塁)があるのでしょう。しかも、保存状態が非常に良い。観音崎は、近代戦争史のもっの凄い遺跡が残っていたのですね!

地図をご覧いただくとわかるとおり、観音崎はみごとに江戸湾(東京湾)の入り口に突き出していますね。この下を通って東京に侵入するのは自ら罠に入っていくようなものです。や~な感じですもんね。


ずっと後のことですが、だから、進駐軍(古い?)は相模湾から上陸していったのでしょうか。よく分かりませんが。

観音崎といえば、灯台。観音崎灯台といえば、東京の城南地区や神奈川県の東寄りに住む者にとっては子供の頃から馴染みの場所です。遠足、海水浴(←死語?)、磯遊び、デート、ドライブ、釣り・・・。まさかその観音崎に、これほどの砲台群があったとはまったく存じませんでした。


また、観音崎の周りは、私たち北条オタクにとってもツボなエリアでもあります。新井城、三崎城、浦賀城・・・。後北条時代は、私の為さま(北条為昌)や「つなしげぃっ!」の綱成や、規殿(氏規)の管轄でもあります。

北条のことは今回は主題からそれるので控えまするが、山城とは違う大要害が三浦半島にはあったのですねえ。

 

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~明治の大要塞、観音崎から眺める江戸湾。里見の船団がやってきた安房が手に取るように近くに見える。城ヶ島に上陸したんでしたっけ?里見が潜水艇の大船団でやってきて、ザバザバと浮上したら壮観だなあと妄想。~


観音崎の砲台群は、私は近代戦争にはまったく興味がありませんし、これからも調べようとは思いませんが、それでもとても興味深く夢中で見てしまいました。

ガイドツアーの主催は、観音崎のビジターセンター。講師の先生はデビット佐藤氏。とても丁寧で分かりやすい、キリッと、パキッと、キレのある説明をしてくださいました。

 

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~見学した砲台は、第一・第二(6連続!)・第三・三軒家。堡塁は、大浦・腰越など。~


現場ツアーに出る前には一時間ほどのレクチャーがありました。砲台については何も知らなかったので助かりました。これがなければ、現場に行ってもよく分からなかったと思います。

 

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~地面のネットの下は砲弾庫。砲弾は人力では運び上げられないのでクレーンを使った。壁にクレーン痕が残っている。~


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~観音崎内のアチコチにはコンクリートで塞がれたゲジゲジ庫・・・ではなくて、司令室や弾薬庫が残っている。特別に開けてくださり、ゲジゲジ避けの(なのか?)ヘルメットを被り内部を探検、探検!~


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~入れないところは、穴から懐中電灯を差し入れ覗き見♪。どこもレンガ造りの部屋がとても綺麗に残っている。ドびっくり!~


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~観音崎内の軍道(今は散歩道)脇の茂みのあちこちに埋まっている。「M」は陸軍のマーク。「M」の「1」は馬堀海岸駅近くの旧道にあるんですって。「↑陸」という謎の暗号も・・・。~


今回のツアーは、後北条友の情報で知りました。我ら探検隊は、後北条&山城友x3+山城フリークx1= 総勢3名のガールズ+1名のオバ(わらわ)で参加。他の参加者の方たちとは少々毛色が違っていたようないないような・・・。

いや、まったく違う。そりゃそうだ。でも、ハイキングがてらの地元にお住まいらしき方達も参加 してらっしゃいました ♪


🚢 余談

山城フリークの一名さんは浦賀城朝駆けのため、残る後北条友3名が京浜急行の馬堀海岸駅で待ち合わせ。お弁当を買うために、コンビニに寄ったところ、実はそこで今日一番の萌えどころがあったのでございました。


買い物を終えコンビニを出ようとしたところ、「サッ!」とドアを開けてくださり、そこに「スクッ!」っと立っていたのは、海軍士官学校・・ちゃうちゃう、防衛大本科の学生さんでした。

神妙に、「あ、どうも・・・ありがとうございます」と申しながらコンビニを出る私たちガールズ2名&オバ(わらわ)。黙~って歩き角を曲がってから、一気にテンション開放。

「モックン(坂の上・・で秋山真之を演った人)みたいだったよね!
「制服のあの短い丈の詰襟がいいのよねえ
「帽子は、二割増しですよ


キャッキャキャッキャとさんざめきながらバスを待ちました~♪ さすが、防衛大学校の最寄り駅。帰りはたくさんの、あの素敵なショート丈詰襟&帽子の学生が・・・

ちゃうちゃう、そんなことが目的ではないのである。


気を取り直して、観音崎大要塞の砲台群の探検、探検!


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~これ、分かりますかね?堀切・・ではなく、軍道用に掘られた切り通し。橋の上から撮影。指が指されているところが堀底。両側の壁面の層で目が眩みそう。これは凄い!アホなスマホの画像では全然伝えられん。~


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~藪の中には、こういう観測施設跡も埋もれている。分厚いコンクリート壁に囲まれ、丸いとことまわりの長方形の石のところに望遠鏡(のようなもの)を設置したそう。~


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~土塁の上は曲輪・・ではなく、観測所跡。右は通っちゃいけないトンネル。観音崎内には、ノミの跡が残る手彫りのトンネルが多い。~


写真はたくさん撮ったのですが、とても載せきれません。

観音崎は、今、これらの貴重な近代史の遺跡をもっとたくさんの人に知ってもらい、国土防衛に尽くした明治人の熱い心を感じてもらいたいと、砲台群を整備しガイドツアーも行っているそうです。


一部施設を除いては個人でもまわれます。砲台が観音崎内のどこにどう点在しているかは分かりにくいゆえ、京急ホテル前の横須賀美術館作の「観音崎公園おたのしみマップ」が助かります。とても親切な手作りマップで、砲台・砲塁が全部載っています(現在もあるかどうかは不明)。

また、穴から司令室や弾薬庫を覗くためにパワフルな懐中電灯は必須ですよん。


さて、これらの砲台群は防御の仕方の変化により、大正の時代で一ヶ所を残し全て廃止。残ったのは第四砲台で第二次大戦まで使われていたそうです。その後は軍から海自の管轄になりましたが、それも今は廃止。

それから、この砲台群は、実は、考えてみればそうなのですが、一度も実戦で使われたことはありませんでした。

おしまい・・・の前に、おまけ~♪

 

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~ビジターセンター前の多々良浜に残された、ゴジラの足跡。ここは、ゴジラ上陸の地なのじゃ♪~


(上にも書きましたが、近代戦争やミリタリーは私にはまったくのカテゴリー外でございます。書いておきながらなんですが、その関係のコメントには誠に勝手ながらご返信は出来かねると存じますので、なにとぞご了承願いまする。)


「伊勢新九郎、湘南ボーイへの道」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-bc69.html
「里見に走った公方の姫」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-82f7.html


コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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