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2013年1月28日 (月)

後北条一族の陰謀、公方の御座所「葛西城」

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~葛西城跡から望む、武蔵のツリー(スカイツリー)~


祇園城や女公方「氏姫」のブログ記事でも書いた繰り返しになりますが、我らが北条氏照どのは古河公方・足利義氏の取次&後見でした・・・

と、認識していましたら、照どのはある時期まで大石家の養子となっていますので、実際に取次となったのは天正年間からだったようです。


北条側の公方家のお取次はメインの遠山氏はじめ何人かいました。こちらもやはり先日城跡で妄想しブログにも書いた小机城主の北条三郎くん(幻庵大叔父上の嫡男)も、生前は務めていたのですね。

義氏くんの元服式には、少年時代の氏照どの(藤菊丸)がパパ氏康と一緒に列席していましたから、私はそれ以来ずっとその任務にあったのかと思っていましたよ。


もっと驚いたことがあります。

「放浪の公方」 と呼ばれている古河公方は、鎌倉から古河に移る間の一時期「葛西城」におり、「葛西様」と呼ばれていましたね。

そこで義氏の元服が行われたわけですが、その「葛西様」とは、公方・義氏のことだけではなく、ママである氏康の女兄弟 芳春院 も「葛西様」と呼ばれていたんですって!


北条の女人達には多いですが、ママ芳春院も自身の印判を持っており、鎌倉の鶴岡八幡宮でパレードまでしているんですよ。

前にさんざん書きまくり妄想しまくった同じく氏康の女兄弟 崎姫(山木大方) と同じく、相当権力と領地をもった女性のようですね。氏康は男兄弟が早死にしていますから、女兄弟も重要な役割を与えられていたのでしょうねえ。


ねっ。ここにも、またまたいましたでしょ。後北条のヒロインが。某人気小説家をはじめとして「後北条にはヒロインがいない」とおっサル方が多いですが、なんの!それはただご存知ないだけです。

後北条は本当に、女人の人材が豊富です。

芳春院 のことは、もったいないゆえ次の機会で新たに妄想させていただきやす。


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実は、葛西城にて、氏照どのが公方の元服式に列席した時のことを妄想したブログ記事をチャラチャラッ♪とだいたい書いたところで、葛西城の発掘状況と義氏のことをもう少し知りたいと思いました。

そこで、平成19年に葛飾区郷土と天文の博物館で開催された、特別展とシンポジウムの内容を基に出版された「葛西城と古河公方 足利義氏」を読んでみました。


葛西城のことは、アチラコチラの資料館や博物館の企画展などでは必ず目にしますね。私は、持ち主は変われど上杉時代から続く最前線の基地として、後北条時代後半は兵站地として重要な拠点の城だったと思うくらいで、葛西城にそんなに興味はありませんでした。

なかったのに、この報告書本を読んで目から三鱗(ミツウロコ)が落ちましたよ。

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「公方の城」 としての葛西城の姿に改めて気が付き、そこにビビビッheart01ときてしまったのです。


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~葛西城跡・・・というか、環七crying。私が立っている後方が千葉方面。前方まっすぐ行くと加平のインター。~


horse 葛西城見聞

環七(環状七号線)はどこもいつも混んでいますが、このあたりは特に異常に混みますよねえ。我が家の関連お墓のひとつが中川を渡河!した先にあるのでここを通りますが、曜日と時間とによっては1時間2時間位動けなくなることもあります。


現在は、この写真の環七向かって右側が戦国期の葛西城址、左側が小田原北条が滅びた後の徳川さん鷹狩り用の青戸御殿、と 一応は なっています。説明版なども立っていますが、当然このあたり一帯が戦国期の葛西城ってことでいいのですよね?

いや、葛西城はもそっと先のお花茶屋あたりだという話もどこかで読んだ気もしますが、私には分かりまへん。


環七を通さなければ葛西城はもっと残ったのにと言いたいところですが、環七を通すことになったから葛西城の発掘が行われ、目からミツウロコになったわけですから何とも申せないところです。

ちなみに、青戸御殿&葛西城は、こちらもお城の例にもれず、古墳の上にあるそうです。古墳ファンにとっては、環七も葛西城もぶっ壊し古墳を出してちょangryとおっしゃりたいところでありましょう。

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~青戸御殿側にあった碑。青砥藤綱城跡?って、ホント!?~


葛西城は、たくさんの河川に取り囲まれた、かなり低い土地にある城です。しかし、それは坂東での移動や流通にはかかせない水運の便が良い交通の要所にある城ともいえます。

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~本丸から現在の中川方面を見る~

向こうの空が開けている方が中川。私が立っている右後方から左手にかけて中川が城を巻いています。下ると江戸湾、遡ると「古河」となります。

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~本丸から中川へ出てみた~。


「中川」とは新しい川なので、当時は「中川」とは言わないですね。「利根川」ですか?それに、中川(利根川?)は氾濫や改修&改修などにより流れもけっこう変わってますよね。

どんなだったのかな?

今の環七の風景からは妄想しにくいですが、少ない見聞経験と乏しい妄想力を駆使してみると・・・(妄想中)・・・当時は、たとえば、利根川と江戸川の分流点にある関宿城博物館から見晴るかす景色みたいだったのでしょうかね(撮った写真を探したが見つからにゃい)。


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horse 後北条氏の陰謀

さて、葛西城は古河公方足利義氏くんの元服式が行われたところです。


義氏くんの母は、我らが氏照どののパパである氏康の女兄弟。正室は、照どのの女兄弟。娘は、先にブログに書いた女公方・氏姫です。

照どのにとって義氏くんは、いとこであり義理の弟でもありますね。年も義氏くんの方が3つ下ぐらいの同年代です。


私は、なぜ、新公方の元服式が鎌倉ではなく葛西で行われたのかなと思っておりました。上でご紹介させていただいた「葛西城と古河公方 足利義氏」を読んでなんとなく分かりました。

家督は継げどいまだ元服前だった義氏君の元服式を、葛西で行わねばならぬ理由が北条一族にあったからのようです。


義氏くんには腹違いのお兄さんがいます。我らが小田原北条一族の関東制覇のための陰謀によって義氏パパと兄は追いやられ、北条の血が入った義氏くんが家督を継ぎます。

これがその後の争乱の種となるのですが、結局はお兄ちゃん側は負けてしまい、北条は公方家の乗っ取りに成功するわけです。


追いやられた義氏兄&義氏パパをとり巻く、里見・小山・結城などの反北条勢力の地への前線である葛西城で新公方の元服式を執り行うことは、それらの敵対勢力への一大デモンストレーションであったのではないかと。

また、

氏康パパの氏綱公は古河公方によって関東管領職を補任されていましたが、氏康はそれを継ぎませんでしたね。古い権威である「関東管領」としてより公方の外戚として権力を振るう、つまり、名よりも実をとったわけですな。

義氏くんの元服式を鎌倉ではなく、公方の伯父である氏康が後見となって葛西城で行うということは、世の中への新しい支配体制のアピールでもあったのではないかと。


う~ん、うまくまとまらにゃい。ここらへん勘違い読み違いがあるようなにゃいような・・・coldsweats01

ご興味ある方は是非この本の研究報告、特に、佐藤博信氏と平野明夫氏の考察(2010.5)を読んでくだされまし。


horse 義氏くんの元服式

葛飾区郷土と天文の博物館編の「葛西城と古河公方 足利義氏」は、佐藤氏、平野氏以外の諸先生方の論文も全体討議も非常に興味深いです。私なんかでも分かりやすい内容で、まるで小説を読むようです。

平野氏による「足利義氏の元服式」なども、元服式の式次第が目に浮かぶように再現されています。パパ氏康に連れられて列席した藤菊丸くん(氏照)のいよいよの出番になるとドキドキしてしまいますよ。


照どのの出番は表での祝宴の二献目です。梁田殿と佐々木殿が飯と盃を運び出た後に、藤菊丸くん(照どの)が甲と鎧を進上し、義氏くんは腰物(刀)を自ら返します。

照どの緊張したかしら。いっぱしの大人ぶってイキガッテいたかな。兄上様(氏政)や兄弟達に付き合ってもらって予行練習したかもしれない。むふふ。


次代の北条軍団を率いる凛々しい若武者と少年公方のツーショット。見たかった~heart01。なんで招いてくれなかったのかなぁ。

と、妄想は付きませんが、長くなったので(いつも)今日はこれまでにしとうござりまする。


「戦国時代のウズマキかわらけの謎を解く展(2011.2)」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-d4bf.html


ほにゃ。

cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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