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2013年2月13日 (水)

小田原城天守閣木造再建と、匠の技の継承

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さる2月11日に小田原で開かれた、小田原城天守閣を木造で再建する会のNPO法人創立総会を拝聴して参りました。

基調講演は、姫路城の昭和と平成の大改修の担当責任者である西村吉一氏でした。


以下、例によってすっごく長いゆえ、ゆるゆる読んでくだされませ。


当ブログでも何回か紹介させていただいておりますが、今、老朽化が進んだ小田原城天守閣は、耐震補強か建て替えかをせまられています。これは、小田天に限られたことではなく、全国の戦後に建ったコンクリート建造物に共通の案件でもあります。

小田原城天守閣の場合、耐震補強でも十数億円がかかるそうです。それなら、史料も残っていることだし、いっそ木造で当時(江戸後期)の姿で復元をしようではないか!

という、再建に向けての活動が、鈴廣さん・魚国さん・菜の花まんじゅうさんなどなど小田原の名店老舗の旦那衆達を筆頭に数年前から始まり、その活動がこたびNPO法人として認可がおりました。

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~挨拶されるカトケン市長・・ちゃうちゃう、加藤憲一市長~


▲ 会の名前は「みんなでお城をつくる会」

え?「天守閣を復元する会」じゃないの?と思われる方もいらっしゃると思います。

じゃないんですな、これが。


活動計画の発表によりますと・・・

1. ホンモノが活きづく街のシンボルとして、街づくりをつらぬく背景にする。
2. 伝統文化のシンボルとして、伝統文化、伝統工芸の継承、技術者交流の拠点にする。
3. 「観光立国日本」のシンボルとして、「誰もが行きたい城」にする。

だそうです。


つまりは、天守閣だけではなく、城址公園や周囲の城下町や借景の山や海をも含めた環境を保存整備した町起こし。

そして、ひとつの天守閣を復元するというプロジェクトにより、廃れゆく伝統の匠の技を存続し次代へつなげていこうという、小田原のためだけではない我が国の将来を見据えた素晴らしい理念のもとにすすめられる活動なんですな。


だから、会の名前が「小田原城天守閣を木造で再建する会」ではなく「みんなでお城をつくる会」であるのですね。「お城」とは広く深い意味なのだと、総会の説明を拝聴し、「そうかい・・」と納得しましたわ。

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~総会のお土産。焼印付きバター入りドラ焼き。by 菜の花まんじゅうさん。「マル、お城はつくれるのだよ。」~


▲ 匠の技の存続と継承

今回のマリコ・ポーロ的ツボは、なんと、名立たる棟梁方が列席されていたことでした!!まったく知らなかったので、大興奮

お馴染みの、小川三夫棟梁。
法隆寺といえばの、直井光男棟梁。
錦帯橋の、海老崎粂次棟梁。
ご先祖が忍城を築かれた(!)白根伸浩棟梁。
それから、
大洲城の木造復元を成された、伝統木構造の会会長の増田一真氏

もう、ハアハアものでございましょ。一緒に写真を撮っていただきたかったですが、さすがに勇気がありませんでした。

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~ご挨拶中の、平成の大棟梁・小川棟梁~


棟梁達のメッセージのポイントはみな同じです。若い職人達が腕をふるう場所がだんだんなくなっていて、職人が育たない現状を憂えて らっしゃいました。

これは、このブログを始めた当初の頃の輪島塗の記事で書いたと思いますが、輪島塗の塗師屋も同じことを嘆いてらっしゃいました。


昔のように大大名も大貴族もいない今、例えば外居(ほかい)とか衝立とか硯箱とか厨子棚や飾り棚などなどの調度品を作る機会がなくなっている。それは発注がないからで、職人さん達は、お椀やスプーンを作るか作家風の創作活動をしていることがほとんどになってしまっている。

お椀やスプーンは大事だし名人が作るお椀は素晴らしいし、創作活動もそれはそれでいいのだが(実は、いくないと思ってらっしゃるようだが)、でも、これでは漆芸の伝統技法は廃れてしまう。普段から腕を磨いておかないと、万が一そのようなものの発注がきた場合に、この日本に作れる人がいなくなってしまう。

せやから、自分が発注主となり今は誰も使う人がいなくてもそういうものを作り続けねばならない、と。

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~ご挨拶中の、同じく大棟梁・直井棟梁~


匠の技の継承のための「削ろう会」、「大工は木の芯を通した仕事を」、大工だけではなく「木」も育てる活動も大切などなど、大棟梁方は貴重なメッセージを一言で伝えてくださいました。

もっと伺いたかったです。本を持っていってサインしていただけばよかった・・・。


また、小田原城の銅門の復興を手がけた小田原の若き棟梁・芹沢氏と、若き左官の長田氏の言葉もよかったです。

「墨をうってきた建物を守るためには、墨をうつことが出来ない大工ではだめだ」
「このまま放っておいたら大工は絶滅する」
「若い職人にそういう機会がない」

などなど、大棟梁方のようにお話慣れはしていなかったですが、伝統技能を守ってゆく思いが熱く伝わってきました。

こういうの大好きなんです。うたれましたわ


このプロジェクトには、日本中から将来の「匠」をめざす若い人達が集まり、腕を磨き、技術を継承する「職人学校」の設立という理想も含まれているそうですよ。

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~サプライズのアトラクション。永禄4年の上杉謙信の小田原攻めがモチーフ。~


▲ 天守の森

大棟梁や若き棟梁からも「木材が大事」とのお話がありましたが、姫路城修復の重鎮である西村先生も「木材の段取りを早急に」とおっしゃっていました。

それには「山の整備」が必要であり、そうすれば、風土に合わない外材 を使う必要もなくなると。


余談ですが、先生は、修復などの大作業の時は「遠巻きに見てほしい」とおっしゃっていました。昨今、そういう時はイベントなどをやって作業現場に近づくのが流行りのようだが、熱を入れて作業に従事している職人達の気をそらさないで欲しいと。

そうか・・・。
修復中のほうがかえってツボだ目がハートと考えていましたよぉ。職人さんや関係者の方達が修復している物は国宝とか重文ですものねえ。失敗したら何百年もの歴史がパー手(パー)命かけての作業ですわ。言われてみたらその通りですよね。


でも、見たいし、また、行政側やその史跡観光で商売をしている側にとっては、史跡修復の期間眠っているわけにはいかぬ。どこもかしこも、なんでもかんでも世の中複雑じゃのう。

せめて、作業を拝見する時は、風魔のようにこちらの気配を消して邪魔しないように静かに拝見しなきゃと尚一層に思いました。


ちなみに、西村先生はお城と話が出来るそうです。城内を歩いていて、どこか傷んでいるところに気が付かないで素通りしようとすると、「ちょっと待ちや!」とお城から呼び止められるそうですよ。

棟梁達もそうなんでしょうねえ。経験と愛情からくる、ローレンツ博士のソロモンの指輪のようなものを心に持ってらっしゃるのでしょう。


木材の話に戻りますが、これも大変なことです。

輪島塗屋で習いましたが、当然ですが木を切ってすぐには作業に取り掛かれません。漆器の場合は、使えるようになるまで原木は5-6年置きます。それから成形しますが、その状態でまた1-2年置きます。

木を育成するところから考えたら途方もない年月がかかります。木造りの醸し出す風格とはそういうとこにもあるのですねえ。


総会では、廃藩の時に小田原藩から借金のカタに譲られた? 「藩有林」を受け継いでらっしゃるという辻村氏のお話も伺えました。

その山林には、「天守台」「お小屋」「ご照覧場」など当時の名称がそちこちに今も残っているそうです。江戸時代からの樹齢三百年余りの木も数本あるそうで、辻村氏はその木のことをこうおっしゃいました。

「その時代の空気を吸っている木」


羨ましい木ですね。
私も、城跡や史跡を訪ねたときに樹齢の古い木があると必ず触れてみます。その時代を見ていた木だからです。氏照どのや土方さんが触ったかもしれないしね

辻村氏も、何百年後のために木を残すための様々な活動もされています。


この会のプロジェクトには、木と森を育成するための「天守の森」の計画も含まれています。

あ、それから、西村先生は「地震で崩れない土台づくり」のお話もされました。


▲ アトラクションと懇親会

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~正面で小田原北条の家老衆筆頭・松田殿と古河公方・氏姫のコント?が繰り広げられているところへ、背後から近づく 上杉謙信!~

「運は天にあり・・・」


永禄4年、上杉謙信はここ小田原城を包囲し、「ワシに弾は当たらん」とのたもうたかどうかは知りませんが馬上盃で酒 をあおりました。←見てたんかね

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~「この小田原はワシにおまかせあれいっ!」と小田原市長の目の前で豪語する、北条氏康殿~


結局、謙信くんは名にし負う堅固な名城「小田原城」を破ることは出来ず、司会者を拉致し(^^; 鎌倉での次のご予定のために小田原を後にしました。

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~想定外に列席者が多く、会議室の席の間を使った狭い空間での立ち回り。後ろの高そうな花瓶を壊したらどうしようとハラハラしただよ。~


おまつりでの合戦劇だと観戦者もノリノリで見てくれます。でも、この日はシリアスな発足式でのアトラクションでした。シークレットのサプライズだったので最初は「なに?なに?何が始まったの?」という雰囲気。

その上、市長、市議会議員、国会議員、昭和と平成の大棟梁方、老舗名店の旦那衆の前でのパフォーマンス。

その上のその上、いつものような本格的な歴史考証に基づく芝居とは違い、お笑い要素を含んだアトラクション。さぞや、やりにくかったでしょうねえ。

しかし、長い台詞もバッチリ決まり、よかったよかった。


前日入りでのリハーサル。ボランティアですから宿泊費とか交通費とか2日間に渡る駐車場代とか、自腹で大変だったでしょう。お疲れ様でしたm(_ _)m。でも、お昼は鈴廣さんの豪華なお弁当 がでたそうですよ~♪。

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~明治3年に廃城となり、昭和35年にコンクリート造りで復興した小田原城天守閣と、春の相模の海。~


▲ 実現に向けての数々のハードル

長いレポートになっていますが、とはいえ、天守閣の木造再建はそりゃあ簡単なものではありません。

なんといっても、費用。

復元となれば国からの補助金も出るそうですが、それと小田原市の予算だけでは全然足りまへん。寄付によるところが大ですよねえ。


寄付には自治体主体と民間主体のものがあります。小田原市は、市民が中心となって基金をつくっていきたいそうです。市民が中心といっても、市民だけが寄付をするのではなく(それじゃ全然足りない)、全国の小田原ファン、お城ファンからの寄付もです。

熊本城の御殿再建、名古屋城二の丸御殿、駿府城などもこのやり方で予想以上の寄付が集まったそうです。駿府城なんて、約100億 だすて!凄いずら。


ふう。
ほんとに、長くなってしまった。

天守閣木造復元は、もちろんまだ決まったわけではありません。人・物・金のハードルも、もうここに書ききれませんがまだまだまだまだあるようです。だから、もしかしたら、耐震補強だけになるかもしれません。


しつこいですが、私は戦国時代の小田原のファンです。

しかし、この復元が成されようが成されまいが、こういう活動をすることによって地元の方がより一層小田原の城に興味をもってくれたり、小田原の歴史が全国区で有名になってくれたらいいなあと思っております。


http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/16-1928.html
小田原城天守閣を「木造で復元」する活動
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-d044.html

以下は昔書いた輪島塗に関するブログ記事です

塗師屋のおやじ
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-4533.html
金を蒔く蒔絵、金を沈める沈金
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-6611.html
漆の上塗りは水をかぶって裸で!
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-0474.html
木地師 山中の虎
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-f10e.html
続・木地師「山中の虎」と「近江小椋谷」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-273f.html
漆の木♪人生ぃ~20ねん~♪
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/20-5efc.html

ほにゃ。


コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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