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2013年3月14日 (木)

鎌倉に訪ねる後北条ゆかりのヒロインの寺

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~東慶寺~


安房の里見勢が放った火は鎌倉を覆い尽くした。紅蓮の炎の中、里見家当主・里見義弘の船に飛び乗り全てを捨てて安房へ向かう若き尼僧の姿があった。小弓公方の姫 青岳尼 である。

青岳尼が安房へ渡った年代や詳細は不明ですが、安房で義弘の妻となったのはホントの話。姫は果たして安房で「幸せ」な一生を終えたのか。知るは、戻りし「観音」のみぞなり。


一方、後北条の公方家乗っ取りの陰謀のため鎌倉公方に嫁いだ姫がいた。実家の後ろ盾を得て、息子である次の公方と共に「葛西様」と呼ばれ、公方をもしのぐ権勢を誇った後北条の姫。

その容色を「楊貴妃とも言いつべし」と言われた北条氏綱 秘蔵の娘 芳春院 である。


さて、
鎌倉ゆかりの後北条のヒロイン達・・・それは、後北条が関東制覇のためにゲットした関東公方に、ゆかりの姫達のことであります。

たびたび書かせていただいておりやすが、後北条の姫君達は権力者の一門の女としてのつね、それぞれが波乱万丈でドラマチックな生涯を送っていらっしゃいます(当ブログカテゴリー後北条のヒロイン達をご参照願ひ)。

その中の二人の姫達に思いを馳せたく、鎌倉の二つのお寺を訪ね妄想してまいりました。


cherryblossom 東慶寺「仏像展」

駆け込み寺(駆入り寺、縁切り寺)として、また現代は花の寺として人気の東慶寺は、かつては鎌倉五山派の尼寺でした。

創建は700年以上前、‘前’北条の名門の姫であり北条時宗の正室であった覚山尼の開基です。その後は後醍醐天皇の息女や、足利氏の姫達が代々の住持でらっしゃいました。

おっと、トヨトミの勝頼殿の側室腹の姫もでした!とはいえ、この御方はたいそうな正義の女人でらしたようで、神奈川県百傑に選ばれている東慶寺中興の祖だと説明に書かれてありました。

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手前のポストカードの右側が、青岳尼と共に安房へ連れ去られた「聖観音菩薩立像」にござります。

もとは、‘後’北条の氏康殿庇護下で姫がいらした太平寺にありました。今の円覚寺の舎利殿(国宝)が、太平寺時代に観音がおわした仏殿だったそうな。


衣の模様はエンボスのように盛り上がっておりますが、これは「盛り上げ文様」という中国の技法だそうです。日本では鎌倉の仏にしか見られないそうですよ。

鎌倉時代の作で、130cmほどのそれはそれは美しく、そして少女のような面影を残す(←私感)、聖観音です。見惚れますぞ。

あしかがの
くぼうの姫を
うつしみに
あひみるごとく
赤きくちびる

べつに唇の朱も残ってはおらねど、観音をお見上げしていたら会津八一の歌のパクリがふっと浮かびました。

会津八一が詠んだのは、「ふじわらの おおききさき(光明皇后)」の姿を写したと伝わっている法華時の十一面観音。東慶寺の聖観音は青岳尼が生きた頃より遥か昔の鎌倉時代に造られた仏ではありますが、なんとのう「あいみるごとく」な気がして・・・。


姫は戻らず観音様のみが戻ったのですねえ。この観音様は、後北条の鎌倉と里見と、そして青岳尼と里見義弘の全てをご覧になってらしたのですねえ。

一人たたずみ
なにをか語らん・・・


光背と台座は後付けとのこと。光背は無いほうが観音様の美しさが際立つような気がせぬでもない・・・ごにょ。

聖観音は常設にござりますのでぜひ。わらわの「オシブツ(推してる仏像)」にて。

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~かつての尼寺の風情を残す寺は、山門も鐘楼も萱葺き屋根~


左側のポストカードのもうひとつの美しき観音は、 「水月観音菩半跏像」です。開基の覚山尼のご遺品ではないかと伝わっています。

聖観音と同じく鎌倉時代の仏様で、座高は30cmあまり。岩にもたれ、水面(みなも)に映った月を見るお姿だそうです。

うっとりとたゆたっているかのごときにて、艶麗にして優雅じゃのう。


私はこのような楊柳観音(白衣観音)は水墨画ではよく拝見したことがありまして、亡きお茶の先生のお宅でも、献茶のお稽古の時には楊柳観音が描かれた由緒ある(ここには書けにゃい)お軸が掛かることがありました。

ところが、この日はじめて知ったのですが、こういう体勢?の観音様は鎌倉周辺でしか見られないのですってね。それは鎌倉が積極的に中国風を取り入れたことからだろうと、説明にはありました。


冠と胸飾りはこちらも同じく後付け。
やはり無いほうが、観音の寛いだ美しさが伝わるのにな・・・ごにょ。

水月観音は後北条や関東公方とゆかりではありませぬが、企画展などの時だけにしか拝ぬ仏様です。4月14日(日)までですので、こちらも是非!


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~お寺を囲む山の鎌倉特有の‘やぐら’には、開基である‘前’北条の姫や、住持でらした後醍醐天皇の姫達のお墓が並ぶ。~


こたびは、たびたび当ブログに登場してくださる歴友サユリンが足利将軍家のお取次ぎとして上方より下向するゆえ、関東公方お取次ぎである、鎌倉&室町時代スキー友 福丸さんとわらわ2人でお迎えいたし、3人での鎌倉ドキドキワクワク大作戦~♪とあいなりました。

なに意味不明なこと言ってんだ、大丈夫か?ですが、ええ、私達は大丈夫ですよ。


将軍家お取次ぎの関東下向の一番の目的はこの仏像展でした。

にもかかわらず、大作戦中に、これもまた当ブログにたま~に登場する鎌倉在住の三百年来のわらわの親友が犬を散歩させちょるのに遭遇しオシャベリしちまったり、鎌倉宮の茶店でまったりし過ぎてしまったり、東慶寺境内の迫力あるやぐらや、歴史上の有名子女のお墓に萌えまくってしまったりで、あやうく宝蔵の公開時間が終わってしまいそうにsweat01

宝蔵は3時半に閉まりますので、皆様もし行かれるときは先に宝蔵を見学してから境内をゆっくりお散歩することをおすすめいたす。


そうそう、トップの写真の小さな石の仏様は境内にひっそりとおわしました。ゆかりは分かりませぬが、尼寺らしいゆかしい仏様でござります。

おや?‘後’北条の三鱗のようですが、こちらでは‘前’北条の方ということですよね。背後の山肌には鎌倉で多く見られるイワタバコがみっしり。6月頃には花が咲くわね。


cherryblossom 芳春院の菩提寺、円覚寺

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~塔頭「黄梅院」。夢窓疎石の塔所でもある。~


足利氏関連の菩提寺のひとつです。開基は東慶寺と同じく‘前’北条の時宗のご正室である覚山尼なんですって!


後北条の二代・氏綱公の娘で三代・氏康殿の姉?(つまり我らが殿北条氏照どのの叔母上様)であった芳春院については、「異本小田原記」に

~容貌美麗にして昔の楊貴妃季夫人ともいひつべしと沙汰しければ・・うんたらかんたら~

とあるそうです。


なるほどねえ。

母上である養珠院様は、幻庵殿が、その立ち居振る舞いの たおやかさ や、けっしてひけらかすことのない教養の深さを「見習うように」と娘達におっしゃり、密やかなあこがれを抱いているらしき佳人でしたものねえ(マリコ・ポーロ会ったのか?うんにゃ、幻庵覚え書より)。


古河(鎌倉)公方・足利春氏殿に嫁ぎましたが、我らが後北条の陰謀により、夫&義息 vs 芳春院様&我が子である次の公方・義氏殿という構図になってしまいました。

しかしながら芳春院様は、以前の繰り返しになりますが、後北条の女人達には多い自身の印判を持ち、なんと!梁田に出した契約状(立場的には臣下の者に??←わらわよく分からん)までも残っているのです。

その上、鎌倉の鶴岡八幡宮でパレードまでしているという後北条の女人らしい権勢を誇った女人でした。


我らが後北条は男女分別?なく子女を有効活用し政治的権限を与えていますねえ。女人達にも、その任務を遂行するだけのパワーと知力があったのでしょうねえ。

かっちょエエ~。

まあ、後北条に限らず戦国時代はそうでなければ、オナゴもオノコも生きてはゆけぬわ。


余談ですが、となると、どこへも嫁がせず表面に出さなかった香沼姫様の存在はやっぱり不思議。


話を戻し、
芳春院様の毎度の法事は、高野山はじめ、円覚寺塔頭の黄梅院、そして、芳春院様のお位牌がある江戸城の吉祥寺と、あちらこちらで催されていたそうです。盛大にございますですねえ。


そうそう、芳春院様の奏者で辣腕をふるった芳春院周興という人がおりますが、鎌倉ワクワクドキドキ大作戦~♪の日の午前中に行った覚園寺に、周興が掲げた扁額があったのですって。

周囲を コの字 に山に囲まれ、開いたもう一方は海。狭い鎌倉で、たくさんの人達がたくさんの時代にわたってあんなことやこんなこと、いろんなことをしていたのですねえ。


以下は、カテゴリー後北条のヒロインたちより公方の姫のことを書いたものの一部にて。

「里見へ走った公方の姫」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-82f7.html
「女公方は後北条と古河公方のハーフ」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/cat22104850/index.html

「後北条一族の陰謀、公方の御座所 葛西城」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-fdbc.html

ほにゃ。


cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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