« 5-6月の気になる後北条関連イベント(2013) | トップページ | 北條五代祭りの日は、北条為昌の命日なのです »

2013年5月 1日 (水)

小田原にある謎の城跡「花岳城」

Dsc_2039_5
~城跡は「花岳山 城源寺」というお寺になっている~

以前のブログ記事でもちょっと書いたことがありましたが、小田原市内には小田原城の他にもうひとつ城跡があります。

まったく知りませんでした。小田原城の図書館でも調べてみましたが、同じく以前に触れた立木望隆氏の本に数行ある以外には関連史料は見つけられませんでした。

Dsc_2037

花岳城跡(城源寺)の場所は、駅を新九郎さん(早雲)の銅像がある側に出まして、大構(総構)方へ向かって歩きます。大構の城下張出と久野口との間くらいの74号にかかる横断歩道を渡ったところになります。

上の写真の中央右の木がこんもりしたところあたりがそうです。低いところにあるのですね。谷津ですねえ。

Dsc_1673

北条末期の大構のすぐ外側になりますので、↑大構のこんなところを通って抜けて道を渡ると、そこに城源寺があるということになります。

Dsc_2038

通って抜けて道を渡って振り返ると、今歩いてきた大構の一部が、↑こんなように見えます。

それって大構のどのへん?
それは、迷って歩いて見つけましょう。山城歩き、史跡めぐりの醍醐味。探検、探検 happy01


な~んて、かく申す私は最初連れていってもらったのですが、ほれ、有名な超ド級の方向音痴ゆえ、2度目は迷って迷って歩きました。とはいえ、普通の方向感覚の人でしたら迷ったりはしないで簡単にたどり着けるのですがね。しかも街中ですし・・・coldsweats01

そんな超ド級の方向音痴のマリコ・ポーロさんの道案内はとうてい信じられん!という方は是非地図をご覧下され。地図には「花岳城跡」ではなく「城源寺」で載っています。

Dsc_2041_2
~城源寺の碑~

お寺の前にある碑には、城源寺は鎌倉時代の創建。山号の「花岳山」は、大森頼顕がこの地に築いた「花岳城」に由来したと書かれています。


大森頼顕・・・。新九郎さん時代から見ても、ずいぶんと昔ですな。

大森氏が小田原に城を築いたのは、享徳の乱の頃、1400年代中頃と伝わっています。碑には、城源寺の創建は1325年とあります。う~む。

また、前にも書きましたが(前の繰り返しばかりで恐縮)、足利尊氏が小田原の山の上の要害でご休憩をしたと記録にある、あの要害。それがここでしょうか。いや~?山上というより、谷下という感じですよね~。

私には自分で見てきたこの程度のことしか分かりませんが、戦国時代の小田原には、こういう場所もあるのですねえ。後北条や小田原攻めだけではないのじゃのう。


というところで、あさって3日は北条五代祭りです!

午前中、↑こういうところをウロチョロしてから出陣式の時間に会場に行ったのでは、会場はおろか御茶壺橋から二の丸へ通じる道にさえ入れない。また、出陣式を見てたら、その後のメインパフォーマンスが行われる馬出門あたりも一杯になり見る場所がなくなる。

出陣式をとるか、馬出門パフォーマンスをとるか。はたまた、パレードには八王子や知人の武将くん達も出陣されるので、出陣式もパフォーマンスも見ないで市内の北条スポットで妄想した後ゆっくりパレード見物だけにするか。

きっぱり決めねばならぬのう。

ほにゃ。。。


cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

|

« 5-6月の気になる後北条関連イベント(2013) | トップページ | 北條五代祭りの日は、北条為昌の命日なのです »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/545855/57287059

この記事へのトラックバック一覧です: 小田原にある謎の城跡「花岳城」:

« 5-6月の気になる後北条関連イベント(2013) | トップページ | 北條五代祭りの日は、北条為昌の命日なのです »