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2013年5月22日 (水)

岩付城の続編・城は今日落ちた

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前回の「今20日未明、岩付城へ総攻撃はじまる」の続きなり。

北条氏房の岩付城や主郭部ウロチョロについてはそちらで情緒的に書かせていただきましたので、こちらでは外回りぶらぶら歩きです。

上の写真は、本城小田原の方の大構えの氏房さん達岩付衆が守ったあたりにある看板です。どこにあるかって?それは、小田原陣仕寄陣取図でご確認くだされ。


さて、岩付城の話。
心地の良い普通の公園となった岩槻城では睡蓮が満開。綺麗だねえ。公園内はたくさんのワンちゃん達がお散歩していました。

公園内はワンちゃんOKなんですね。さすが、太田三楽斎(資正)の城です!こうして軍用犬を育成しとるんですな(ちゃうちゃう)。三楽斎は、松山城←→岩付城間の連絡に犬を使ったとの逸話があります


池のほとりでお弁当を広げ、氏房さんと岩付落城をたっぷりと妄想したら、公園から出てみます。

先に書いた野球場の裏手の土塁の上をしばらく歩いたあとは、駅に戻りながら天正18年と永禄7-8年との間を行ったり来たりの寄り道。


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絵図面を見ると(縄張図を見ると・・とはとても言えにゃい)、公園となっている部分はほとんどが当時は沼地だったんですね。

外側から公園を眺めると、随分と低くなっているのがよく分かります。上の写真、横断歩道の先が一気に低くなってて道が見えないでしょ。


主郭部を振り返り振り返りしながら(危ないって)ぶらぶら歩くと、10分ほどで「久伊豆神社」です。

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久伊豆神社は新正寺曲輪エリアにあります。

前の回で書いた新曲輪エリアとこの新正寺曲輪エリアは、天正18年のおサルの進攻にそなえて造られた出丸だそうですね。


久伊豆神社の創建は、犬使い?の太田三楽斎資正殿なのですね。神社のご由緒を読むと、創建はもっともっと古く1400年程も前のようです。また、同じくご由緒によると創建は太田道灌となっています。

岩付の城を最初に築城したのは、以前は道灌パパの道真とされていました。昨今は、そうではなくて成田殿だとなっています。となると、久伊豆神社の中興は・・・。♪

(2013.5.28 加筆
成田氏だというのが今は一般的だが、ここのところは、ヤッパリ太田道真&道灌親子じゃないか…となってきているそうです。 )


う~ん・・・
わかんない!

神社の創建は曖昧でよいのですわ。いずれにしても、そこには確かに太古の昔から神がおわして、現在も敷地一万坪!元荒川を望むうっそうとした森に囲まれた立派な神社でした。


おサルの脅威が迫りつつある天正後半。氏房さんは、パパ氏政かオジ氏照かの指令により、岩付の城下をすっぽり包むおよそ8kmにおよぶ大構を築きます。

すごいですね!本城小田原だって9kmですよ。岩付は、我らが北条軍の北東武蔵の要所なんですねえ。


その大構が唯一残っているという愛宕神社に向かって、超方向音痴の異名に恥じず例によって例のごとく超迷っていると、


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ん?
何?あれ ↑ 土塁ではありませんか!

わらわの持っている超初心者用の縄張り図には載ってませんよ。場所からして、もしかして大構の一部!?愛宕神社にしか残ってないなんて、ここにもあるじゃあありませんか、旦那方!

と興奮し、縄張図師匠の北条友に後ほど自慢したところ・・・どうやらそれは、御米蔵曲輪の土塁らしい

なあんだ、人騒がせな土塁だぜ。

でも、戦国期の土塁を利用していたことは利用しているわよね。。。そこには、大同新正寺公園との看板がありました。


そうそう、わらわ、道に迷っていたのだった。

お散歩していたオジサマに、「わらわは400年前から参ったゆえ現代の道が分からぬ。今どのあたりにおるのじゃろう」と、縄張り図を見せながら道を尋ね新正寺曲輪エリアをからくも脱出。


平成25年の大通りに出られ、信号待ちでフト見上げると・・・。

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おお!渋江殿がっ。

渋江殿といえば、氏綱公時代の岩付城主ですよねえ。古河公方の重臣でしたっけ?

交差点で萌え~てるマリコ・ポーロでござる。


岩付城は、その後は太田殿親子で北条とくっついたり離れて戦ったり。やっと北条氏房で落ち着いたと思ったとたんに、運命の天正18年がやってくることとなってしまいました(前回をご覧くだされ)。

あくまでも反北条を貫いた太田三楽斎殿も、太田家内の紛争はあるとはいえ、一徹で(執念深い?)カッコイイですねえ。


なんてことを思いながら、さあ、やっと愛宕神社にたどりつきました。

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愛宕神社には、氏房さん時代の周囲8kmにわたる大構の一部が残っているとのこと。

が、しかし・・・こんもり山型に残っている土塁は、コンクリートで周囲を補強されていて土が見えにゃい・・・

お社の横に細い階段状のものがあったので上ってみたところ、土がありました~♪。見下ろすと、東武野田線の線路でした。これは堀だったのかな?違うか‥。


そんなこんなで、今年の後北条落城強化月間は、岩付の城登城から始まりましてござりまする。

次は、6月2日の小磯城戦国絵巻(後北条とは関係ありまへんが太田さんちの道灌殿が出ますよ)&6月23日の「第2回 津久井城開城記念」の合戦劇ですよ~♪

ほにゃ。


コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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