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2013年5月20日 (月)

今20日未明、岩付城へ総攻撃はじまる

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~土塁にエゴノ木の花びらが散り敷く鍛冶曲輪~


天正18年5月20日早朝。

大手口から浅野長政・本多忠勝勢、新曲輪は平岩親吉・鳥居元忠勢、搦手からは木村一勢のおよそ2万による岩付城総攻撃がはじまった。


城主氏房は3千の兵を引き連れ本城小田原に詰めており、岩付の城に籠もるは氏房の正室、兄の未亡人(太田と北条の間に産まれた姫)、その母である叔母(氏政の妹で太田氏資未亡人)をはじめとする女人達や人質達を含むおよそ2千。

伊達房実が指揮の元奮戦するも、22日城に火をかけられ、我らが後北条の武藏北東部の拠点であった岩付城は落城。浅野・木村勢は、長期戦となりつつある鉢形城へ援軍として向かう。


城主不在の中、比ぶべくもないほどの戦力の差で、それも総攻撃を受けよくぞ3日ももったものであります。我らが八王子城と重なるものがあり、シンパシィを覚える城です。

籠城していた妻子達や人質達はおサルが「丁重に小田原に送るように」と指示を出していますが、そののち妻子達がどうしたのかは分からないようです。榊原康政が清正に宛てた書状に落城時の城内の悲壮な状態が書かれているそうですが、こういう時どれだけ悲壮かはよく知っているので、あえてその文書は読みたくにゃいです。。。

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~普通の公園の土塁ひとつ裏側にはこんなに残っているのね。二重土塁や虎口、土橋・・・。発掘された障子堀の跡は土管で表示されている。~


岩付城内では、21日に「火矢に備えて建物などを今夜のうちに塗るように」との指令が出ています。これは、泥で塗るってことですよね。大河「風林火山」で勘介が海の口城でやってた、あれ!ですよねえ。

塗り終えたかどうか私は分かりませんが、しかし岩付城はその翌日、城内に火をかけられて落城してしまった……ということなのですねえ。


一方、小田原の直&房の若き兄弟は7月5日、揃って小田原城渋取口から滝川の陣に降ります。北条は五代はどの世代も兄弟仲がいい……あ、いや、氏政兄弟衆は最後の頃はあぶなかったし、その前にも怪しい世代もある。。。が、とりたてて表だった骨肉あいはむ争いはなかった戦国時代には珍しい兄弟衆でした。

房さんは一族一門の皆と一緒に高野山へ送られます。許された後は皆と同じくおサルの旗本となり、朝鮮出兵に備えた肥前名護屋に出張ります。

伊東潤さんの「虚けの舞」という小説には、この肥前名護屋での房さんと叔父上である氏規さんが描かれていますが、小説の中での房さんもね・・・可哀想でね・・・。(こちらの小説の韮山城攻防戦は面白いです!)


さて、北条氏房という青年のことにキチンと触れるのははじめてかと思います。私はよく直さんのことは悲劇的に思い入れたっぷりに書きますが、弟くんも負けず劣らず(←変な言い方)辛いです。

房さんは、北条4代当主である氏政さんの息子で、最後の当主5代氏直さんの弟くんです。我らが殿・北条氏照どのの甥っ子ですな。


房さんには、直さんの他にもう一人兄上がいました。その兄上は、北条得意の「お家乗っ取り養子縁組み作戦」により、岩付太田氏へ入婿します。その一つ前の代にはすでに叔母上が「お家乗っ取り嫁入り作戦」で嫁に入っとりまして、その娘とのいとこ同士の縁組みです。先に当ブログで書いた、古河公方家乗っ取りと似ていますねえ。

ややこし~ですが、つまり2-3世代に渡って徐々にその家の血を北条のものにして領地をゲットしていくっつう陰謀……ちゃうちゃう、作戦です。いきなり攻めて支配するよりは犠牲もなくマイルドで自然浸透しますよね。

ところが、その兄上様は早世してしまうのです。そこで房さんが兄上様の後を継いで、岩付の城主となります。


房さんの立場については諸説ありますが、どうやら、房さんは岩付領を受け継いだだけで、おにいちゃんの妻の後夫になったわけでも、太田の姓を継承したわけでもないようですな。黒田基樹氏は著作の中で、房さんの正室は江戸城関係のどなたかさんだろうと書いてらっしゃいます。

房さんによる岩付領支配が始まったのは、天正11年あたり。西の情勢が我らが北条にも大きく関わりはじめる頃です。


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~「新曲輪」の碑のあたりで堀は車道に分断されていました。車道を渡って下を覗くと、堀は続いちょるが立入禁止風なロープが。こっちの方が歩きたい。~

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~どうにか歩けないかなと、野球場の3塁側に沿った細い道を行くと・・・やったー!土塁の上に登れました!ずーっと続いてますねえ。もう大構えの一部になっているのかな?う~ん、わかんない!~

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~土塁の上をどんどんどんどん歩いていくと…すっごい!深い! これって竪堀だよねえ!?向こうの白く光っているところが真下ですよん。この写真じゃ分からんて?また冬に来なきゃだわね。~


北条最後の当主の弟であり兄と共に降伏した北条氏房は、その翌年4月、肥前名護屋にて病によりその人生を終えました。享年28歳。

最後の当主であった兄上の氏直さんも、同年11月大阪にて亡くなります。享年30歳。



このへんのことは、カテゴリー「後北条一族最後の3ヵ月と高野山」でこってり妄想しちょりますゆえ、ご覧くだされば喜びます(400年前の北条一族が)。
このあたりから遡ってご覧くだされませ→http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/cat22295280/index.html


大構え8km。岩付城の見聞録に続きます。
とりあえず、ほにゃ。


コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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