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2013年5月30日 (木)

講演 「太田道灌と豊島一族」at 日比谷図書文化館

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~レジュメ~

先に当ブログの気になるシリーズ?にも書きました、日比谷図書文化館で催された講演会「太田道灌と豊島一族」を拝聴しました。


後北条にハマる前まで、太田道灌にはまったく興味がありませんでした。

ずっと以前にもどこかで書いたかと思いますが、母や全オバ連達が歴史好きなので、子供の頃から皆で話しをしていると太田道灌という名前が出てくることがあったことはありました。

彼女らは戦中派ゆえ、それは、江戸城を造ったとか、猫に導かれて難を逃れたとか、あの山吹の伝説の話などでしたが、私は「江戸城を造ったのなら江戸時代初期の人で家康の家臣だったのだろう」ぐらいにしか考えず(しょえ~)聞き流していました。


後北条に興味を持ってから、太田道灌は思っていたより百年以上も前の人で、それも戦国時代初期の人だったと知って「へぇぇ~~」と驚きました。急いで脳内イメージにあった「江戸城」を江戸時代風から戦国時代風へ、猫の後をついていく道灌や山吹をもらう道灌が着ている装束も戦国時代風へバージョンチェンジ。

なんてことをしながらも、今でも、太田道灌とその時代については、我らが新九郎さん(早雲)がらみのところをチョビットとしか知りませんです。はい。


太田道灌殿は、先日、後北条落城強化月間で天正18年を妄想しようと岩付城へ参りました時にも、妄想脳内に登場しましたね(先のブログご覧くだされませ)。

そして、時は正に今、6月2日の大磯の小磯城の合戦劇を控えています。って、別に私が出演するわけではありまへんが、こちらも太田道灌が出演(主役は越後殿)。そして講演会は、私に来いといわんばかりに平日の夜。これは行かずばなるまいて。


講演会のタイトルは、「太田道灌と豊島一族」。講師は、葛城明彦先生。以下は講演会の内容からです。


歴史から忽然と消えた豊島一族

太田道灌が活躍した時代は、我らが北条運命の天正18年より百年以上前のこと。

あのややこしい、京の幕府、鎌倉府、両上杉、関東の豪族達などが入り乱れていた、関東はてんやわんやの大争乱~~ の頃です。


豊島一族とは、今の東京の北~北西部を支配していた古くからの豪族です。石神井城→練馬城を拠点として、一応は「チーム上杉」に参加していました。

しかし、山内上杉の家宰(実務最高責任者)長尾景春の乱で景春につき、扇谷上杉の家宰であった太田道灌に練馬城を攻められることになります。


道灌軍が火を放った証拠である焼け焦げ付き遺物が練馬城まわりから出土しているそうですが、道灌軍は放火により城兵達をおびき出し、江古田原で待ち伏せしていた兵達で豊島軍を迎撃。

翌年、豊島一族は平塚城で再決起しますが戦わずして逃走。その後、現在に至るまで 行方不明だそうです( どひゃ。何百年、行方不明なの!?)

たぶん、落ち武者狩りにあったのだろうって!小机にも行ってないって。


このへんの話をもっとキチンと知りたい方は、葛城氏の著作「決戦!」星雲社 をお読みくださるとよろしいかと存じます。

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~岩付城のあった現代の岩槻区の花は、道灌ゆかりの「やまぶき」~


より面白かったのは、それからのお話。

太田道灌はこの景春の乱の時はオフィシャルには両上杉の代表として戦ったわけですが、実は個人的には、豊島一族の領地ゲットが目的であったようなのです。


道灌は鎌倉五山の建長寺と足利学校で学び、若干26才で江戸城を築きます。そんな超エリートとはいえ、道灌の領地は江戸城まわりのほんの狭い地域です。

度重なる戦で道灌は金欠状態。そこで狙いをつけたのが、隣に広がる豊島一族が支配する広い領地。しかも、豊島氏は少々衰退気味。チャ~ンス!


道灌は豊島氏の支配地にドンドン神社を建て、領民もドンドン移住させていきます。

ほへぇ~。かなり強引なんですねえ。いえ、当時の武将達は皆こんなことしてますよ。でも、山吹の逸話やその非業の死からきた私の勝手な勘違いでは、太田道灌は清廉なイメージでしたので、ドびっくり~(゚д゚lll)。


講演会には太田家18代目の御当主も参加されてらしたので、そんなこと言って大丈夫かな・・とか心配しちゃった。でも、大丈夫。ご先祖様について史実を正確に受け止めてらっしゃるようでした。

史実をうけとめてくださらない関連各所の方達も多いのでねえ・・・ごにょ。大昔とはいえ人様の家の個人情報ですから、私がなんのかんの申すのも大きなお世話ですが。太田家18代御当主はピキッとした紳士で、伊勢原の道灌まつりでは道灌役をされてらっしゃるんですってね。

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~道灌の「含雪斎」があっただろうといわれている場所に建つ江戸時代の江戸城富士見櫓。現在の江戸城には道灌時代の名残はほぼ無いそうだが、当時の様子は「静勝軒記」に書かれている。後北条がゲットするよりもっと前の話。~


まとめの道灌

▲ 道灌は、(城から)おびき出して平場で戦うのが好き
▲ 道灌は、壊滅戦はおこなわない(逃げたら、ほったらかし)
▲ 道灌は、当時の最高の教育をうけた文武両道のスーパーエリートで、生涯30戦余りを戦い、全戦全勝。
▲ 道灌は、主君に対して不満をいだきながらも、なお忠実に従う古臭さと、当時の最先端の戦術&築城術とをもつ人

このアンバランスさが面白い
(以上ほぼレジュメより)

だそうです。


道灌の最後

道灌は、その天才度を恐れた上司の上杉定正の指示により招かれた屋敷のお風呂場で殺されたと伝わっていますが、その最後の様子は実は分かっていないそうです。

これは違うところで小耳にはさんだのですが、我らが新九郎さん(早雲)暗殺説もあるんですって?!


途中休憩を挟んだあと、葛城先生は70枚ものスライドを全部説明してくださいました。

都内には豊島氏やそのあとに取って代わった太田道灌ゆかりの神社仏閣、道、碑、石造物、土地名、苗字が今でもたっくさんあるんですねえ。普段なんの気にも止めずに素通りしてましたよ。

江戸には道灌の後に後北条が入り、その後に徳川が入っているんですよ。それなのに、凄いですよねえ。


講演会では長尾景春の乱も分かりやすく説明してくださったので、脳内が整理でき‥‥たような気がしないでもないです。が、もっとドびっくり~なことができてしまい、後北条落城強化月間の忙しい(脳内が)時に、再び脳内混乱状態の今日この頃です。

これは、あらためて。


また、日比谷図書館に「太田道灌コーナー」が出来ていました。18代太田殿がおっしゃるには、太田氏ゆかりの会の人々が高齢化しているため史料が散逸しないように皆で寄贈をはじめているとのこと。

それから、7月から「道灌びいき」という、ゆかりの地をアチコチ巡る連続講座がはじまるそうですよ。http://doukan.jp/


ほにゃ。

コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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