« 「鉢形城」籠城中、なう | トップページ | 東国の武将達に回覧された、氏照の謙信宛て脅迫状? »

2013年6月17日 (月)

6月23日、津久井城にて 武田信虎vs津久井衆 (2013)

1242016_1949905503_24large1
~津久井城ポスター(武将さんにお借りしました)


月日が経つのは早いものですねえ。第一回の「津久井城開城祭」からもう一年ですか。人生あっという間です。

あっという間といえば、天正18年に津久井城がおサルに降り開城してから早423年。早…か?ですか?だって、今、百歳以上の方も随分といらっしゃいますから、そう考えれば400年なんてたったの4代ですよ。早、でしょう。


我らが北条、運命の天正18年。
西から北から南(海)から攻められ、華麗なる覇者の一族が五代百年で手にしていった城は次々に落ち、また、開いていきます。

歴史上では不思議と言ってもいいような状況ですよね。四方八方から攻められ広範囲にわたりドミノ倒しのように潰されてゆくなんて。


奇しくも開城祭が行われる6月23日は、北条氏照の本拠地であるすぐ隣の八王子城が城としての人生を壮絶に終えた日です。

津久井は2日後に降りることになります。

026

昨年の第一回目は、その時の模様の合戦劇でした。ちょっとジーンときた芝居でしたよねえ。
昨年のブログ記事→http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-bc8f.html


さて、今年はそれより遡ること65年前の大永5年。津久井が後北条に付くあたりの時代が舞台になります。

芝居の内容は、残されている文書に「武田殿(信虎=信玄パパ)と新九郎殿(氏綱)と合戦ヒマなし・・・いまだ津久井の城落ちず」とあることからインスパイアされたものになるそうです。


甲斐と相模の国境近くに位置する津久井城は、もともと両地と微妙な関係を保っており、それは、この後も続くことになるのですが、さて、信虎殿の侵攻でいかがあいなるか!

続きは6月23日、津久井城にて!


天正18年のマリコ・ポーロ年表でござる。よろしければ。
「小田原開城へ、最後の6ヶ月」http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-f53a.html


津久井、例によってわらわはギリギリまで行けるかどうか分からんの…

ほにゃ。


コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

画像は、お借りしたものとマリコ・ポーロが撮影したものとです。

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

|

« 「鉢形城」籠城中、なう | トップページ | 東国の武将達に回覧された、氏照の謙信宛て脅迫状? »

4.その他の後北条ゆかりの地」カテゴリの記事

5.後北条、企画展・講演会・イベント祭りなど」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 6月23日、津久井城にて 武田信虎vs津久井衆 (2013):

« 「鉢形城」籠城中、なう | トップページ | 東国の武将達に回覧された、氏照の謙信宛て脅迫状? »