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2013年6月13日 (木)

「鉢形城」籠城中、なう

天正18年、夏。
籠城中の鉢形城にお邪魔しています。

大手からはとても入れないだろうと思い、荒川を渡河し搦手側の馬出を抜け外曲輪から入り込もうとしたところ・・・

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「何者だっ!」

「マリコ・ポーロで~す。氏邦さんに会いに参りました~」

「なんだか能天気なヤツだな。まあ、敵ではなさそうだ。入れっ」


ってなことで楽々入城

さて、氏邦さんはどこにいらっしゃるかしら。お会いできるかしら。城内を本曲輪の方へ向かってみましょう。

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二の曲輪あたりを歩いていたところ、

いらっしゃいましたよ、氏邦さん。ほら、向こうに見えるの、氏邦さんですよね。覇気がなく淋しげな後姿ですねえ。声をかけるのも躊躇われますが、でもせっかく参りましたのでちょっとだけ。

「氏邦さま・・・」

「何者じゃ、そなた。どうやってここへ入れた!」

「後北条の追っかけをいたしております、マリコ・ポーロと申します。あ、後北条というのはですね、鎌倉時代の北条と氏邦様のお家の北条を分けるために後の世に作られた言い方でしてね。」

「この切羽詰った日に、いきなり参ってわけの分からんことをペラペラペラペラと申すオナゴであることよ・・・」

「細かいことは詮索なされますな。わらわはお味方です。今は何も出来ませんが、420年後は皆様の名誉を挽回すべく蟻の爪ほどの力しかございませんが頑張っておりまする。」

「蟻に爪があるのか?」

「う ど、どうなんでしょう・・・?」

「まあ、ことここに至ってはどうでもよいわ。そなた、時間はあるか?少し付き合え」

「はい!たっぷり、ございます!」


歩き出した氏邦さんについて参りましょうぞ。

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「氏邦様、御殿曲輪からは下の様子がよく見えますねえ」

「御殿曲輪?それは、なんじゃ?」

「え?ここは御殿曲輪とは呼ばないのですか?なんと呼んでらっしゃいます?」

「xxxxx.........」

うにゃ~
聞こえにゃい~~


あ、そうだ!
「氏邦様、わらわお酒を持ってまいりましたの。よろしければ、ご一緒に呑んでくださいませんか?」

「うむ。そうか。それでは一杯だけいただこうか。」

「恐悦至極に存じまする」

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ジャーン

「こ、これは、いかがした!」

「400年後に、氏邦様を慕い鉢形城を愛する方達が造ったのですよ。ささ、一献」

「そなた、先ほどからわけの分からんことばかりを申しておるが、というこは、そなたもワシを慕っておるのか?」

「い~え~わらわは氏邦様の兄上の氏照さまの大大大ファンで・・・、あ、いえ、氏邦様のことも好きですが・・・なんというか、その・・・

「ははは、まあよいわ。源三兄上は、弟のワシから見ても良き男じゃからのう」

やっぱし


眼下の荒川を見下ろしながら秩父の山々を見晴るかしながら、氏邦さんは、ぐっと盃を乾しました。

「美味い酒じゃ・・・」


北条氏邦は言わずもがな、我らが殿八王子城主・北条氏照どのの弟くんです。照&邦は、氏政兄上や弟の氏規さん達とは母上が違って、瑞渓院の子ではないかもしれないとも言われていますね。

そう言われてみれば、タイプも、北条家内での行動というか扱われ方(悪い意味ではない)も少々違うような気がしないでもないです。そう言われてみれば、ですけどね。

照どのも邦殿も男児がいなかったり早世したりしていたこともあるのかもしれませんが、兄上・氏政の子を養子にもらい後継ぎとしていました。

どちらにしても、照&邦の北条軍団武闘派コンビは、北条の領土を広げ確固たるものにすべく兄上当主を支え戦ってまいりましたが、最後の頃は意見が分かれ、小田原城と鉢形城とで別の道をゆくことになってしまいました。

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鉢形城「開城」後、邦殿は攻撃側の一人だった前田利家にお預けとなり、能登の七尾に千石を与えられます。

我らが北条の、あの北条氏邦が前田家の家臣となり、その縁戚の娘を娶り、そこで暮らし人生を終える・・・。私には違和感があってなんだか馴染めない感覚です。まあ、私なんぞよりご本人はもっとでしょうし、特に戦国末期から江戸初期にかけて、戦さの後はそんなこんなの人は他にもたくさんいますがねえ。


氏邦さんが亡くなったのは、小田原北条が滅びた7年後。享年57歳でした。

兄上達や母上や甥っ子達を亡くし、ご正室(大福御前)とも小田原で離れたまま。ゆかりの人々は散り散りとなり、時代は変わり、遥か北陸の地で北条氏邦殿は何を思い、何を悔い、何を願い、何を祈り暮らしたのか。時には、今、私達が見ているこの景色を思い出すこともあったのでしょうか。


氏邦さんの背中を見ながらそんなことを考えていたら、わらわ、じわーっときてしもうてのう。

「氏邦様、このお城が籠城する時には、すでにおサルに降りることを申し出ていたというのは本当ですか?」
涙を拭いて顔をあげたら、


おらん・・・


うぎゃー、聞きたいこといっぱいあったのにー
いえいえ、とてもそんなことを伺える雰囲気ではなかったですよねえ。


北条氏邦、明日6月14日、降伏します。


ちなみに申しておきますが、城跡妄想族マリコ・ポーロ、大丈夫ですよぉ。

(以上、後半部分は昔の消した記事からの転載です。前半と最後はこたびの新たな妄想なり。)


ほにゃ。


「今日、鉢形城は落ちた」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-6379.html
「兄上(氏政殿)からのお届けもの」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-d92a.html
「北条氏邦と大福御前慰霊祭 2012」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/2012-9f22.html


おまけ
鉢形城は、成瀬殿が随分改修してるど~ってホントかね。。。


コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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