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2013年7月10日 (水)

石垣山で歴友たちと天正18年を偲んだ

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~えいえいおー!大手道で「HOJYO 北条ワイン」をかざし、これより一夜城を奪還するぞー!~


旧暦天正18年7月10日は、我らが北条氏照と兄上・氏政が徳川家康の陣へ降りた日です。それより5日前に滝川の陣へ降りていた北条最後の当主であった氏直と弟・氏房の兄弟も同日に家康の陣へ移ります。

翌11日には政&照の兄弟は切腹するわけですが、この10日の最後の夜を親子兄弟伯父甥で、もちろんそこには6月にすでに龍城を明け渡し家康の元にいた氏規も一緒にいて、一族で過ごせていたとしたら・・・ほんの少しだけ救われる思いがします。


その小田原城開城の7月5日より少し前、降伏に向かっての段取り交渉は進んでいたとはいえ、まだ籠城中の小田原を俯瞰しようと石垣山一夜城へ登りました。

ここで小田原城を眺めながら、百年続いた北条の城を手放す小田原北条最後の若き当主・氏直さんの決断を想像するのが好きなのです。


特に小田原が開城した7月5日前後は、小田原城大構の内を歩くより石垣山から偲ぶ方が、はるかに運命のその日の臨場感があります。

今年は諸事情によりなかなか出勤のシフトが決まらず一人で妄想に浸ろうと思っていましたが、急遽お休みとなった前夜、平日ヒマそうな・・・ちゃうちゃうpaper時間がとれそうな相模と武蔵の城友&歴友ガールズ2人に声をかけてみました。


いくらなんでも前夜じゃ無理だろうな~と思ったら!
やったーhappy01
ガールズ大丈夫!援軍2名を得、しかも一人は山城スペシャリスト。勇気百倍!

いよぉーっし!
3人でおサルから石垣山を奪還し、早川漁港で美味しい海の幸を食すぞーfishsweat01


そこで、後北条衆の皆の者!
皆の者に、まず申したいことがあ~る!

小田原や北条ファンが石垣山一夜城を顕彰するようなふうがあるのはおかしいと思うのである。あれはだな、北条にとっては 負の遺産 だべ←相模弁(か?)。


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~本城から小田原城を望む。日本中の戦国武将22万の大軍で攻められる価値のある城が、かつてあったか?! いや、ない!~


気炎を吐くのはそのぐらいにしておき、タイトルの石垣山一夜城の謎のこと。

以前も諸先生方の講演会のことや論文のことでも紹介させていただきましたが、石垣山一夜城については、昨今、天正18年以降も使われていたうんぬんが話題ではあります。


私が気になっている謎とはそれより前のことです。

後北条時代は小田原の出城だった石垣山(当時の名称は不明。笠懸山はその出丸?)には、北条時代の遺構がそこそこあるはずだと私は思っているのです。


どこか残っていて、見られるところはないかしら?

縄張図には書かれていないですが、井戸曲輪の南側の石垣を乗り越えたところに土塁や切り岸の遺構があるとか。それがそうかしら?

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~井戸曲輪の南側をよじ登る北条&山城ガールズ←良い山城探検隊は真似をしないようにcoldsweats01


それとも、西曲輪の出曲輪のあたりかしら?

埼玉衆の山城&北条友からあとで聞いたところ、出曲輪には井戸が2つあったと昔の本には載っているとか。 でも、出曲輪は私有地なので入れませんよねえ。

どこじゃ、どこじゃ、毒蛇はどこじゃ(←古っ)


実はこの日、すごく喉が痛くて痛くて。最初はそれほどじゃなかったんですが、登るにつれだんだんだんだん、他はなんともないのに喉だけが唾を飲み込むのも痛くなって、ついには声が出ない状態に・・・。

北条&城友に思いっきり天正18年の北条の話をべしゃり尽くしたかったのに、全然できない泣き顔。下城して、わらわだけ一足お先にリタイア。


お医者さんに行ったら、「う~ん、これは、おサルの呪いですね・・・げっそり

しどいわ、しどいわ。
わらわ、おサルおサルと言っちょるが決しておサルが嫌いではにゃい。ブログにも「凄い人だ」と書いちょる(チョコットだけどsweat01)。

現にこの日、一夜城と秀吉に敬意を表し、

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ほれ、この‘ひさご’のペットボトルでお水を持っていったのにぃ。

ま、ホントの話、呪いでも風邪でもなく気管支炎らしいです。声が出ないためその後3日間仕事を休み、未だ咳が残っているでゃあも。


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~井戸曲輪の北側、つまり裏側に降り石垣をチェックする北条&山城ガールズ。こちらには一夜城の北側の登城口があったはず。←同じく良い山城探検隊は真似をしないように。~


我らが小田原北条とその家臣団、そして、423年前ここに集った日本中の戦国武将達に・・・

献杯wine


石垣山一夜城や北条最後の当主・氏直さんへの思いをたっぷり妄想したブログ記事の一部です。

「それからの後北条一族」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-93b0.html
「天正18年の石垣山を歴友と歩く」h
ttp://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-017b.html

「小田原攻め、徳川の陣場めぐり」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-5964.html
「戦国フィナーレ、石垣山一夜城」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/the-b831.html
「もし今日、小田原城が落ちなかったら」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-9cc7.html


ほにゃ。

cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

画像はマリコ・ポーロが撮影したものです。

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