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2013年8月11日 (日)

報告▲八王子城の発掘調査見学会

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~焼土痕だらけの御主殿。全焼・・・だったのだよ。(落城忌の時7/30 撮影)~


サル8月10日、八王子城御主殿の未調査だった部分で発見された「池跡」と「礎石建物」が公開されました。


現地説明会はいつも急なのでなかなかお休みと合わず、今回は行けないと思っておりました。ところが、会社の人員の都合で先週からお休みがとれないでいたところやっと援軍の都合がつき、それがなんと!10日しか来れないから10日に代休を取れと言うのです。

これはきっと氏照どのが「見にまいれ」と呼んでいるに違いない・・・(と勝手に思い)馳せ参じてまいりまいた horsedash


wine 礎石建物

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~御主殿の虎口方面を背中にしてこの写真を撮った。左側に城山川がある感じ。写真左上の土のエリアが、トップにあげた写真の今回初めての発掘エリア。右側から手前にかけての綺麗に礎石が並んでいる部分は、先に発掘調査され整備が終わった部分。~


整備が終わった部分にある礎石は全てレプリカで、ホンモノは調査の後に保存のために埋め戻されています。礎石は石の色や景色・形・大きさ・高さなどを忠実に模し、位置も正確に上に配置してあるそうです。

手前の、芝が無く土が出ている部分が本来のものです。写真の下部がちょっと切れてしまって残念weep。なんせ、灼熱地獄で妄想族ならぬ朦朧族になってしまいやしてsunsweat01


かろうじて下に礎石がチビッと見えてますよね。ま、そんな感じで向こうまでず~~っとレプリカ礎石の下に主殿の礎石が並んで、再びの眠りについているわけです。

これは、非常に分かりやすかったです。脳内で3Gにしなくても、3Gで見せてくれるんですもん。

ホンモノの礎石達は、落城の際の「焼け焦げ」付きでした・・・

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~今回の発掘で出てきたエリアの方の礎石。焼けたので、礎石の上にも柱の跡が黒く枠取りされている。~


絶句・・・
ただ立ち尽くす。


礎石も焼け焦げですが、土も真っ赤。真っ赤ということは、かなりな高温で焼かれてしまっているということだそうですね。たいがいは茶黒っぽい痕になるらしいです。

この部分だけじゃなくて全域なんですよ。御主殿は、猛火に包まれたのだねえ。


これが、「開城」ではなく「落城」ということなんですねえ。前回の記事にも書きましたが、八王子城の落城は本城小田原城が開く決定打となり、そして、戦国という時代が終わっていくこととなりました。

現代の八王子城の、その旧暦の落城月に出現した焼け跡に、私はまさに 戦国の終わりを告げた瞬間 を見た思いがしました。(「戦国の終わりを告げた」は、「戦国の終わりを告げた城」という椚國男氏の著作からのものです。)


それにしても、
奈良のお寺などの礎石はある程度の成形がなされているイメージがあるのですが、御主殿で見た礎石は写真のような形状の他に、丸型だったり、砕かれたような・・・なんていったかなぁ~、伺ったのですが忘れてしまいましたが、いろんな形があるのですねえ。


今回の発掘調査で、礎石建物は建物の全容が明らかになったそうです。江戸時代も機能し、現代も宅地などで使われている城跡ではこうはいきませんでしたよ。


wine

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~今度は、御主殿虎口は向こう側~


池ですよ!
池っ!
a pond!

我らが本城小田原城の御用米曲輪からも素晴らしい池跡が出てきましたが、弟くん氏照どのの八王子城にもあったのですねえ、池。


約7.3m x 約7.7m。歪なひょうたんみたいな形。深さ約65cm。
外側の縁と底付近に石が巡らされていて護岸に石組みがあるとこも見られるようです。底面は、山砂利を固く突き固めた上に粘土が6-10cmの厚さで貼られているそうです(レジュメより)。

池の水は自然に集まってくるものだろうとのこと。写真の左側が営林さんの持ち物で掘れないのが残念なり。掘ったら、レースガラスのもう1個や2個出てくるんやないのかし。


興奮するのは、池はここだけではなく、私が写真を撮っているその後ろ側にももうひとつあるらしきことです。

つまりですねえ、絵が描けなくて申し訳ないですが、主殿と会所がL字状というか末広状のように建っていまして、その両方から2つの池が望めるという素敵な設計なんですな。って、こんな言い方じゃわかんないですよね~。

そして、そのもうひとつの池の向こう側には、傾斜した水路を挟んで2段状の曲輪があるのですわheart01


あ、それと、
池の中にある大きな石ですが、八王子城にいらしたことがある人でしたら見覚えがある石だと思います。

そう。上の部分(色が変わっているとこまで)が今までも見えていた、あの石です。こんなに大きな石だったのですねえ。高さは約1.8mもあります。


関東の城跡で庭園や池が出てきたところは少ない気がしますですよねえ。

落城忌の時に八王子衆が堆積物について伺ったところ、その時点では、それは少ないみたいでした。ということは、もう城の最後の頃に造られたのでしょうか。

この庭園を愛でながら酒が酌み交わされたのは、果たして何回あったのか・・・。


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~御主殿炎上(ガイダンス施設のCG)~


wine

八王子城の御主殿は私たち八王子城ファンや氏照ファンにとっては 聖域 です。

ここは、この城を日の本一の城にしようと築城に携わった人達や、城主氏照にあらんかぎりの力で仕え最後は奮戦及ばず果てた城兵達の「思い」が集約されている場所だと思うのです。


それはけっしてスピリチュアルな話でも感傷的な妄想でもないことは、上に挙げた写真が物語っています。そういうことって、八王子城に限らずどこにでもあることだと思いますが、特に落城した城跡はそうなんじゃないかなと感じるのです。


御主殿の床が出来上がった新装御主殿(?)で 、八王子城に生きた人達の思いを供養するために八王子城ファンや氏照ファンや北条ファンが集えるような法要を営むことができたらいいなあと思いませんか?

でもね、公の機関(市町など)というものは宗教行事は催せないのです。ガイドの会である「八王子城三鱗の会」もNPO法人ですから同様なんですな。

う~む。
保存会などが無い八王子城では、わらわの夢の実現は難しいのう despair


あ、そうそう。チト余談ですが、今、書いていて思い出しました。

この新しい市のガイドさんの会は、「八王子城 三鱗会」とおっしゃいます。NPO法人の純然たる ガイドの会 です。NPO法人ガイドの会である「八王子城三鱗会」では、手作り甲冑を着て「元八王子氏照まつり」や小田原の「北條五代まつり」などに参加もしています。

また、北條五代まつりの「氏照隊」についてですが、こちらは八王子の川口の「郷土史研究会」の方達です。八王子市観光協会のバックアップで毎年参加してらっしゃいますが、今年からガイドの会である「八王子城三鱗会」が加わりました。私はガイドではございやせんが、一応ご紹介させていただきやす。


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~先達方が見た、400年の眠りから覚めたての御主殿虎口(昭和61年)~

写真だけでも鳥肌が立つよねえ。整備される前のこの状態が見てみたかったですぅ。羨ましい~。(八王子郷土資料館の八王子城より)~


灼熱の御主殿。市の方達、お手伝いのNPO法人ガイドの方達、本当にお疲れ様でした。

ほにゃ。

cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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