八王子城の「庭園遺構」がより凄いことになっています!
~11/13 読売新聞朝刊文化欄~
人生いろいろ。お城もいろいろ。池もいろいろ。
期せずして同じ時期に、我らが後北条の本城とナンバーワン支城から、それぞれが違うタイプの素晴らしい池を有する庭園跡が出現するとはどういうことなのだろう。
これは、何かの啓示に違いない!
~ピンクのラインが池に沿った敷石道。右側は当時の砂利敷き(下は暗渠)。手前のブルーシートの先には橋があったような痕跡も。左手前は今回新たに出てきた水路。底部も敷石。2013.11~
八王子城御主殿の庭園が、8月の現地説明会の時より遥かに進化。大きな期待が出来る今後の発掘調査のための準備と、劣化が進んでいるためとで、来週の月曜日からいったん埋められるそうです。(加筆~その後、月曜日の埋め戻しは延期との情報をいただきました。ただ今月中には確実のようです。)
池の形状は複雑で、ウネウネと建物を取り巻くように続きます。この池はまるで曲水の宴ができそうな感じですねえ。
池には敷石の道が沿い、山側(写真の左側)には少し高い場所があって、そのあたりが借景として山と見立てられた所だろうとのこと。いかにも、室町時代の庭園風ですよね~。
巨大な石々もダイナミックに配置され、また、池に土砂や雨水がはいりこまないように岩盤を削り石をはめ込むという工夫もされていました。
造園プロデューサーは誰だったのか知りたいものですが、最終的にはこれは氏照どのの趣味なのでしょうねえ。大胆にして繊細で雅び。北条氏照の性格をまさに表しているような気がします。
ついこの間まで私達は、八王子城にはちょっとコジャレた枯山水の庭があると思っていました。そして、この夏に、そこは枯山水ではなく水を張った池であることが分かりドびっくり~。
ところが、それから2ヶ月で、御主殿にこの壮大な池が広がっていたことを知り、逆の意味で茫然と立ちつくすことになるのです。
しかし、この御主殿に公方の御成りをあおいだり傘下の武将の表敬訪問を受けたりして、この庭園を披露しながら宴を催すことは……ほぼないままに落城をむかえてしまいました。山側の断面には、「落城面」を示す黒いラインが見てとれます。これは、炎上した城跡にしか見られないものなのだよ。。。
幻の庭園ですねえ…。
~あらたに出てきた巨石を画像アップ♪にしてみた。向こうに見えるのが例の今まで見えてた巨石だが、小さく見える。石は成形されているようで、石目もよく見える。~
八王子城になぜこれほどの庭園を作ったのか。この庭園も未完だったのか。現代の歴史・城郭ファンにとっては、八王子城の魅力のひとつである「謎の多さ」の「謎」がまたひとつ増えました。
というか、この庭園自体が八王子城の最大の魅力になったかな。
礎石はすでに焼けコゲの跡が薄れてきたり、ヒビが入ってきたりしているそうでブルーシートが掛けられています。これでは、いったん埋められてしまうのは仕方がないですね。更なる発掘調査を楽しみにしますとともに、礎石のレプリカは、ぜひ焼け痕付きでお願い致しまする。
八王子城の魅力は、皮肉にも築城時ではなく落城時なんです。訪れた人達にも、臨場感をもって落城の悲劇が伝わると思います。
この土日がこたびの発掘では最後の見るチャンスですよん。ロープの外からでしたら自由に見られます。(上にも加筆致したが、埋め戻しがいつになるか分からぬゆえ早う見に参れ by 氏照。)
8月に現地説明会が催された時のブログ記事です。
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-cac0.html
ほにゃ。
コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。
| 固定リンク
「00.八王子城と北条氏照」カテゴリの記事
- 一昨日の「八王子城発掘調査」のお詫びと訂正(2020.12.03)
- 浴室だった?~八王子城の発掘調査状況(2020.11)(2020.12.01)
- 八王子城発掘調査始まっています!(2020.11)(2020.11.14)
- 滝山城 講演会「上方の儀に付き、際限なき御用に取乱れ候」2020.11(2020.10.23)
- その④~北条氏照を 介錯 した「伊勢大和守」(2020.10.04)
「03.氏照と八王子城以外の北条」カテゴリの記事
- 宗瑞は京で失脚したため駿河へ下った!?~森幸夫氏(2020.12.22)
- 虎朱印 の「虎」の由来は?(2020.11.08)
- 追記~北条氏康の長男と北条家和歌短冊集(2020.03.24)
- 今日(3/21)は、北条氏康の早世した長男の命日です(2020.03.21)
- 「北条氏綱像」は後世に改変されたのか?(2020.03.06)
コメント