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2013年11月27日 (水)

小田原北条の「御用米曲輪」見学会(2013.11.23)

Img20131124_135926
~池跡を南西側から見たところ。写真左上が現在の天守閣。(2013.11.23)~

水色の矢印の上側は江戸時代に崩されたもので、後北条時代は「山」に見立てた借景だったようです。水は、その下から滝となって流れ落ち、ズズズ~ッと私が立っているところの後ろ側へ流れ、たぶんそれはそのまま現在の二の丸へ続いていると思われます。

池の深さは130~180cm。池底の土抗(水を溜めやすくする)も見ることができました。


あ!しまった!
上段の水はどこから来ているのか伺うのを忘れた!

でも、江戸時代の鉄門から御用米曲輪に降りるスロープ(石段?)に沿って水路が出てきていたから、ということは当時はここの上に取水できる何か湧水みたいなのがあったのかな。


思えば・・・confident
発掘が始まった御用米曲輪に始めて入り、後北条時代の障子堀が出てきたのを見て狂喜乱舞したのが3年前。その後、当ブログでも拙いながら発掘の様子を追いかけてまいりましたが、このような素晴らしい400年前の情景が現代の御用米曲輪に広がってゆくなんて、アタシャ想像もしませんでしたよ。crying

掘るそばから出てくる。掘ればほるほど出てくる。小田原のインディー・ジョーンズさん達は、一人一頭ポチ(ここ掘れワンワンdog)を飼っているとしか思えません。「新九郎」とか「千代丸」とか名前を付けて。


ということで、行けないと申していましたが、どうにも我慢できずに行って参りました。どうしてもの私用があったので、朝一番の回にダッシュ!です。

そして、分かりました。


少し前のブログ記事に「石塔は剥き出しではなく上を土が覆っていたらしい・・・ショック・・・」とかなんとか書いたりして気になっていた件(くだん)の護岸の石塔のことです。

池には、構築時、1期、2期と、3時期の変遷があったと考えられるそうで、2期には池の一部を砂利で埋め立てて使っていたそうです。


石塔は、2000個以上。この池のために再加工されているそうです。最大15段、高さ約190cm。こういう護岸の池は全国にも例はないそうですよ。

内側の護岸に使用するならわざわざ再加工する必要もないですよねえ。どこからインスパイアされたのでしょうか?日本に例がないということは、当時の大陸や朝鮮半島の庭園などにはそういう池があったのでしょうか?それとも、まったくの後北条オリジナルなのでしょうか?


また、構築時には「橋」があったようです。池底には「橋」の橋脚の跡と考えられる柱穴がみてとれました。

「橋」は下の写真やトップの写真の、池が湾曲し岬のように突き出たところ(白い土嚢がたくさん積んであるところ)から反対側の岸に向かってかかっていたようです。

Img20131123_141730
~岬の突端に立ち、妄想まっただ中のわらわ(オレンジのモワモワ)。向こう岸まで写っている写真が無いsweat01。~


その「橋」って、こんな「橋」だったら素敵~♪

Img20131125_224145_2
~細川邸(上杉本より)~

高台寺とか渉成園など京都のお寺でこういう橋を見ますよね~。ただこの「橋」は、埋没状態からしてその後廃止されたらしいです。なんでですかね~。臨戦態勢に入ってくるとそれに相応しくないからですかねえ。それとも地震で崩れた?


岬の上方には掘立柱の建物(あずまやみたいなのかな?)があったらしく、その掘立柱の跡も出ていました。この建物には床があたかどうかは分からないそうですが、下は暗渠になっていて、後側にある井戸から暗渠を通って水が池に流れるようになっているそうです。

韮山から取り寄せた江川酒を飲みながら、ここで池を愛でたのでしょうかね~bottle。なんて、エレガント!このうえは、観月台moon3もほしいところですな。


そして、写真の岬の向こう側からは・・・

Img20131123_211002

さて、なんでしょう?

なんと、船の部材とみられる木片ですって!構造からして、まずそうだろうとのこと。水から出ていた部分(白いライン)は腐敗して消滅。残っているのは、水の中にあった一部です。

池に船を浮かべた景色もよく風雅な庭園で見ますよねえ。実際に乗ったかもしれませんし、わざと半分沈んでいるような趣にした場合もあります。先日も、古河の鴻巣館跡で見ましたよ。御所池にうつ伏せに沈めていました。


御用米曲輪の見学会は、他の小田原の発掘現場と同じくここ数年に渡ってたびたび行われていましたが、後北条時代の遺構が出てきてからはますます力が入っているようですね。特にこたびは10、11、12月と3ヶ月連続シリーズの掘りたてホカホカの大サービス。

北条ファンだけではなく、たくさんの歴史・城郭ファンが全国から訪れています。10月は約千人だったそうですよ。たった1日の発掘説明会にこんなに人が来るなんて、高松塚や三内丸山を越えましたな(←いや、そこまではいってない)。


掘るそばから見せてくれるということは、よく分からないことが多いということです。インディ氏はおっサリます。「今の状態がこうです。明日はまた変わっていると思います。」

小田原市やインディさん達からするとこれは勇気がいることだと思いますが、私達のような素人の歴史ファンからすると、嬉しく楽しいことですよね~。だって、妄想し放題じゃあないですか。

見学後には、小田原のアチコチのお店でご飯を食べたりお茶したり(お酒したり)しながら、あーだったんじゃないか、いや、こーだったんじゃないかと、仲間達で話が盛り上がったはずです。

SNSでも、皆さんの妄想が果てしなく広がっていますよ。「また来月も絶対行かなきゃ!」「来月こそは絶対行くぞ」って。


配布されたペーパーの最後にはこう書かれていました。

▲ 実は、西側の調査区ではすでに礎石建物が複数棟みつかってきています。今後の調査で、更に戦国時代小田原城の実態が解明されることが期待されます。
御用米曲輪では、12月21日(土)にも現地説明会を開催します。1ヶ月後にはどこまで調査が進み、どんな新しい成果が発見されているのか・・・。一緒に体感していただけると幸いです。▲


「一緒に体感」を「一緒に妄想」と読んでしまったマリコ・ポーロですが、つまり、次は、
ココあたり↓ですかな。

Img20131124_140207
~左端に水路が見えるのう・・・~

池もよかとですが、複数棟の礎石建物のが興味あり。でも、12月の21日なんてクリスマス商戦のピーク。絶対、完全に、行けませんcrying。仕方にゃいね。


本城が、どえりゃ~ことになってるでやぁも(←清洲会議を観て来たばかりなので、おサル弁が脳にこびりついている)ですが、八王子城だって負けとりゃーせんで。
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-8c21.html


ほにゃ。

cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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