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2013年12月11日 (水)

後編~古河公方の古河を歩く

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~松月院御所塚~


古河公方ファンのファンタジーワンダーランド古河歩きの、続きでござる。

北条の血をひく者達の墓所(徳源院)~最後の古河公方の姫・氏女(うじひめ)ゆかりの麗しの観音さま~鴻巣御所、と妄想歩きをしております。次は「徳源院」と同じく「足利三ヶ院」のひとつ「松月院」跡へ参りますぞえ。


鴻巣御所跡(古河総合公園)を出て畑沿いの道を3-4分歩くと、畑の真ん中に木々が茂った土盛りのようなところが見えてきます(前編の最後の写真)。そこが、「松月院」の跡(の一部)です。

案内によると、元は「千光院」というお寺だったそうです。千光院といえば、三代高基ですよね。ここは高基の菩提寺だったのでしょうか。


高基といえば・・・

パパ政氏と争い→弟の義明とも争い義明は小弓公方として分離独立→息子の晴氏とも争い敗れ引退。と、古河公方についての知識が浅い私には、身内争いが続く古河公方中でも最もそれに明け暮れた人のようなイメージがあるのです。


そして、歴代公方では一人だけ名前に「氏」がつかなかった人でもありますな。

なんでも、当初は「高氏」でしたが「尊氏」と同じ呼び方になってしまうのでそれでは恐れ多いと改名したそうですね。それなら他にも色々と考えられたとも思うのですが、なにゆえ「氏」を継承しなかったのかな。正室の子ではなかったのかな・・・?だから弟とも争った?


古河公方初代・シゲッチ(成氏)の正室は梁田の娘。二代・まっさん(政氏)の正室も梁田氏。三代・タカピー(高基)の正室は宇都宮の娘。四代・はるる(晴氏)の最初の正室も梁田氏から。

はるるの後妻から北条の血が入っていくわけですが、北条が参入するまでの古河公方家を囲む勢力図が分かりますねえ。


シゲッチだの、まっさんだの、タカピーだの、はるるだの、ヨッシーだの、なにふざけた呼び方しとるんだ!ですが、ややこしいんですもの。ただでさえ、我らが北条だけでも「氏」だらけ。こうでもしないと、このうえ関東公方家まで覚えられないよ。

と、話はそれましたが、
タカピー殿の菩提寺「千光院」はその後、ひ孫である義親くん(もう、あだ名が浮かばない)の正室・松月院様の菩提寺となったので、名前も「千光院」→「松月院」と変わり→明治に廃寺となったそうです。


「松月院跡」には2基の墓石が残っていました。トップの写真、右側の木の奥です。1基には御所車の紋が彫られているのが見えます。松月院さまは榊原忠政の養女だったそうです。榊原家の紋は御所車。なので、こちらが松月院様のお墓ですね。

タカピー殿の墓石は分からないそうですが、もう1基の宝篋印塔がその可能性ありやなしや?


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こちらは同じく松月院跡にあった庚申塔です。何か文字が見えまするな・・・。 「下総葛西うんたら」。

なんですとっ!
下総葛西ですと!
ここのところチョクチョク書いている、最後の古河公方であるヨッシー(義氏)がいっとき御座所とした城ではないですか!

ほう?
葛西から鴻巣へ移してきたのでしょうかねえ。


それ以上は見えませんな~。見えても読めないし・・・と残念な思いを残しつつ、御所車とお姫様(松月院様)が彫られたチョット江戸時代風味のスタンプを捺しましょね。

ペッタン

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~永仙院 遠景~

爽やかな秋の風をうけながら畑や住宅街の間をしばしテクテクテクテク歩きます。途中にいくつかお寺や神社もあるのですが、今日は忠実に、すぐれものの集印帳「古河公方コース」(前回のブログご参照)に沿って、古河公方だけに浸るつもりなので寄り道せずに参りましょう。

国道354の近くになると、大きな大きな木が一本見えてきます(上の写真)。どうやら、あれが永仙院の跡のようですね。崩れかけた門柱に「永仙院」と読めました。


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~永仙院(ようぜんいん)跡。向こうに見えるは渡良瀬川に架かる新三国橋。~

こちらも同じく廃寺となっていますが、我らが氏綱公と組んで相模台(第一次国府台)で小弓公方を滅ぼし、氏康殿の妹(芳春院殿)が嫁いだ四代・はるる(晴氏)の菩提寺だったお寺です。はるる殿の法名が永仙院なんですね。

また、古河の名医・田代三喜や、鎌倉円覚寺関係の僧らの菩提寺だったと説明にはあります。ということは、これも再三ブログで取り上げてきた芳春院さま(はるる後妻)やヨッシーさん(義氏)の奏者で実力者であった周興のお墓もここにあったのでしょうか…?


はるる殿は、
北条と同盟を結んだものの妻と離縁させられ、追い出され→幽閉され→後妻の北条の姫・芳春院は息子の五代ヨッシーの後見として権勢を誇り→はるるは、先妻の息子と反旗をひるがえしたものの敗れ→ひっそりと野田氏の保護下で生涯を終える、というこれまた抗争にあけくれた人生を送った方でした。

永仙院跡にはたくさんの古~いお墓や板碑があります。その中に はるる のお墓があるのかどうかは分からんと何かで読んだ気がしますが、野田市のHPには「宗英寺」というお寺に ある はるる のお墓が載っていました。


我らが北条に最も翻弄され敵対した方だな~。「すみませんでしたねえ」と、何も私が謝ることはないのですが、心のなかで唱えながら高僧の絵が彫ってあるスタンプを捺しましょね。

ペッタン

うえ~ん。もう全然時間がありません。それぞれの場所で妄想し過ぎました。このあとは、猛ダッシュです。

長谷観音~♪
こちらも今まで出てきた寺々と同じく、シゲッチ(成氏)が鎌倉から勧請したそうです。

龍が彫られたスタンプを捺しましょね。

ペッタン

八幡神社~♪
同じく、鎌倉(鶴岡八幡宮)から勧請。 元は古河城内にありましたが、寛永年間に城下へ移されたそうです。

天然記念物の大イチョウが彫られたスタンプを捺しましょね。

ペッタン


なんだか、「水曜どうでしょう」の四国八十八か所巡りみたいになってきたな・・・

尊勝院~♪
同じく鎌倉よりシゲッチと一緒にいらした。シゲッチの祈願所だったところだそうです。

尊氏ゆかりの不動明王の、お顔が彫られたスタンプを捺しましょね。

ペッタン

神宮寺~♪
シゲッチが鎌倉で帰依していたお寺で、僧侶も十一面観音もシゲッチと共に古河へ移ってこられたそう。

まあ、成氏が鎌倉にいられなくなったので、成氏関係のお寺やそれに付属する僧侶達も当然に鎌倉では生きてゆけなくなったのでしょうねえ。

と納得しながら、十一面観音が彫られたスタンプを捺しましょね。

ペッタン

というところで、タ~イムアップ。

関東争乱の始まりであるシゲッチの菩提寺「満福寺」も、鴻巣よりかなり離れたはずれにあったため行けませんでした。

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~ 全部は廻れなかったので、まだまだ古河の歴史は理解できとりやせんです~


足利成氏は、鎌倉に帰りたかったのかな。それとも、古河の地に鎌倉を再現したかったのか。

そして、北条の血を濃く受け継いだ最後の古河公方の娘であり、小弓公方の妻だった氏女(うじひめ)。古河でその波乱の生涯を終えた彼女はなにゆえ喜連川に行かなかったのか・・・。


跡・跡・跡の古河公方めぐりでしたが、「跡」がゆえに、かえって様々な妄想に浸れた晩秋の一日でした。


▲ 古河公方ファンタジーワンダーランドを巡るアドバイスでござる

古河公方ファンのみならず、後北条ファンにも非常におすすめの場所です。一緒に祇園城とその周辺の城郭とか足利学校&鑁阿寺などもまわりたくなりますが、以上だけでも丸一日がかり。

一ヶ所での妄想時間が長いマリコ・ポーロではござりますが、古河城跡にさえいけませんでした。古河歴博も古河公方充実ですし、古河は江戸時代の城下町で素敵な飲食店もありますから(入ったことないけど)から、何回か通うことを覚悟でゆっくり散策されることをお勧めします。


ほにゃ。

cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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