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2014年1月16日 (木)

講演会「鑁阿寺と足利氏」at 金沢文庫

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~金沢文庫に隣接する名刹「称名寺」の三鱗は▲▲▲前北条の三鱗~


先日、三浦半島の金沢文庫で行われた「鑁阿寺と足利氏」の講演会に行ってまいりました。

「鑁阿寺」と聞いて八王子衆が思い浮かべるのは、我らが北条氏照の禁制です。その氏照どのの管轄であったことから、最近は古河公方にちょっとだけ首を突っ込んでいるマリコ・ポーロ。

講演会は室町期全般にわたる鑁阿寺のお話かと思って参加したのですが、開基の足利義兼~頼氏あたりまでの鎌倉時代の頃のお話でした。

あにゃ~down と思ったら・・・
ところがぎっちょん、と~っても面白かったのですup


金沢文庫とは読んで字の如く、金沢北条氏の「ふみくら」、書庫ですね。

金沢文庫については以前に「瀬戸神社展と金沢文庫」のところでウィキペディアみたいなことを書きましたので、よろしくばこちらを→http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post.html

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~席は満席の超満員~


さて、足利義兼といえば、尊氏殿の3-4世代も前のことです。我らが後北条が活躍したのが今から400年あまり前。それよりも、尚400年も前のことなんですねえ。

義兼は母上が源頼朝のイトコだったため、頼朝の旗揚げの時から従っていたようです。鑁阿寺は、義兼がパパ義康の菩提寺として館の内に大日如来祀ったことから始まりました。いや、パパではなくママの菩提寺が最初だとも言われているそうですが、義兼のママはじめ前半の当主のママ達は前北条(北条執権家)から出ているのですね。


講演は文書を元に進められ、ほとんど知らないことだらけだったので終始、ほお~catface、へぇ~confident、しょえ~wobbly で聞き入りました。

ぜんぜん知らないので、いつもの後北条関係の講演会の報告のようには書けないのですが、足利氏館のこと、足利学校のこと、樺崎寺→樺崎八幡宮のこと、樺崎寺の赤御堂のことなどなど・・・とても興味深かったです。


鑁阿寺は当初は「堀内大御堂 ほりのうちのおおみどう」と呼ばれていたとか。周囲を堀に囲まれた足利館の内ですから、「堀の内」。そのまんまです。

大御堂は東西2つあったとかも知りませんでした。


2つの大御堂はチョー仲が悪く、法要などの年中行事も別々に行っていたとか。それを、一緒にやりなさい(一味和合)としたのが義兼より四代あとの家時で、この家時は母親が北条執権家から出ていないため難しい立場にあり、なんと自殺したのだとcoldsweats02

当主が自殺ってドびっくり~ wobbly ですが、そういえばそれって太平記にありましたよね!


話は講演会からそれますが、
「七代のちに生まれ変わって天下を取る!」と言い残した源義家。その七代のちが、家時です。しかし家時はその使命を果たすことができませんでした。

家時もまた置文を残します。
「家名を守らんがため、一命をなげうつのみ!三代のちにたくす。我にかわりて天下を取れ!」
そして、自害。


その三代のちの子孫というのが・・・そう、足利尊氏なのです。

家時の置文の真偽は知らないですが、大河にもありましたよね~。緒形拳さんのパパ貞氏が、置文の存在を知って見たがる尊氏くんに、まだ見るのは早いとかなんとか言ってたような、違ったような?

そして、真田広之さん演ずる尊氏が、家時の置文を家臣達を前に涙ながらに読み上げるシーン(←古くて知らない?今、そうだ!と思って検索したらYouTubeにありました、そのシーン。上のセリフはそこからです。観てみて)。


話を講演会に戻し、
講師は館長さんでした。館長さんは栃木県史の編纂をされていたとのことで、お話に力rock がはいっていました。

どうしても我らが北条氏照時代の鑁阿寺が頭にあって、鑁阿寺の一番の使命は義康&義兼とその夫人達の供養をすることであるという、考えてみれば当たり前のことにはじめて気が付きましたよ。

室町後期になると鑁阿寺は、「鎌倉の支配から抜け出ようと様々な工作をしていくことになり、また、足利氏の勢力がガックリ衰え血筋だけで成り立っている時代をむかえ次々とパトロンを求めていく」という時代の流れも実感できました。


どっぷりと鎌倉時代の鑁阿寺に浸ってしまったので、講演が終わり文庫からトンネルを抜けて称名寺の境内へ出た時に・・・↓

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しばし、そこが鑁阿寺かと錯覚してしまいました。


講演後は称名寺参道の「ふみくら茶屋」でお汁粉をいただきました。4月の漁がある日はシャコが入るそうです。

2月20日(木)からは、「中世密教と玉体安穏の祈り」展が始まります。文庫の特別展を見学したり、講演会や講座を拝聴したり、また、境内を囲む標高70mあまりの裏山(金沢山)を散策したあとに、シャコ刺や穴子と〆張鶴bottleでチョイと一服もいいかもしれませぬのう。


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~ふみくら茶屋~


horse 鑁阿寺には、こんな素敵な節分行事もあるんですね。知人の武将殿も参集するようです。
「鑁阿寺 鎧年越し」
http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/site/ashikaga-kankou/i-toshikoshi.html
県立金沢文庫HP
http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/bunkogaiyou.html


ほにゃ。

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。
コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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