« ついに分かった?北条氏照正室の最後と、氏綱正室の出自 | トップページ | 講演会「中世東国史の軌跡と未来」 »

2014年5月24日 (土)

「柏の城」 北条氏照、第3の室の最後

前回の、「ついに分かった?北条氏照正室の最後と、氏綱正室の出自」の続きでござる。


柏の城(志木)にある氏照夫人の墓

 Img20140502_135930_2
~主郭部は今は学校となっていて入れないが丁寧な説明板がある~


それは、黒田基樹編『論集 戦国大石と国衆 武蔵大石氏 2010.5』の中に収められている「武州前沢浄牧院と大石氏」by 前島康彦 に書かれているのであ~る 、と深谷衆。

うぎゃー、また黒田氏関係の本ですか。どれだけマリコ・ポーロにお金を使わせるのじゃー。ということで本は買わずに図書館へ行き、またコピー。(こういうのもねえ、ペーパーだらけになりませんか?皆さん、どうやって整理しているのだろう。)


それは、論文の本文ではなく注記の部分に、参考までにと揚げられていました。

▲ ・・・比左は若くして氏照の室になったが、古記にあるように別殿を作って仏を祭り、仏国禅師、一種長純、桂厳和尚等当時の名僧を招いて念仏三昧坐禅を習うといった変った女性のようであって、氏照が女人禁制の誓いを立てて、夫人を寄せつけなかったので、これを恨んで自殺したという事実は無かったとしても、この夫婦生活は、極めて短時間のようで、夫婦仲も決して幸福ではなかったと思われる。・・・▲


まあ、そうでしょうな。
尚も読み進むと、

▲ ・・・参考であるが、埼玉県入間郡志木町の城跡に、天正十八年八王子城落城当日、柳瀬城(滝の城)から逃げて来て、ここで自殺したという女性の墓というのがある。北条氏照夫人との伝えがあるが、碑面は全く摩耗して、僅かに六月二十三日の外判読できない。・・・▲


なんと!志木町の城跡って、柏の城ですよね。滝の城から逃げてきたですって?浄牧院ではないの?それとも別の女人?

まったく見当もつかないので、まずは志木町に問い合わせてみました(HPからメールで)ところ、分からないそうです。それで、郷土史研究の方に聞いてくださるとのこと。親切ですねえ。が、しかし、その方もご存知ないとのことでした。


いったい前島氏は、どこからその情報を入手されたのでしょう?

あ!城跡って必ずお寺がありますよね!ネットは便利。「柏の城 寺」で検索してみました。


出てきましたよ。「長勝院」というお寺が城跡にあるようです。お墓がここにある可能性は高いです。前島氏はこちらの御住職あたりから聞かれたのでしょうか。お寺にお電話してお墓をお参りできるかどうか伺ってみようと思いました。

が、しかし、電話番号がどこにもない。お寺なのにどうしてでしょう。志木市に今度は電話で問い合わせてみたところ・・・廃寺となってしまったそうです。


がび~ん

でも、石仏と板碑とかが残っているらしいとのこと。現地妄想派のマリコ・ポーロ、柏の城も行ったことがないし、よし!ここはひとつ行ってみようかね。


話は逸れますが、よく「行動派だねえ」と驚かれますが、これは、神奈川・埼玉・千葉、東西南北・四方八方どこへ行くにも非常に便利なところに居住しているせいかもしれません。

そんなこんなで、東武東上線の柳瀬川の駅から、トコトコトコトコ、城跡を感じさせるカーブした坂道を登っていくと、かつては長勝院があり今は駐車場となっている「西の曲輪跡」に着きました。


そこで見たものは・・・

Img20140502_135743_2

どっひゃ~~~

なにごて、こじゃんと あるがぜよ!
ごちゃまぜ、てんこ盛りー。これじゃ、まったく分から~ん!


駐車場の隅に「西の曲輪跡」の説明板があり、お花なども供えてありましたが、まさか一個づつ石仏やらなにやらを動かしながら調べるわけいもいきまへん。一人でそんなことしてたら変な人と思われちゃう。

いや、すでに変な人だから変と思われてもエエのですが、捕まっちゃう?


ここには樹齢四百年以上の「長勝院旗桜」という立派な古木があり、開花の頃にはたくさんの人が訪れるそうですが、廃寺の末路とはこういうものなのか。

もったいないから、柳瀬川の護岸補強に使わせていただきますかね。小田原城御用米曲輪ようにね。なんちてね。

 

Img20140502_135957

柏の城跡は、まったくの住宅街となってしまっていて、城郭スキーな縄張りレンジャー様方にはスペクタクルさはないと思います。でも、アチコチに説明板があり、土地の高低差も残っており、私のような城跡妄想族にとっては十分に楽しめる城跡でござりました。


全ての謎は謎のままですが、伝承や残された物から推し量るに、天正18年、八王子城からは、けっこうな数の上級クラスの女人達が支城に逃れていったということは確かなようで。


「浄牧院~北条氏照 「謎の内室」の墓」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/at-a586.html

「後北条の女領主、伊豆の崎姫」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-d6d6.html
「早雲・秀吉の兵火に耐えた五体の運慶仏」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-a414.html
「玉縄城主・北条為昌の菩提寺で、ビビッときた氏綱ご正室の出自」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-2c49.html
「前編~玉縄の北条為昌&氏綱ご正室・養珠院の謎」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-47de.html
「後編~」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-2d95.html


萩真尼 こと マリコ・ポーロ

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

 

|

« ついに分かった?北条氏照正室の最後と、氏綱正室の出自 | トップページ | 講演会「中世東国史の軌跡と未来」 »

0.八王子城と北条氏照」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「柏の城」 北条氏照、第3の室の最後:

« ついに分かった?北条氏照正室の最後と、氏綱正室の出自 | トップページ | 講演会「中世東国史の軌跡と未来」 »