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2014年5月 1日 (木)

名胡桃事件の地「名胡桃城」へ!

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~出来立てホヤホヤの新しいパンフレット。三国街道や清水峠のことなども織り込まれた充実の8ページ。~

企画制作: みなかみ町歴史ガイドの会
監   修: 同会の渋谷浩氏
甲冑の絵: 同会のガイドの方
発   行: みなかみ町観光課


2ヶ月とちょっとのご無沙汰です。皆様お変わりないでしょうか。


さて、消費税改変の狂乱も一段落。行ってきました、名胡桃城!

北条ファンにとっては因縁の城なのに一度も行ったことがありませんでした。先に当ブログでもご紹介した森田善明氏の著作「北条氏滅亡と秀吉の策謀」を読んで、後北条の追っかけとしてはやはり一度は行っておかねばと思ったのです。


(ここで一言
わっちが何を読んで何を妄想し誰に何を紹介しようが、法に触れない限りはこちとらの自由でござんす。ええ、ごめんなすっておくんなさいましよ。
そして、私の知り合いの方達や、ご面識がなくてもコメントをくださる方達は皆さん、それは個人の自由と考えてらっしゃる方ばかり。心強いです。)


そんなこんなで、上州はまだ雪が残るとはいえ、いとうららかな・・・いや、暑いぐらいのある初春の一日、単騎ひそかに敵地潜入!ドキドキワクワク大侵攻~♪。

と思いきや、名胡桃衆と親交のある「旧八王子城とオオタカを守る会」の重鎮が情報漏えいしてくださったお陰様で、敵地名胡桃では名胡桃衆の方達が鶴翼の陣にて(←ウソ)待ち受けていてくださいました。


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まずは、上毛高原駅構内で限定展示されている「三国街道・信濃路・北国街道絵図」を見ながら、三国街道と北国街道の説明をいただきました。

展示の絵図は、普段は名胡桃の資料室に展示されているもの(複製)を大きく拡大したものです。三国街道と北国街道が平行して描かれています。

天明の噴火のことが書き込まれているので、多分その後に描かれたものだろうとのこと。また、板橋から長岡までの絵図なので(長~い)、描いたのは長岡藩の人だろうとのことです。


ピンクの○印や矢印のところを拡大してご覧になってくださいまし(見えないかにゃ~)。北条と滝川一益の神流川の戦いのことが書かれているのですよ。矢印が神流川です。氏康と氏政を間違って書いているのを後で赤字で訂正しています。

これは面白いですねえ。見飽きません。「北条のことが書かれているから見せてあげたかったの」と、上のパンフの甲冑のイラストを書かれた、みなかみ町歴史ガイドさんの お英の方様。(ガイドさんガイドさんと書くのも恐縮なのでここでは、おひでのかた と呼ばせていただきまする。)

ううっ うれぴい。


駅を出て、お英の方様の鉄馬に乗せていただき、最後は北条の城となった小川城を通り抜け、いよいよ六連銭の幟が上州の空っ風にハタハタはためく真田エリアへ。ドキドキワクワク大侵攻~♪

名胡桃城の案内所兼資料室にはガイドの会の会長で上野研究家の渋谷浩氏や観光課の方、同じくガイドさんの お福の方様(←ふふふ)がいらしていて、コーヒーと名産のリンゴをいただきながら、ひとしきり上野(こうずけ)の話しを伺いました。


資料室には名胡桃の歴史を紹介するDVDや数々の資料が展示されていました。例の、俗にいう秀吉の宣戦布告状(複製)もありました。そこで思ったことなのですが、というか、いつも色々なところで思うのですが、どこも貼ってあるのはおサルのこの宣戦布告状だけ。

それに対する北条側の氏直さんの返書も貼ってある所は私は見たことがありません(どこかにあったら失礼。それとも、所有者の意向で出来ないのかにゃ。)


特に北条関係の資料館・博物館さんには、是非、両方の言い分を並べて貼っていただきたいと思うものです。

双方の言い分を見比べながら、どう判断するもどう妄想するも、それは現代の歴史ファンの自由。


とはいえ私がそう思ったのは、森田氏の著作を読んでからです。著作の内容については、私は不勉強ゆえどうこう申せないのですが、北条ファンを名乗っていながら、私は秀吉の書状ばかりにとらわれていて、我らが氏直さんの言い分に耳を傾けてこなかったことに気が付いたのだよ。


そんなことも名胡桃衆の方々とお話しし、「徳川は真田が嫌い。上田のことをずっと根に持っている」な~んてことも聞いたりなんかしたりして、1時間半位は案内所にいたかな~。話し込み過ぎだって?

それにしても名胡桃城のガイドさん方は皆様とても詳しくて、勉強してらっしゃるようで、圧倒されました。と同時に、私などはまだまだなのにブログに分かったようなことを書き連ねていることの反省もさせられました。皆さん森田善明氏の著作も読まれていて、敵方の情報も怠りなく収集?してらして、私が申すのも僭越ですが感服いたしました。


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~本郭から狼煙台を眺める。逆光で暗くなっちゃった。スマホなので。デジカメ欲しい。~


城跡は六連銭の幟がはためく真田街道に分断されていますが、その街道の反対側の水の手がある曲輪や狼煙台なども含めると城跡は広域なんですね。何故だかなんとなく、もっと小さい城を想像しておりました。ご無礼いたしやた

城郭自体のことについてはたくさん書かれたものがありますので、私なんぞが書くよりはそちらをご覧いただく方が建設的だと存じまする。


私も潜入する前に「関東の名城を歩く」などで予習していきました。

「武田氏との関連が強い」といわれる丸馬出と三日月堀が、埋め戻されているとはいえ痕跡がもう少しよく見られるかと思っていましたが、たくさんの城郭を見慣れていない私にはよく分かりませんでした。どこの城跡もそうですけれど、埋め戻しは仕方がないとはいえチョット残念。


さあ、名胡桃城でやってみたかったことをやってみましょう。

それは、ささ郭から北条領を眺めてみることです。

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~名胡桃城から利根川の対岸にある猪俣殿の沼田城を眺める。右の杉山でよく見えにゃいのが惜しい。明徳寺城はよく見える。~


皆さんと駅前の蕎麦処 天丸さんで 真田御膳(だったかな?)をいただいながら、引き続きワイワイと歴史話。

沼田あたりは、来年の大河「松陰の妹」でたいそう盛り上がっているとのことも伺いました。そうか。富岡製紙場か。と軽い驚きでした。

こちとらは、「松陰ならまだしも、妹?女が主人公の大河はもうやめてくれい」とか「長州といえば、どこかの総理のお膝元ね」などと閉口していますが、それぞれの土地の方達はまた違う考えをお持ちなんですねえ。


お昼の後は、お英の方様が駆る鉄馬にて沼田城へ向かいました。沼田城では、お英の方様が頼んでくださった沼田市のガイドさんが待っていてくださいました。

「で、どのへんのことを説明すればいいの?」とガイドさん。「北条さんのところからいらしたので、そのあたりのことを」と、お英の方様。お心遣い感謝です。


名胡桃から沼田へ向かう途中、利根川側から沼田城の全景を眺めました。そこからだと、沼田城内がこんなに公園化されているとは思えませんでした。

明治の初めにここを買い取った名士(入口に顕彰説明板がある)が、市民のためにどんどん公園化していったとのことです。歴史ファンにとっては江戸時代や戦国期の遺構を壊して・・・と思ってしまうものですが、圧倒的多数の歴史に興味がない人達にとっては公園整備はありがたいことだったかもしれません。

後世の市民のためには、本当は地元の歴史を残すことの方が大事だと私は思うのですが、時代も違いますし、なかなか難しいことですねえ。


ガイドさんのお話しで興味深かったのは、現代の沼田の人は真田が嫌いだということ。なぜなら、真田は沼田氏をやっつけちゃったからですって。

沼田といえば真田と北条しか頭になく、その前の沼田氏のことに思いがまわりませんでしたよ。沼田は、沼田氏ファンが多いんですねえ。ガイドさんも、沼田氏の話に一番力が入っていたように感じました。


「あなたは、こっちの方かな」と、ガイドさんに連れられて「古城」の方へ。そうそう、それがもう一つの、やってみたかったこと。

そこから眺めた名胡桃の城が、↓です。

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~利根川を挟んだ向かい側、手前の低い林のような山。真実は果たして!~


お英の方様もおっしゃていましたが、名胡桃は本当に北条の城に囲まれた真ん中にポツンとあるのですね。

しかも 肉眼で見ると、それぞれの城が驚くほど近い。いわゆる「対岸」というやつですな。八幡原で対した謙信くんと信玄殿より近い。滝山で対した滝山城と拝島の陣、昔の多摩川の巨人と日本ハムのグラウンド(←分かる?)のような感覚です。

真実は当時の関係者しか知らぬところですが、ここに立って思うのは、猪股が名胡桃を目障りだと感じたかどうかより、味方から離れ(すでに離れてしまっていた?)敵方の城に囲まれてしまった「かの城の城主とされる中山」の気持ちです。やっぱり北条に付くしかなくかったのかな。


この「2つの城から相手の城を眺めること」が、名胡桃を訪れる戦国ファンの醍醐味 ですよねえ。

しかし、公共交通機関での名胡桃←→沼田は交通の便がよくなくて大変。タクシーだって通らないし(もしタクシーにしても経費掛かるし)、ましてや馬 ウマ もない。土日だけでもシャトルバスが出るといいのになあと思うものの、マニアックだから費用対効果は期待できましぇんか。


お英の方様が、移動の途中で「あっちが名胡桃」「こっちが利根川」「あそこが三国街道」「ここからが吾妻」とかとかとか教えてくださったのも助かりました。

なんせ、ワテは異常な方向音痴なのでのう・・・。


沼田城を下城したあとは、もうひとつ行きたかった城「中山城」へ向かいました。中山城は我らが後北条の氏邦さんが造った城ですよ。

が、長くなったので続く・・・


利根川をあっちへ渡り、こっちへ戻り、おかげさまで天正17年を堪能することができました。 名胡桃衆の方々、沼田衆のガイドさん、お世話になりました。本当にありがとうございました。楽しゅうございました。深く深く感謝です。

また絶対お会いしましょう~。


そして、再び当ブログを読んでくださった後北条ファンと真田ファンの皆様(真田ファンは読んでないと思うが)、ぜひぜひ名胡桃と沼田へ行かれてくださいませ。「みなかみ町歴史ガイドの会」http://park3.wakwak.com/~mrg/


以下は、歴探さんの関連記事です。こちらも、ぜひお読みくだされ。様々な説があがり、我らが小田原北条が最後に辿った道の検証が活発になることを願うものです。

「名胡桃問題3‐2014.4」←最新ですな。
http://rek.jp/?p=6565

「名胡桃問題 -中山書付を巡る疑問-2010.3」
http://rek.jp/?p=2641
「名胡桃問題-関連地図」
http://rek.jp/?p=2690
「名胡桃問題2 -名胡桃城の存否-2013.6」
http://rek.jp/?p=6079


お知らせ

第2回 大磯城山公園~戦国時代絵巻
(盛況のうちに終了しました。追って従軍レポート致しまする)

日 時: 2014年5月6日(火・祝) 14:00 開演
場 所: 大磯城山公園 城山庵のお庭

北条友であり、監督兼脚本兼出演の三郎兵衛武将殿のブログより
http://ameblo.jp/tukuijou/entry-11826790124.html
「観光かながわNow」
http://www.kanagawa-kankou.or.jp/event/ev_detail.php?eid=ek06876
昨年のブログ記事より
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-4d62.html


by 萩真尼(しゅうしんに) こと マリコ・ポーロ←出家しました。えっ?


  画像は全てマリコ・ポーロこと萩真尼が撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです

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