「蒔田の吉良氏 戦国まぼろしの蒔田城と姫君」展
スッゴく面白かった!!!
そんなに広いところではないのに、それでも内容充実。2時間半もいてしまった。
先にお知らせいたしました、横浜歴史博物館の企画展 「蒔田の吉良氏」に行って参りました。
横浜歴博へはいつもは電車で行くのですが、極熱地獄の今日この頃。「横浜歴史博物館前」というバス停があるようなので、これなら目の前に止まるだろうと綱島からバスで行くことにしました。
さて、「横浜歴史博物館 前」というバス停で降りると、そこはショッピングセンターの前。ここはどこ?向こう三軒両隣を見回しても歴博の建物がありません。灼熱地獄の中ショッピングセンターのまわりを一回りしましたが…ない!仕方がないのでショッピングセンターの中に入り、入口近くのお店何件かで「横浜歴史博物館はどこでしょうか?」と聞きましたが、誰も知りまへん。
あにゃ~?ど~して?
またもや仕方がないので歴博にお電話して伺いました。「横浜歴史博物館 前」のバス停にいるのですが、どこでしょう?と。なんと、横断歩道を渡って地下鉄のガードを潜った先とのこと。
それって「前」って言いますかね、横浜市さん。
灼熱地獄の中、テクテク歩き博物館の建物へ。が、しかし!そこは建物の横側の駐車場。入口へはぐるっと回らなければなりません。あー、もう、熱中症でブッ倒れそうでござるぅ~。
そこでマリコ・ポーロ、キョロッとあたりを見回し、ひらり!(傍から見たら、どっこいしょ)と、駐車場の柵を乗り越えた。
そんなこんなで横浜歴史博物館に忍び込ん・・・ちゃうちゃう、やっとこさ無事に入館。
いや~、入館には手間取りましたが、展示の方はぜ~んぶ面白かったです。特にマリコ・ポーロ的にドびっくり~ だったことが2つ
山木大方と崎姫のこと
山木大方は氏康殿の女兄弟であります。
今川の堀越六郎に嫁ぎ → その後、北条に戻り → 母上・養珠院(氏綱正室)の伊豆の所領を受け継ぎ → 六郎さん亡きあとは伊豆と小田原を行ったり来たりし、そして、六郎さんとの間の子(吉良氏朝)が北条得意の「養子入りお家乗っ取り作戦」で吉良に養子に入り、その正室には幻庵の娘で氏康の養女である鶴松院が入る。
という、北条と吉良をつなぐ重要なポジションで活躍した女人です。幻庵殿も鶴松院様に、「万事何事も山木大方を見習うように」みたいに覚書でアドバイスしてますね。幻庵太鼓判ですな。(詳しくは以前のブログをどうぞ。)
今回嬉しかったのは、大好きな、その山木大方の猪の絵が付いた「軍勝」の朱印状が出ていたこと。一度見てみたかったんだ~、ナマ軍勝。カッコイイな~♪山木大方。く・ぎ・づ・け 。
~↑これ~
山木大方のことは当ブログでも、崎姫=山木大方として、さんざん書いて参りました。ところがギッチョン!今回の企画展を観て、そんなことを申している場合ではなくなりました。
山木大方と崎姫は、今は別人、つまり山木大方≠崎姫 ということになっているらしい…のです。
では、崎姫とは誰か?
どうも、今まで名前も法名も分からなかった、吉良頼康に嫁いだ同じく氏康の女兄弟のことらしいのです。
愕然・・・
今までの山木大方=崎姫のブログ記事に注釈いれなきゃ…です。けっこう記事あるぞ~。
そしてもう一つは、
吉良頼康を古河公方にしようとした北条氏康
こちらも、愕然・・・
北条は、はるる(足利晴氏)とよっしー(足利義氏)の間に、「臨時的な公方」として吉良頼康を擁立しようとした可能性がある、というトビックスが展示されていたのです。
その根拠は(パネルより)、
▲ 天文17~21年までの間、頼康が「左兵衛佐」の官途を名乗ったこと。「左兵衛佐」は、代々鎌倉公方家が名乗るもの。
▲ 頼康がこの官途名を名乗る直前に、はるる が北条氏と敵対していたこと。
つまり、北条は頼康を、はるる との関係断絶~よっしー の公方就任までの間のプールとしていた可能性がある、ということなのです。
北条友が教えてくれたところ、その説は、谷口雄太「武蔵吉良氏の歴史的位置」(『千葉史学』57号2010年)にあるそうです。読まなきゃね。
もともと吉良家は、足利尊氏の「兄」の系統となる家で足利一門のうちでも格が高いとのことですが、展示を順番に見ていて、北条にとっても別格な家であることが良~く分かりました。
だから印判も、北条家や足利家と並び大きいのですね。印判のことも展示にありましたよ。
などなど、とてもここには書ききれないので是非皆様行かれてみてくださりませ。
山木大方にならんで私の大好きな古河公方家の華・芳春院様のこと、各種印判状・禁制、道灌状、幻庵覚書などの文書類や、鎌倉大草子、太平記、梅花無尽蔵など資料もたくさん。江戸氏や等々力の大平氏のことも詳しく取り上げられていました。少々遠くても行く価値ありますぞ。けっこう遠い場合は図録のお取り寄せを。
展示内容は以下。
Ⅰ 南区蒔田とその周辺
・蒔田の景観
・蒔田城
・蒔田・勝国寺
・横浜英和女学院の蒔田移転
・成美学園遺跡
Ⅱ 武蔵吉良氏と関東大乱
・吉良氏の誕生
・鎌倉・武家社会での吉良氏
・吉良氏の所領-世田谷郷と世田谷城
・小田原北条氏の侵攻と世田谷の戦火
Ⅲ 吉良氏の所領・家臣・寺社信仰
・吉良氏の所領・蒔田領
・吉良氏の家臣
‐水運に長けた家臣江戸氏
‐等々力の有力者 家臣大平氏
・吉良氏の造寺造仏
Ⅳ 吉良家の婚姻
・とつぐ北条の娘たち
・吉良頼康に嫁ぐ
‐伝説の崎姫と三人の女性
・吉良氏朝に嫁ぐ鶴松院
Ⅴ 戦乱の集結と吉良氏家臣
・戦場での吉良氏家臣の活躍
・小田原合戦後の吉良氏家臣たち
Ⅵ その後の吉良氏
・吉良氏朝の隠居とその最後
・武蔵吉良氏の復活
「北条五代の娘たち③吉良頼康室~上杉謙信の侵攻と吉良の代替わり」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-9be1.html
「吉良頼康ゆかりの寺々(川崎・目黒・世田谷・蒔田)」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-3819.html
「後北条の女領主、崎姫の伊豆」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-d6d6.html
「後北条一族の陰謀、公方の御座所 葛西城」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-fdbc.html
「古河公方の古河を歩く」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-de53.html
ほにゃ。
萩真尼
画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。
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