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2014年9月 4日 (木)

約400年ぶりに八王子城へ戻った横地監物

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~八王子城にある横地監物の「横地社」~


我らが北条氏照の重臣である横地監物の足跡を追って、昨年の夏に檜原を訪ねたことを思い出しながら、現代の八王子城衆の重鎮であるS氏が書かれた「横地社」についての資料を読んでいます。


当ブログでも何度か横地のことを書いており繰り返しになりますが、横地監物丞吉信は北条氏康の馬廻衆の一人でした。氏照どのが大石に養子にはいる時に小田原から付き従ってきたといわれています。八王子城代でもあり、江戸時代に徳川に重用された中山殿などと比べても当時はずっと家格は高く、北条家にとっては生え抜きの重臣中の重臣です。

「横地社」は、今は、中の曲輪の上段、八王子神社の隣にひっそりとあります。八王子城の歴史が好きで登城する方達はほとんどがご存知ですが、城郭好きの方達ではご存知ない方もけっこういらっしゃいます。


上に「今は」と書きましたが、「横地社」はかつては、横地が自害したと伝わる奥多摩町大字原小字蛇沢にありました。

昭和11年に工事が始まった小河内ダムの建設で、奥多摩湖の湖底に沈むこととなった「横地社」は、文化財専門委員が費用を拠出し、当時の八王子城衆有志の方達により、横地監物その人が城代であった八王子城に遷座することになりました。


いただいた資料によると、ダムの完成をその年の11月に控えた昭和32年の6月初め。有志達が小河内の蛇沢から祠をオート三輪に乗せて運んだそうです。

祠はいったん山麓の有志殿の家に落ち着き、それから有志達と八王子神社の氏子さん達により山頂へ運び上げられ、3日間をかけ覆屋も完成。

落城した日と同じ6月23日に除幕式が行われ、遷座は無事に完了したそうです。


檜原のブログ記事でも様々に書きましたが、はたして横地が本当に檜原へ落ちたかどうかは分かりません。しかし、約400年後の落城日に再び自身の城へ戻った横地の魂は、城に残り城で果てた仲間達の魂と何を語ったのでしょうか。


後日談。
横地社の覆屋は平成10年1月に大雪で倒壊。平成15年、横地殿の末の方や蛇沢で代々横地社を守っていたお家の方や、この資料をくださった八王子城衆重鎮のS氏をはじめとした有志の方達で、現在の横地社は再建されました。

(Sさん、いつもお世話になっております。資料ありがとうございました。)


↓ 昨年夏に横地を追って檜原を訪ねた時のブログ記事です。
「檜原の残影、横地監物と武田の松姫」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-f195.html


マリコ・ポーロ こと 萩真尼

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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