« 北条氏直の投降は、走ったのか? | トップページ | 11月の後北条関連の気になるイベント(2014) »

2014年10月24日 (金)

小田原攻め、松平文庫の「小田原陣図」

北条氏照と八王子城そして小田原北条を現代から応援するマリコ・ポーロのブログも、気が付けば9月で6年目に入っていました。よくもまあ、これだけネタが途切れないものだと自分でも驚くところですが、これも皆様のお蔭にござります。

引き続き益々よろしくご指導お願い申し上げまする。


まずは、この「陣図」はどこにあるのでしょう。同著には、「いずれも(仕寄図&陣図)毛利文書」とあります。

どうしても確認したいので、毛利文書をお持ちの山口県文書館さんに問い合わせてみました。(やたらめったらすぐにアチコチ問い合わせしているわけではありまへんよ。)


そういたしましたところ、この「陣図」は「毛利文書」には無く、島原市立図書館蔵「松平文庫」にあるとのこと。また、正確には、「毛利文書」ではなく「毛利家文庫」というそうです。

念のため島原にも伺ってみましたが確かでした。

お忙しいと存じますのに、一歴史ファンの問い合わせに対して最後まで調べてくださり、丁寧なお返事もくださって感激しましたweep。本当にありがとうございます。非常に助かりました。三河国深溝(ふこうず)松平家なんて名称、初めて知りましたよ。


また、この「陣図」は、「小田原市史 別編 城郭」にも載っているそうです。灯台下暗しcoldsweats01

56181318_2112746083_87large1
~「小田原陣図」(小田原市史から写真を撮った)~


さて、前回のブログ記事「北条氏直の投降は、走ったのか?」にも書きましたが、今、黒田基樹著「小田原合戦と北条氏 2013.1」の 天正18年あたり をあらためて読み直しております。気になることがあまたありますが、その中で二番目と三番目に気になることは前回のブログ記事に長々と書きました。


では、一番気になったこととは・・・それは、上の画像の「小田原陣図」です。

「小田原陣仕寄陣取図」はよく見ますが、この図は私はここで初めてチャント見る気がします。皆さんはご存知でしたか?


太閤本陣が、「仕寄図」は早雲寺、「陣図」は石垣山なので、「陣図」の方が後から書かれたのでしょうか?

また、4月8日に投降した皆川広照がまだ早川口に記載されていますね。石垣山を築城し始めたのが4月初旬ですから、着工するかしないかの頃にこの「陣図」が書かれたということでしょうか?

(いや、違う。それは後述。)


この図を、ジーーーーッeyeと眺めていたら、数々の謎が浮かんできました。


▲ 氏照の本陣

氏照の持口の早川口あたりを覧ください。「陸奥守本陣」として 「法心寺」というお寺の名前がありますね。

氏照どの追っかけとして不覚にも知りませんでした。というか、「北条氏照の首はどこだ?」とは思いましたが(以前のブログ記事をご覧くだされ‐下記)、「小田原戦の時の氏照の本陣はどこだ?」とは考えたことがありませんでした。それぞれ、持ち口のあたりに陣幕でも張ってその中に待機していたぐらいに考えていました。


そうか。大構えに囲まれた小田原の城は広大じゃ。キチンとした陣は必要であるな。知らなんだよ~ と思い、様々な手持ちの地図で探したりネットで検索したりしましたが、「法心寺」というお寺は探し出せません。廃寺になったのか、次の時代に名前が変わったのか。

どうしても知りたいので文化財課へお問い合わせしましたところ、分かりまぴた。


「現在の 報身寺 ではないかと思われます」
だそうです。

お忙しいところ恐縮です。どうもありがとうございましたhappy01


さっそく地図を広げてみました。「報身寺」は早川が相模湾に流れ込む突端の、まさに「ザ・早川口」にありました。「陣図」とは少し位置関係が違うようですが、「陣図」はザックリと書かれているのかもしれません。

取り急ぎまたまたザックリ検索してみましたが、「報身寺」だと七福神と、ナンタラいう建武中興で殺された公家の墓のことしか出てきません。縁起も歴史も分からにゃい。これは、行ってみないと分からないかな~~~。


その他にも例えば・・・

▲ 本丸の「トシマクルワ」ってなに?

北条友は、「 素敵なお姉さま達がいる曲輪?ハート達(複数ハート)

はい、はい。気を遣ってくださり、ありがとうよ。そうですね。年増がたくさんいたところですね・・・って、ちゃうちゃうpaper。気遣いの北条友はおっサル。「真面目に考えると、豊島氏が守ったのか、十四間(トシマ)曲輪」約25mの長さの曲輪だった?なんて、と。

なんだろうね?漢字で書いてほしかったよね。


▲ 柵の高さや篠曲輪や渋取口あたりも詳しく書かれていますね。渋取口の橋は、土橋だったのか。曳橋ではないんだ。考えてみれば、そうですよねえ。

▲ あ!榊原殿の陣に、
「落居ノ後氏直此所ニ移」とある!

ということは、この「陣図」は4月の初めに描かれたものではないですね。後から思い出しながら描いた(または、籠城中に描いた図に後から書き込んだ)ものですかね?


▲ 早川から板橋口に至るところの石垣は今も残っているの?
あれ?「是ヨリ石垣」の文字はどこかで見たような…。

▲ 氏政の「新城」は水尾口にあった。
そうなのっ?!coldsweats02「新城」は古郭にあったとは聞いていましたが、それはたぶん小田原高校のあたりだろうということでした。水尾口は、もっと奥になります。

水尾口には氏康の隠居所があったらしいですから、氏政もそこを隠居所として使ったのでしょうか。 いや、「新」だから違いますね。新たに築いたってことですね。水尾口あたりに怪しい平場はいくつかありますよね。どのあたりだったのでしょう。


▲ 「周防屋敷」ってナニ?
早雲以来の重臣、多米周防守の屋敷ということ?場所はどのあたり?御前曲輪あたり?でも、御前曲輪は聖域っぽいわよねえ。

それに、もし多米殿の屋敷だとしたら、なぜ周防屋敷だけ書かれているのか?(←歴友の疑問)

▲ 羽柴(滝川)雄利の陣は、築山を築いて井楼(セイロウ)があったんだね。


▲ 陣図上に書かれている諸将の呼び名が「仕寄図」とはまた違って面白い
‐ 氏政、氏直→呼び捨て
‐ 氏照、松田、山角、皆川など→○○守とか○○頭とか
‐ 氏房→岩付十郎
‐ 氏光→北条右衛門佐
‐ 吉良→蒔田御所
‐ 家康→家康公
‐ 宇喜多→浮田(字が違うぞsweat01北条陸奥守も法条となっちょるところがある!)


(加筆 2016.8.9
2016年の大河「真田丸」の公式HPで知りました。戦国時代(特に西日本エリア)は官途名より名前で呼ぶ方が丁寧だったそうですね(by 丸島先生)。つまり、氏政と氏直だけが官途名でなく名前を呼び捨てにされちょるということは、それは敬意を表しているということだったのだね。あ、いや、様が付いてないからそうではないのかな???)



▲ 担当口(持口)も「仕寄図」と違うところもあり、持場替えがあったのが分かるし、また、大構えのほぼ3分の1が、我らが北条軍団軍団長の氏照どのが「指南」している武将達で固められているのね。

などなどなど。


Img20141023_225843
~早川口の報身寺(小田原市観光ガイドマップより)~


ここまで書き連ねてきてなんですが、それよりなにより、この「陣図」は・・・合っているのですかね?


「堀秀政の小田原の墓」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-bf85.html
「北条氏照の首級(みしるし)はどこに・・?」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-df65.html
「北条氏政の首級(みしるし)はどこに・・?」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-470a.html
「小田原攻め、徳川方の陣場めぐり」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-5964.html
「小田原城、御前曲輪で妄想す」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-7998.html

「小田原衆と歩く総構えの北と西」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-31ae.html
小田原城三の丸外郭「新堀」ガイドツアー
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-f9c7.html

「前編~天正18年の小田原へ、歴友と時間旅行」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-26ca.html
「小田原城総構いちばん奥と北原白秋」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-6867.html



萩真尼

cat 画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

にほんブログ村 歴史ブログへ

|

« 北条氏直の投降は、走ったのか? | トップページ | 11月の後北条関連の気になるイベント(2014) »

2.北条の小田原」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/545855/60520728

この記事へのトラックバック一覧です: 小田原攻め、松平文庫の「小田原陣図」:

« 北条氏直の投降は、走ったのか? | トップページ | 11月の後北条関連の気になるイベント(2014) »