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2014年10月 3日 (金)

後北条家の「男色」について

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目から ミツウロコ



「そもそも森蘭丸(および森乱丸)を称する人物自体、史料上にみることができない・・」

とあったのは、乃至政彦著の「戦国武将と男色-知られざる武家衆道の盛衰史」。


ド、ド、ド、ドびっくり!

えー、だって森成利は?
と思いましたが、成利が美童であったとか信長の寵童だとかいう話は、一次史料はもとより近世初期の逸話集にもいっさい書かれていないし、ましてや成利は「蘭丸(乱丸)」と名乗ったこともないとのこと。

このことは、須永朝彦氏が名著「美少年日本史2002」でとうに書かれているのだそうな。


知らなかったぜよぉ~~。

ほな、安土城にある「伝 森成利邸跡」というのは、ありゃナンジャらほい?お気に入りの小姓だから天主に近いここがそうだろう…ということで、あそこを「伝」と想定したというようなことを何かで読んだ気がしたのだけれど、なにもかもが違うのだろうか?


いや、邸が傍というのは、例えば武勇に優れているからボディーガードとして近くに置いておきたいとした、と考えることの方が普通ではありますよね。

森蘭丸が美しき小姓で信長の寵愛をうけたと書かれ始めたのは、江戸も後期からだそうで、まったくもって、日本中が百年以上も妄想をしていたのですね~。

はい?そんなの私だけで、皆さんご存知でしたと?


な~んだ。大河「太閤記」の、特に本能寺の回での、若き日の片岡孝夫(仁左衛門)さん扮する蘭丸と高橋幸治さんの信長とのシーンが素敵だったのにな~

乃至氏は、『森蘭丸』のイメージは、小説やマンガならいいが、歴史学からはそろそろ退けられる俗説であろうと思うと書いてらっしゃいます。そうですか、では、いた仕方なし。退けましょうかのう。


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~↑武家の小姓ではない。知らざぁ言って聞かせやしょう。お寺の稚児上り「弁天小僧」でござる。本には「稚児灌頂」の認識も改める必要があることも書かれている。~


「男色」とは「だんしょく」ではなく「なんしょく」と読むそうですね。また、お褥に侍ることを「御座を直す」って言うんですね。なっるほどねえ。。。

この本には、足利将軍達からはじまり、上杉景勝、伊達政宗、武田信玄、佐竹義重&蘆名盛隆、井伊直政などなどの有名な話はもちろんのこと、それ以外の戦国武将達の今に伝わる数々のエピソードの真偽が史料や資料を元に考察されています。また、当時のお家の事情や最近の歴史学的な新説などもたくさん書かれていて、歴史好きにとっても興味深く読めます。


我らが小田原北条家の話も出てきます。

いや~、氏康と綱成がそう言われてきたなんて全然知りませんでしたよ。だって、氏康と綱成?チト濃すぎやしませんか、って感じなんですもん。


そんな噂を流しているのは、ひとつやふたつじゃありまへん。「甲陽軍鑑」、「北条記」、徳川幕府公認の歴史書などに書かれているそうですわ。

弟の弁千代がことのほか見目麗しく氏康の寵をもらっていたという話は聞きますよね。河越夜戦の逸話はよく知られていますし、徳川幕府公認の歴史書などにもあるそうですが、兄の綱成もだということは聞いたことがありませんでした。


それは、「甲陽軍鑑」にあるそうです。

「御座を直したまう福島殿は氏康公と同齢で、二十二歳で、うんたらかんたら」

ぐっ !すでに2人共に22才・・・。
当時の22才といえば、もうオッサン。やっぱり、ちょっと濃すぎやしませんか。


これは、当時出自もよく分からない綱成が、「綱」の字と一族の娘を賜るほど出世した理由として、「そうなんじゃないの~~」ってことにされてしまったようです。

どちらも「甲陽軍鑑」から広まった伝承であるらしいですが、乃至氏は、綱成の引き立ては、おそらく綱成かその一族が何かしらの功を立てたためで、御座を直したからではないと考える方が自然だろうと書いています。


以前も当ブログで書きましたが、弁千代くんは、ある頃から忽然といなくなるので、もしかしたら北条の養子、つまり氏康の弟・三郎として越後へ行かされたのではないか。景虎さんは弁千代くんなのではないか、と妄想して色々と調べたことがあります。

結局、年齢的に合わなかったですがね。


氏直さんと近習の田村千松丸という美少年の逸話も、五代記にあるそうです。

こちらも知りませんでした。田村というと、北条家のホームドクター 安斎(栖)先生の一族ですかね。


容色類ない12才の千松丸くんは、そーゆーことのあんなこと(とても書けない)を同輩達からからかわれ、それを恥辱と思いその場で自害。からかった連中も、「面目ない」「生き残っては甲斐がない」と同じくその場で自害。み~んなその場で自害。

じゃ、誰が見聞きしてたんだ?ですが、これらは全て俗説なんですと。

俗説か・・・
それは、残念

チョットチョット


北条に限らず、今に知られる歴史上の人物の男色についての話は、ほとんどが江戸時代の軍記物によるところが多いらしく、乃至氏は「歴史的過去の異質性を尊重するあまり、批判的考察が不足しているのである・・・」と著書の中でおっしゃっています。

これは、男色だけのことではなく、藩市史、家伝、神社仏閣、その他もろもろ、全てに言えることですよねえ。


そういえば、以前から不思議だったことがあるのだよ。

夜の新橋や銀座で、酔っ払いのオッサン達が肩を組み合ったり抱き合ったりしている光景をたまによく見るでしょう。飲み屋さんでも、隣同士に妙にくっついて腿(もも)を触ってヒソヒソ話したり。

あれ、女性同士では絶対やらないのね。でも、男同士ってやるのよ。何故だろう・・・って、いやーーっ!

わらわの脳内の麗しいBLがガラガラとーっ


小説 「後北條龍虎伝」と「早雲の軍配者」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-b9ae.html
「玉縄城-1 現代の難攻不落の城へ」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-170d.html
「玉縄城の歴代城主の法要が営まれました」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-0e25.html
「逆井城、さしま古城まつり前ノリ」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-6fa7.html
「北条氏照と弁天小僧の江の島」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-ae3f.html


萩真尼

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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