« 朝ドラ 「マッサン」とウィスキー | トップページ | 八王子城、消えた橋と現われた石垣 »

2015年4月 2日 (木)

北条家 下屋敷の「北条坂」

Img20150402_132732_3


何かを調べたい時、広尾の中央図書館に行きます。図書館は有栖川宮記念公園の中にあります。ここは、かつては有栖川宮の御屋敷でした。有栖川宮といえば皇女和宮の婚約者だった方ですが、宮邸だったその前は南部藩の下屋敷だったそうです(公園の説明板)。

ある日の図書館の帰り、その辺をチョロチョロしながら歩道沿いにあった周辺地図を見ていたら、そこに 北条坂 という文字を見つけました。


北条坂 ですって!?
なんだろう・・・?

地図をよく見ると、割と近いですねえ。しかし、その前のチョロチョロがたたって、もう時間がない!残念。また今度にしようと後ろ髪を引かれながら帰りました。

2-3日経つとそんなこたぁ コロッ と忘れてしまいましたが、先日、図書館へ行って突然 ハッ! と思い出しました。


Img20150402_213220
~元南部藩下屋敷は桜が満開~


公園を池側の門から出て→右へ→愛育病院の交番の所まで登り(この坂は木下家の前の坂なので木下坂という)→交番と反対側へ横断歩道を渡ると下り坂になる。

それが 北条坂 です。

坂の下り口に「北条坂」との木の標識がありました。


「どれどれ」と読むと、やっぱり。
▲ 坂下近く南側に大名北条家の下屋敷があった▲
とありましたよん。

知りませんでした~。江戸時代の北条家にそんなに興味がないとはいえ、寄ってみてよかった~。


坂は途中から「鉄砲坂」と名前を変えるようです。なぜなら、坂下には幕府の鉄砲練習場があったからだそうです(木標より)。

ワクワク気分で坂を下り振り返ってみました。

Img20150402_213151
~「鉄砲坂」の始まりには木標がある。そこから、今下りてきた 北条坂 を振り返るの図~


この↑写真の右側に、狭山北条家の下屋敷があったということになりますな。

そこには都心では有名な某億ションがあります。某億ションは、かつては西武鉄道の堤さんの迎賓館があったところでした。スマホでその億ション(旧堤屋敷)を検索したところ、書いてありましたよ~。江戸時代は北条家の屋敷があったって。


へえぇ~~~

ということは、外からは見えませんが(当たり前)、内側には庭があって、こういう大名屋敷の跡地には必ずある、池とか巨大な石灯篭とかも残っているのでしょうねえ。たぶん。


以前に当ブログで書きましたが、広尾には江戸時代の狭山北条家の菩提寺だった「祥雲寺」というお寺があります。

となると、狭山北条家の人々は、お墓参りの時にはこの坂を上って→木下さんちと南部さんちの間の道を下り→広尾橋を渡って(当時橋はあったか?)祥雲寺へと行ったのかもしれませんねえ。

Img20150402_213204_2
~左上のが祥雲寺。右のが北条坂(木下坂沿いにある周辺図より)~


天正18年、我らが「小田原北条」はなくなりましたが、最後の藩主だけは佐野の堀田家からの養子とはいえ(惜しい)、北条の血は氏照とのの弟・氏規さんから始まる狭山北条家で続いていました。

ゆえに、都内でも北条ゆかりの場所は、まだまだ「あまたあり」なのです。


「江戸時代の北条家、東京の菩提寺」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-72d6.html
「江戸時代の北条家、狭山藩邸」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-5c4c.html
「北条氏規の大阪の菩提寺」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-361c.html


萩真尼

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

にほんブログ村 歴史ブログへ

|

« 朝ドラ 「マッサン」とウィスキー | トップページ | 八王子城、消えた橋と現われた石垣 »

4.その他の後北条ゆかりの地」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 北条家 下屋敷の「北条坂」:

« 朝ドラ 「マッサン」とウィスキー | トップページ | 八王子城、消えた橋と現われた石垣 »