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2015年4月 9日 (木)

八王子城、消えた橋と現われた石垣

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~ピンクのラインに橋(現代の)が架かっていた。~


八王子城には今まで何十回登城したかもう覚えておりませんが、守る会が解散して以来ここしばらくは登っておりませんでした。

久々に登城する八王子城は、かなり変化を遂げていて驚きました。


とある桜満開のある日のこと 旧八王子城を守る会(兼 氏照ファンクラブ?)の面々、総勢14名で久々に集い、昨年後半に北条氏照の元へ旅立っていかれた八王子城衆重鎮3人の追悼登城をして参りました。

(業務連絡。いらっしゃれなかった元事務局長、重鎮Sさん、お嬢さんの御結納だったTさん、子育て中のKちゃん等々、お会いできなくて残念でしたよ~。)


さて、

▲ まずは、橋(トップの写真)

皆さまご承知のように、上の道(大手)を歩いてきて御主殿に向かう時に渡る観光用の橋がありました。それが老朽化のために架け替えとなるそうです。


もう架け替えですか~。思えば、架けられたのは400年記念の年でしたから25年も経つのですねえ。位置も違い、形状も違う(たぶん)橋が、四半世紀も八王子城の登城口の顔だったわけですが、違ってはいても馴染んでしまっていましたよねえ。

城の権威を示す橋ですから当時もそこそこは立派だったとは思います。しかし、個人的には、およそ坂東の戦国期の山城に似合わない、あの伊勢神宮のような橋が我が八王子城から無くなっているの好きなのですが・・ごにょ(伊勢神宮は良いのですよ、神宮ですから)。


このままにしていてほしい。当時の橋は、そこに立って脳内妄想するから。そもそも、当時どんな橋だったかは定かではないのだから、もう架けないでちょ。

と、城跡妄想族達は願うものの、また架けられてしまうそうです。やんぬるかな・・


予算も使わなきゃならないから、また大神宮のような立派な橋が架かるのでしょう。

せめて説明板には、「これは大手への導入経路を示す橋であり、本来の具体的な姿や規模は分からない。曳橋でもないかもしれない」旨を明記することを心よりお願い致すものでござります。新文化財課長様、本当に本当に、よろしく、よろしくお願い申し上げます。


橋が無い大手で妄想出来るのは、あとわずか!


▲ 御主殿の奥の石塁

御主殿では、発掘された庭や焼け焦げ付きの疎石はすでに埋められ、あの感動的な光景を見た者にとっては全然つまらな・・・いや、そんなことはにゃい。是非、行ってくだされ。


というわけで、御主殿に入るやいなや、ワーイワーイ \(^o^)/と思い思い四方八方に散る中高年(含むわらわ)八王子衆。

中央部がつまらなくなって・・いや、すでに散々見ているので、何故だか皆自然に隅っこや山裾ばかりをチェックチェック。)

すると・・・


Img20150407_120122

御主殿の左奥の、林野庁の持ち物でロープが張られ草ボウボウだったところがありましたよね。ロープが無くなっていました。

あれっ?と思って行ってみましたら、下草も刈られスルスルと入れるようになっていました。ワーイ\(^o^)/。以前はロープを乗り越えてガサガサ藪に入らなきゃならなかったものねえ。これっ!


入ると、右手には一段高く方形の曲輪がありますでしょ。宝蔵があったとか、奥殿があったとか、照どのの仏堂があったとか言われているアソコです。こちらも下草が刈られ、方形の曲輪の姿がよく分かるようになっていました。


ここを真っ直ぐ進むと、写真の石塁が現れます。この崩れしままに感。いかにも八王子城らしいですよねえ。なおも進めば水口方面になります。

いつまでも麓をアチコチ探検していて、なかなか上へ行けない八王子衆。上へ行けば行くで益々時間がかかるけど。


本当に久しぶりの「殿の道」。それまで何十回も登っているのに、草や木や、石や、秘密の脇道や、眺めや、空や雲や・・・ひとつひとつについて、過去から現在に渡る様々な話をしながら登りました。

松木曲輪でのお昼は、みんなで持ち寄ったお弁当を分けっこしながら、氏照と八王子城戦で命を落とした城兵達と、現代の亡き八王子衆へ、「献杯!」


下りはハイキングコースから旧道へ。


▲ 一番見たかった、柵門台下の石積み

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~昨年の崩落で現われた柵門台下の石垣を旧道から見たとこ。ワーイワーイ \(^o^)/ とよじ登る中高年(含む私)八王子衆。~


おおーーっ!
あがる歓声。

やっと見られた!テンションMax!これが下からず~っと続いていたんだよね~。うっとり~。


以前は、一部分出ていた箇所を上のハイキングコースから覗く程度だったもの。おかげで、旧道も整備されて通れるようになったし。嬉しいねえ。


「はじめに石垣ありき」の関西の城郭ファンにとっては、「なんで、こないな程度の石積みで興奮するんやろか?」 だとは思いますが、興奮するんですよ。これが。特に八王子城などは、何百年も埋もれていましたからね。


そうそう、八王子城のここの石垣を「登り石垣」といわれることがありますが、景観としては登り石垣でも、厳密にいうと登り石垣ではないそうですよ。説明を受けましたがワテには難しくてよく分かりやせんでした。


▲ 矢竹が無い!

松木曲輪の一段下の長方形の曲輪も藪が払われ、形状がよく見えました。

そして・・・

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山頂曲輪から小宮にむかう道に群生していた矢竹も全て刈り取られていました。

すわっ!いよいよ臨戦体制で大量に武器製造か!

いえいえ、整備の方に伺ったところ、鬱蒼とし過ぎて生育が悪くなっていたため、いったん伐採したそうです。すぐ元気なのが生えてくるから大丈夫とのこと。


▲ お宝ザクザク

この日は、殿の道はじめ城内の そこここ で、いかにも古そうな染付のカケラがいくつか土から少し顔をのぞかせているのが見受けられました。

こ、こ、これはっ

教育委員会に届けねば!あ、いや、でも、カケラはもうたっくさん持ち込まれているからにゃ~と、いけない考えが頭に浮かんだところ・・・

どうやらそれは、確定ではないが江戸時代頃の物らしいとのこと。


にゃ~んだ

八王子城には、実は江戸時代から近代まで住んでいた人達がいます。もしかしたら、つい先頃まで中の曲輪に住んでいた方が使っていたお皿のカケラかもしれないね。ガックリ。


そんなこんなで、今回はひとつの所に時間がかかり過ぎて主要部しか廻れませんでしたが、長年に渡って八王子城の保存やガイドに携わってきた方達と城を歩くことはなんて濃くて、なんて楽しい。

この方達の八王子城&氏照ラブの気持ちや、八王子城や氏照に関する厖大な知識を受け継ぎ、広く会員を募って発信したりする保存会がないのは非常に残念です。


まあ、また新たに誰かが始めていけばいいっつう話ですが、これまでは、その「新たに始める人達」の第一歩が「旧守る会」が定例で行っていたガイドツアーだったのですよねえ。

それに、作ればいいっつったって一筋縄ではいかない。こういう会をうまく運営するには誰もが一目置く「盟主」の存在が必要なのです。今私が参加している「道灌びいき」の会には太田の殿がいらっしゃるし、旧守る会には、八王子城の重鎮である椚國男先生と峰岸純夫先生がいらっしゃいましたものね。

もったいないねえ。


以下は、当ブログで八王子城や北条氏照を書いた一部です。一部とは申せ物凄い量ですが、カテゴリーを分けましたゆえ再読たまわれば、いと嬉し。

なんちゃって調査研究

「八王子城の庭園遺構がより凄いことになっています!13.11.16」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-8c21.html
「報告!八王子城の発掘調査見学会 13.8.11」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-cac0.html
「北条氏照の首級はどこに」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-df65.html
「アフター北条氏照の大久保長安についての妄想」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-6cc6.html
「続・由井の源三 こと 北条氏照」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-d478.html
「由井の源三 こと 北条氏照」
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=65894702&blog_id=648629

当ブログのカテゴリー「北条一族最後の3ヶ月」の中より八王子城だけ抜粋

「八王子城落城、氏照の残・念」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-4eae.html
「今夜半、八王子城総攻撃始まる」
http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=63711299&blog_id=648629
「今日、八王子城落ちる・・」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-0e49.html


当ブログを始めた頃に熱情のままに書いた八王子城紹介記事

「北条氏照と八王子城の神や仏 2」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-e0cd.html
「北条氏照と八王子城の神や仏 1」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-fd79.html
「武田遺臣のマドンナ、松姫と八王子城」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-fab5.html
「北条氏照の葛藤」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-3c27.html
「北条氏照~夢と覚悟の城」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-c46c.html

八王子城を歩いて妄想する

以下は、かなり昔に書いた八王子城のことです。あれから発掘調査や研究も進み随分と変わっていますので、ご参考までに・・ということでご覧くだされば助かりまする。

「戦国時代の八王子城を歩く~山上の曲輪群と詰の城 11.1.13」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-766c.htmlhttp://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-766c.html
「現状と、殿の道 10.12.16」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-02f7.html
「八王子城を歩く~中腹 10.4.5」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-4ecb.html 
「八王子城を歩く~山麓 10.3.21」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-5517.html
「16世紀と21世紀の狭間の空間へ」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-d699.html

 なんちゃって小説
「城跡の幻影」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-75cf.html


萩真尼


画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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