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2015年7月21日 (火)

今日7月21日、北条氏直は高野山へ旅立つ

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~高野山奥の院の北条家墓所~


7月5日小田原開城。
7月11日、氏政と氏照が切腹。

10日後の21日、当主北条氏直は蟄居の地、高野山へ向けて旅立った。


と書くと、御供数人でトボトボとsweat02小田原を後にしたような姿が浮かびますが、高野山へ蟄居となったのは、政&照たちの弟・氏規や氏忠&氏光、氏直の弟・氏房や直重や直定、松田直秀・直憲、大道寺直繁、内藤、依田、山角、山上などなど御一家衆+重臣・側近たち30人をはじめとする、総勢300名。大所帯の大移動でした。

みんな若いですが、このうちの何人かは高野山で病のため亡くなることになるのです。


また、正室の家康の娘である督姫は、そのまま小田原にとどまり父上の庇護をうけ暮らします。その後、氏直たちが許されて大阪に出仕すると督姫も大阪へ移り、氏直が同じく病で亡くなるまでの数か月を一緒に過ごすことが出来ました。

まあ、ちょっと救われた思い confident


氏直は天正18年7月21日に小田原を発って以来二度と小田原を見ることはできなかった・・・はずですが、実は一度小田原に戻っていると歴史名人から伺ったことがあります。

う~ん、これは興味深い。どなたか調べて教えてくだされ。←人任せ。


以下、以前に高野山を訪ねた時のブログ記事などなどです。高野山では氏直たちを預かった「小田原坊」に泊まりました。

▲ 氏直、最後の朱印状
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-3b83.html

▲ 高野山
北条一族の高野山 3「小田原坊」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/3-6cea.html
同じく 2「戦国武将の墓碑めぐり」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-32d3.html
同じく 1「戦国武将の心のよりどころ」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-f00e.html
ご興味あらば、4&5もご覧くださりませ。

▲ 狭山藩
「江戸時代の北条家 狭山藩邸跡」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-5c4c.html

▲ 氏政&氏照の首級
「北条氏政の首級はどこに?駿河源立寺」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-470a.html
「北条氏照の首級はどこに? 八王子永林寺」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-df65.html

▲ 7月12日に落城した檜原へ横地監物を訪ねた時の記事
「檜原の残影、横地監物と武田の松姫」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-f195.html


紅花

cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は、マリコ・ポーロが撮影したものです。

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