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2015年10月10日 (土)

黒田基樹氏講演で初めて知った「石浜城」

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~石浜神社。神亀元年(724年)創建。昔あった所からは少しだけ場所が移されているらしい。赤い鳥居の右側方面が隅田川。~


karaoke 黒田基樹氏講演「武蔵千葉氏とその時代」

先に当ブログでもご紹介させていただきましたが、秋とは名のみのサル10月3日、赤塚城址にある板橋区立郷土資料館で開催中の特別展「武蔵千葉氏」を観つつ、黒田基樹氏の講演を拝聴して参りました。


講演の内容は「武蔵千葉氏とその時代」です。が、しかし、「その時代」がややこし過ぎて、ややこし過ぎて、とてもブログにはよう書けしまへんcoldsweats01

聞きなれない言葉も出てきました。「寛正の政争」。寛正とは享徳の数年後です。その政争とは、堀越公方 vs 扇谷。その後、都鄙和睦がありの、長享の乱がありの、それから永正の乱がありの、となります・・・よね?もう、何がなんだが、誰が誰だか分かりません。


アッチと組んだかと思えばコッチと組んだり、ソッチで殺害されたかと思えば、ムコウで自害・・・

いったい、皆、どうなったら満足するの!?


同じく当ブログでご紹介いたしました『長尾景仲』 黒田基樹著や『上杉顕定』森田真一著が途中リタイアし、どなたか噛み砕いて話してくだされと思っていた身には、この日の講演は、歴代武蔵千葉氏の当主を主軸として時系列で話してくださったので、とても助かりました。面白かったです。

だからと言って、それを人様に語るほどには全然分かっちゃないのが辛いところ。


horse 石浜城

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~石浜神社にある「石浜城」の説明板。千葉胤村(北条氏繁三男)とあるのは、6代直胤のこと。~


講演の中で、「石浜城」という城が何度か出てきました。初めて聞く城名です。

下総から難民として逃れてきて上杉の庇護のもと、お兄ちゃんの実胤が居城としたのが「赤塚城」。弟の自胤(これたね)が入ったのがこの「石浜城」なんですか?これが、「武蔵千葉氏」の始まりなんですか?←本当に分かってないcrying


それにしても、「〇胤」「〇胤」。よくこれだけ「胤」が付く名前を考えたものです。相馬家なども「〇胤」ですよね。長~~く続く名門なんですねえ。

これまで不思議だと思っていた、なぜ我らが北条が千葉氏に養子を出す価値があったのかが少し分かりました。


武蔵千葉氏は、我らが北条の時代は江戸衆に配属されて、江戸城城代の遠山さんの与力となっているそうですね。

与力というのは・・・
▲北条の直臣で、独自の家中を編成していながらも、恒久的に「物主(この場合は遠山殿)」に付属されて、その軍事指揮下に編成されているものをいう。▲(黒田基樹著『戦国北条氏五代2012.1』)

だそうです。
あ、皆さんとうにご存知で。ワテ、江戸時代の役職名だとばかり思っていただ。


そして石浜城のある石浜は・・・
▲扇谷上杉氏段階では、江戸太田氏と相給関係にある・・(略)・・それらは扇谷上杉氏への帰参後に、由緒ある所領として返還されたのではないか。そう考えると、「役帳」で石浜が「千葉殿」の所領になっていないことも理解しやすい。
※後に北条氏の軍記物では「石浜城主」と表現されるが、北条氏からの養子取りにともない、直轄領部分を与えられたことによるとも考えられる。▲(この日の講演のレジュメより)

ふ~む。
難ちぃ。


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~墨田川にかかる白鬚橋より石浜神社(ピンクの  )を眺めるの図。~


石浜城の候補地は他にもあるそうですね。この白鬚橋下流側の橋場あたりも候補地らしいです。千葉氏菩提寺で、今は板橋区にある総泉寺がかつてそこにあったとのこと。

いずれにしても、海抜1m位。対峙する葛西城と似たような雰囲気だったのでしょうかね。


japanesetea 城より団子

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~視界いっぱいに武蔵の塔(スカイツリー)~


白鬚橋で隅田川を渡河すると、そこは向島でござんす。

以前より食してみたかった「日本一のきびだんご」でお土産を買い、どんどんどんどん大きく迫って来るスカイツリーに向かってブラブラ歩きました。スカイツリーに着くと、そこは押上駅。


都心にも中世の城跡はたくさんあります。当時はもちろん今とはまったく違う景観だったということは分かってはいても、山城へ行き慣れた身にとっては住宅が密集する平坦地に城跡があるということに気付くたびに、ちょっと驚いてしまうのですな、これが。

「葛西城を歩くツアー」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-7c64.html


紅花

cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は、マリコ・ポーロが撮影したものです。

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