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2015年12月28日 (月)

一枚岩じゃなかった、北条氏康の子供たち

前回のブログ記事でご紹介した『北条氏康の子供たち』黒田基樹/浅倉直美編を読み始めました。

ま~あ、そのスペクタクルさに「ドびっくり~」の連続で、いちいち騒いでしまい全然読み進めないでいます。北条ファンにとっては、今、スターウォーズより面白いかもしれませんのう。


まずは神流川合戦つながりで、北条氏邦(浅倉直美著)&総論(黒田基樹著)&私の北条氏照(則竹雄一著)を読みました。それだけですでに ドびっくり が 4つ paperな~るへそ~やっぱりね~ が一つgood


何じゃ、この本は!

読んでよかっただよ~。北条の追っかけとして読まなかったらどうなっていたか・・coldsweats02。自身の備忘としても、今の時点での ドびっくり&なるへそ を以下に。


▲ ドびっくり~その1

秘密です。

えっ?bleah


▲ ドびっくり~その2 「氏康の長男編」

早世した氏康の長男の実名は「氏親」とな(これも うじざね?うじちか?)。氏照も字は違いますが「氏輝」。今川ゆかりの名前を付けたと いうことなのかな。

となると、景虎さんの実名は喜連川文書の残る2つに絞られましたね。氏能か氏冬か。黒田氏は「冬」だろうと 以前書いてましたが。ま、どちゃらにしても大きな歴史の 動きには関係ないですが、気になるぅ~、知りたい~。


▲ ドびっくり~その3 「北条氏照 編」

由井領は始めから 大石領 なのではなく、元々が 氏照の領 で、氏照どのが大石に婿入りしたために、由井領も→大石領 となった。

えーーーっ!
ホンマでっかぁ~sign02


▲ ドびっくり~その4 「氏邦編」

氏邦が、もしかしたら氏規の兄ではなく弟かもしれないと。いや、もしかしたら生まれたのは先でも実は庶子で、庶子のため当初は序列が規さんより下になっていたのかもしれないと。


氏邦が瑞渓院の子ではないのではないかとは以前から言われていましたが、では母上は誰かという話は出てきていませんでした。

朝倉先生は、母親は三山氏の出だと思われるとしています。秩父三山の三山綱定の女兄弟だと。「綱」でどれだけ北条の重臣か分かりますよね~。綱定は、氏邦が養子に入った藤田の取次だったそうです。

氏邦の母がもし三山氏だったとすると……うっわ、 なんだろ、この衝撃的感。氏邦の領地支配感も、ぐっと深くなります。なぜか胸がキュッheart01 としちゃいました。


氏邦の序列ですが、なんでも、当初は、なんとパパ氏康の養子になっていたイトコの氏忠より下だったそうです。随分と下位ですな。ところが徐々に活躍が大きくなってくると、序列は氏照のすぐ次となってきたそう。

そういえば氏邦さんは、一生「北条氏邦」とは名乗っていないですよね。照どのは大石→北条に戻しているのにね。ず~っと何故かと思っていましたが、納得~。


と、一人で妙に納得していたら、鉢形の歴史師匠殿から「一生名乗ってなくはない。境目近くの北武蔵。藤田の名跡の方が都合がよかったのではないか。特に加賀に行ってからは北条氏邦と名乗っている」と。

あわわ。失礼いたしやしたsweat01


それにしても、北条は年功や嫡子庶子に関係なく功績重視なのだね。本当に合理主義。


そして、上記の ドびっくり~その5 に関連するかもしれない、今回のブログ記事のタイトル「一枚岩じゃなかった、北条氏康の子供たち」のことです。以下。


Img20151228_211955_2

▲ な~るへそ~、やっぱりね~ その1 「氏照と氏邦 編」

越相同盟の頃、上杉の直江景綱さんが、氏照(北条きたじょう経由)と氏邦(由良経由)の両方から別々に交渉の話がくることに不信感をいだいている、という手紙がありましたよね。

氏邦からこういう話がきても、今後は自分の方に交渉をまかせてくれ・・と氏照が上杉方へ伝えたアレは、どういうことだろうと思っていませんでしたか?私も常々その事情を知りたいと思っていました。


パパ氏康が「どちらも大丈夫。二人でやるよ~ん、よろしくぅ」みたいに上杉に連絡していましたが、やっぱり照&邦は難しい関係だったようですな。

表だって争いはしないけど、あんまり仲良しじゃなかっただweep。照どのが、だんだん序列を上げて自分に迫って来る邦さんを敵対視したのか。はたまた、側室腹を差別していたのか。

でも、パパ氏康も氏政兄上も、二人どちらにも全幅の信頼を置いていたようで、よく気を配りうまく使っていますよねえ。


大昔(2008年)のブログ記事でも書きましたが(下記に添付)、天正18年で小田原北条は終わったので、芽生え始めてていたそれぞれの確執があからさまに外部にカミングアウトすることはなかったですが、もし、あの時おサルが来なかったら、いや、信長が生きていたら・・・

北条氏康の子供たちはどうなっていたでしょうねえ。


いやはや、たった数十ページ読んだだけでこんな調子では、いったいいつ読み終わるのか。

と、まあ、そんなこんなしているうちに、今年も地球の自転が早かったのか、もう終わりです。今年もありがとうございました。皆様よいお年をおむかえくださいませ。


追記-1:
北条氏照の項で、「今川氏親」に「うじざね」とルビがふってありますが、「うじちか」で間違いないそうです。


追記-2:
また「小田原陣図」が毛利文庫所蔵になっています。「仕寄図」ではないですよ。「陣図」です。「陣図」は島原の松平文庫所蔵です。私は、毛利文庫と松平文庫に直接確かめました。小田原市史にも松平文庫だと載っています。

これ、どうにかしないと。どこかに元があって、毎度皆さんそれを参考文献として写しているのだと思う。小田原市史をご覧くだされたい。

そのことは、こちらのブログ記事に書きました。→「小田原攻め、松平文庫の小田原陣図」http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-2808.html


萩真尼

「北条氏照の葛藤」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-3c27.html


cat コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は、マリコ・ポーロが撮影したものです。

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