小田原城総構の「二重戸張」の衝撃
皆さん、こんにちは。戸張捷です!
って、ちゃうちゃうその戸張じゃなくて。
~ピンクの矢印 → が総構の「二重戸張」。(小田原市教育委員会、現代図に複合させた城下町・宿場町おだわらの町名・地名図より)~
小田原の総構には「二重戸張 ふたえとばり」が3ヶ所あります。全て、防備を強化している西側で、写真の下から順に「早川口」「下二重戸張」「上二重戸張」と呼ばれています。
「下」と「上」は既に住宅の下となっており、目で見られるのは「早川口」だけですが、その「早川口」も明治の政治家だか誰だかの屋敷の庭園になった時に造園の手が入っています。
城郭に詳しくない私が説明するのもなんですが、「二重戸張」は、まず一本の堀(または堀と土塁)があって、その外側にそれと平行した堀(または堀と土塁)があり、虎口を形成している…というか、馬出のようになっているものです。(←う~、上手く表現できにゃい。つまり、よく分かってないからだ。)
特に「下二重戸張」は、そのラインが鍵の手のように同じ角度で2本カクッカクッと内側に入って、「m字」のようになっています。(←分かりる?)
「下二重戸張」は個人宅の建て替え時に障子堀が検出され、昨年の年末恒例「遺跡調査発表会」でも、階段状(かなりの傾斜地ゆえ)の障子堀の写真も見ることが出来たとても面白い場所です。
が、しかし!
「二重戸張 ふたえとばり」という言い方をするのは、昔の小田原 だけだと最近知って、衝撃を受けました。
あらためて関東の北条&城郭好きの数人に伺ったところ、皆さん、「戸張?なに、それ?」みたいにおっサル。まあ、総構というものが小田原や岩槻などの他には無い ものだから、昔も今も小田原スペシャル用語があってもいいとは思うのですが、それにしてもメジャーじゃなさ過ぎますねえ。
こういう構造の虎口は他の城にはないのでしょうか?それこそ岩槻には無いのでしょうか?また、城郭師匠から、総構は本佐倉にもあると伺いました。では、本佐倉にはあるのでしょうか?
他の城にもあるけれど、違う呼び方をしているのでしょうか?
そもそも今更じゃが 「二重戸張」があるってことは「(一重)戸張」もあるってことで、ほな、「戸張」とはどういう意味なのでしょう?夜のトバリが落ちる…の「帳」と同じ?小田原で「戸張」だけの場所は聞いたことないし、まあ戸張捷 でないことも確かです(?)
え~ん。
小田原ツウぶって得意で「二重戸張」って言葉使っていたのにぃ。じゃあ、今は、なんて呼べばいいんだよぅ。
(2018.1 加筆
八王子衆の歴友師匠から矢文をいただく。『関東の名城を歩く』の関宿城のページに、関宿城に3つの戸張があることが書かれていると。読んでみました。当時から使われていたのですね。
それにしても…。読んだつもりでも、まったく脳に入ってないことがまたまた分かりましただよ。シオシオのパー )
~早川口の堀と土塁~ 次回は、先日、名胡桃城衆&深谷衆&八王子衆と 「神流川の合戦」の地 へ行った見聞録をお届けしたいと思いまする。
萩真尼
コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は、マリコ・ポーロが撮影したものです。
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