北条氏政の「汁かけ飯」は後世の創作
~北条氏政の馬印 「钁湯無冷所」 煮えたぎった湯(戦場)には、一滴たりとも冷たい水はない。全身全霊でものごとに当たる!こういう言葉が好きな男なのである。~
今ちまたで話題となってしまった、北条氏政の「汁かけ飯問題」の出所とその時期について調べてみました。が、その前に… 大河の父子
なんと陰険で醜悪に描かれてしまったことよ・・・
織田信長や伊達政宗や武田信玄や上杉謙信などのファンの方には、たぶんこの気持ちは分からないでしょう。
信長や政宗殿や信玄殿や謙信くんは、ドラマでも歴史バラエティー番組でも、大概は渋くてカッコイイ人気俳優さんが演じ、その逸話は虚実取り混ぜても「いい話」ばかりです。ドラマ化されても、ほぼ安心して放映が待たれます。
しかし、北条氏政ファンにとってはそんな余裕はありません。毎度、誰が演るのだろう、どんな風に描かれるのだろうと不安がつのるし、な、な、なんじゃアレはっ!?(一夜城のこと)はじめ、取り上げられる逸話も「負」のイメージのものばかりです。
次のブログ記事で氏政と氏直の弁護をしますが、氏政や氏直は、今までの大河のように下品で暗愚でもなく、今回の大河ように陰険で醜悪でもなかったはずです。
更に、今回の大河により、信憑性のない「汁かけ飯」のエピソードが全国区で知れ渡ってしまいました。元の話を知らない人達にまで、「新解釈」(大河ドラマHPご参照)とやらが拡散されてしまいました。
そこで、制作陣が「新解釈」だと言う「汁かけ飯」のシーンについて聞き込み調査(?)をしました。北条のファンの方達は皆さんご存知のことなので、歴史には興味がないわけではなくて、大河ドラマは毎年ではないが題材によってはたまに観るという老若男女に聞いてみましただよ。近場でだけで恐縮ですが、十分だと思いましたわ。←これ以上聞きたくない。
だって、熱烈ファンより、そういう方達の感想の方が大事でしょ。
私の親やオバ&オジ、そして同僚の2人や美容師さんなどは異口同音。同じ感想でした。「ねちっこくて嫌~な感じ」。よく知っている近所の若いお医者さんは、「悪いけど・・ハッキリ言って・・変態?」。
けっこう皆が観ちょるのう。困ったのう (←えっ?)
~図書館でコピーした内表紙(写真が曲がっていて、あいすまぬ。)~
当ブログを読んでくださる方達は北条ファンばかりなので皆さんご存知だと思いますが、北条氏政の逸話は「汁かけ飯」にしろ「麦飯」にしろ江戸時代に書かれたものです。「汁かけ飯」の逸話の初出は、江戸時代に出版された 『武者物語』 という本のようですね。
それは私も存じていましたが、読んだことはありませんでした。
百言居士るなら読んでから言え!(←天の声)
おっサル通りなので、図書館で読んでみました。
底本は無理なので、読んだのは上の写真の、菊池真一・西丸桂子編。『武者物語』『武者物語之抄』『新武者物語』の三書を翻刻し、人名索引・地名索引が付されたものです。
さて、くだんの『武者物語』は、
初版: 明暦2年3月(1656年)
作者(編者?): 松田秀任
版元: 寺町通 荒木利兵衛
『武者物語』とは軍記物だと私は思っていました。しかし両氏によると、それは軍記物でもなく、もちろん、実録でもなく、「武辺咄集」の部類に入るようです。
ふむ。武辺小咄 か。
えー、毎度ばかばかしいお笑いを一席・・・ちゃうちゃう 武辺、咄 か。それは、戦国武将の逸話集みたいなものということでいいのかな。
さて、読んでみましょう。でも、どこに書かれているのかしら。うぇ~、最初から見ていかなきゃだめ?いえいえ、この編書は便利ですねえ。後ろの人物名の索引で、どこに誰のことが書かれているか一発で分かります。
うわ、ありとあらゆる人物名があるねえ。どれどれ、「北条氏政」っと。おお、あったあった。「武の60番」ね。
~同じく図書館でコピー~
なるへそ 。まあ、そりゃあるわな。他にどんな逸話が載っているのだろう。
古き侍(さぶらい)の物語に曰く ・・・
お話しは皆このフレーズから始まります。
古き侍の物語にいはく(曰く)、
トップは、太田道灌が上洛の時に詠んだと伝わるアノ歌の話です。
あれ?道灌て上洛してないのではなかったですかね。いや、上洛したかしないか定かではない・・という感じでしたっけかね。
それから例えば、
古き侍の物語にいはく、森蘭丸の、信長がお風呂に入る時の鞘の刻みクイズのアノ話。
蘭丸という家臣も実在しなかったと、最近刊行された『信長研究の最前線』に載っていましたね。(よろしくば以前のブログ記事をご参照くだされませ。)
それから例えば、
古き侍の物語にいはく、北条綱成の「地黄八幡」の旗を信玄が奪い真田信尹に与えたというアノ話。
これもよく聞きますが、本当の話なのですかね?「地黄八幡」の旗は、松代の宝物館にありますがねえ。
それから例えば、
古き侍の物語にいはく、伊達政宗パパの輝宗殿の二本松でのアノ最後の話。
私の浅い知識の限りでは、これは全て本当のことのように思えるにゃ~。
などなどで、物語としてはけっこう面白く、何時間も図書館に滞在して読んでしまいました。
この本に書かれていることの信憑性はワテには分からんです。ですが、関ヶ原より50年以上、北条の小田原開城より60年以上経ってから書かれたものですし、軍記物と同じような武辺咄集という位置づけですし。
また、「汁かけ飯」の逸話については黒田基樹氏も『北条氏康の子供たち』で、「出所を突き止めることすらむずかしい、いい加減な代物である」とお書きになってらっしゃることでもあるし。
いったい『武者物語』を書いた松田秀任殿は、どこからこの「汁かけ飯」の話をもってきたのでしょうねえ。
北条友いはく、同じ話が他にもあるそうです。福島正則のところの可児才蔵が、新規お抱えの家臣の面接(?)をした時の話です。
また享徳師匠いはく、近代に出た「豊臣時代記」に「この話は本当かもしれない」みたいなことが書いてあって、そこから世の中に広まったのかもしれないかもしれないと。
「武辺咄」とは、武家の御伽衆などにより夜話などでなされたもののことだそうですね。同じく北条友いはく、案外、中国の故実などにあった話なのではないかと。
マリコ・ポーロいはく、「こういうことをしていると滅びてしまうどー」との教訓話の例として、故実の主人公を前支配者だった北条氏政に置き換えて作り直し、徳川時代の武家の間で語り継がれてきたものかもしれませんね。
大河ドラマの影響力は大きいです。「新解釈」などはいらないから、そのこと自体に触れてほしくなかったと私は思ってしまいます。氏政は侵略者としては凄いことは伝わっても、人品人柄のイメージは悪くなるばかり。
せめて番組の最後で、「汁かけ飯」の話は後世に作られた話であり、真偽の程は分からないということを紹介してほしいと願うものです。
~江戸の某アナゴの名店では最後に出汁をかけていただく。これが美味い!~
ドラマの汁かけ飯は、両手にお椀を持って椀から椀へ汁をかけている。だからよけいに下品に見える。戦中の湯づけや、現代の独身の男の子が御味噌汁を御飯にかけて食べたりするわけではないので、こういう風 ↑にお銚子からお椀へ注げば御曹子の殿様っぽいと思うのです。
ドラマでの北条氏政と氏直と「汁かけ飯」の描き方について放送局に、いくら敵方とはいえ何故ここまて北条父子を低俗に描く必要があるのかとの質問と、最後の紀行のところで「汁かけ飯」の逸話は創作であることを紹介してくださらないかとのお願いをしました。
真萩尼(マリコ・ポーロ)
コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬがご感想なりいただければ嬉しいです。画像は、マリコ・ポーロが撮影したものです。
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