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2016年6月 7日 (火)

北条氏政は、上洛準備を進めていた!

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~小田原北条四代当主、北条氏政の花押~


歴史は勝ち残った者により作られる。

その奢りと暗愚さで、小田原北条を滅亡に導いた張本人と言われてきた小田原北条四代当主 北条氏政。


でもそれは、かつての話。

歴史学が細かく深く猛スピードで進化している今、氏政は、柔軟で先見性のある政治能力を持ち、優秀な弟達や一族・一門を適材適所で使いこなし、北条の領域を最も広げた人物として見直されています。


horse 例えば、対信長。

氏政は従属を決し、信長の娘を嫡男の嫁に迎えるべく家督を息子に譲り、片腕である弟の氏照と共に重臣を使者として安土へ送り、信長の天下の元で北条政権の安定を図ります。


horse 例えば、秀吉への出仕。つまり「上洛」。

▲ 天正16年
氏政は家康を通じて秀吉への従属を申し入れ、弟の氏規を上洛させ秀吉への謁見をすませています。

天正16年といえば、小田原開城の2年前。氏規の上洛まではチッとグズグズしていたことは否めませんが、それは百年も続いた関東の王者の矜持ということで仕方ないと思ってあげてくだされ。

と、狂信的な北条ファン(←ワテ)はお願い申し上げる次第。


▲ 天正17年

氏政は引き籠り なってしまったりもしますがcoldsweats01、板部岡江雪斎も帰国し、ついに上洛を決意。息子の氏直(五代当主)がその旨を秀吉側の取次に連絡します。


あ、そうそうflair
江雪斎が信繁くんと対決などしていないのは言うまでもありやせんが。
(アハハのハ)。

真田の沼田城引き渡しを待たずして、氏政は12月の上洛に向けて費用の調達や随行員への準備の指示などを始めています。

また、「いまだ百日も後のことだけれど、何があっても遅れることは出来ない」ともおっさているとの記録も残っています(黒田基樹著『小田原合戦と北条氏』2013.1.1)。

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~享徳師匠が急ぎ手持ちの史料の写真を撮って送ってくださった。かたじけない!~

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~と、「マリコ・ポーロ、読めないだろうな~」と鉢形の師匠からも火急の矢文で意訳が!かたじけない。~


あ、そうそうflair

この頃、真田のお兄ちゃんは、家康への人質として駿府にいたのですってね。秀吉は真田お兄ちゃんへ、北条への沼田城引き渡しのために上使を駿府から沼田へ案内するように指令を出しているのです。

岩櫃にいたのではないのですね。知りませんでした~。だから徳川重臣の娘をめとり、あの時も徳川についたのですかねえ。

▲ 嗚呼、しかしcrying

そんなこんなしているところに、名胡桃事件が起こってしまうのです。


とまあ、非常に簡単にハショッテ書きましたが、その間の流れはもちろんそんなシンプルなものではなく、沼田の引き渡しはもちろんのこと様々な出来事があり、秀吉や徳川だけではなく、伊達、佐竹など北関東や東北の諸大名達とも交渉や戦などが繰り広げられるわけです。

また、大国の当主が上洛するのです。上洛までに色々な打ち合わせや駆け引きがあり、感情も揺れ動き、時間がかかってしまうのは北条だけではありませんよね。

(まさか氏政さんたら、やっぱりどうしても行きたくなくて名胡桃をやってしまったのではないわよね!?)


大河ドラマは「歴史ドラマ」ではなく「時代ドラマ」ですし、特に今年は信繁の記録がほとんど残っていないものを創作している「二次小説」ならぬ「二次ドラマ」。

ドキュメンタリーでもなくファンタジーなので、史実通りにやってくんなましなんてことは露ほども思っておりません。ただ、番組の最後のところで、少しだけでも「実は…」と説明を入れてくれたらな~と、熱烈な北条ファンは思う次第であります。


言いたいことは山ほどあるが、今宵はこれまでにいたしとうございます。←大河「武田信玄」の大井夫人。


wine
「北条氏照が上洛してきたらヤバいぞ by 三成」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-53e1.html
「北条氏政の 汁かけ飯 は後世の創作」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-e356.html
「小田原城開城へ、最後の6ヶ月」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-f53a.html
「家康と北条氏政、黄瀬川の河原で酒宴する」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-fe11.html
「名胡桃事件の地、名胡桃城へ!」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-4ae8.html
「神流川の戦いの地へ~天正壬午の乱」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-dae8.html
「激戦!金窪城から神流川へ~天正壬午の乱」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/18-f136.html


「北条氏政イメージアップ推進ひとり委員会」のマリコ・ポーロでした。

cat 画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。
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