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2016年6月15日 (水)

天正18年、そして小田原は囲まれた!

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~石垣山一夜城より、小田原布陣図を見ながら城下を眺める。最も小田原北条フィナーレを感じられる場所。~


この日この時に至るまでの各豊臣勢の進軍については、こちらをご覧くだされませ(2012.6 作成)→「小田原城開城へ、最後の6ヶ月」http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-f53a.html


horseそして天正18年4月、小田原城は囲まれはじめる

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~おなじみ『小田原陣仕寄陣取図』(毛利文庫)。まだ本陣は早雲寺。わざと海を南に逆さまにしています。~


▲ 本城には、当主氏直

▲ 秀吉への最前線「早川口」
守るは北条軍団軍団長。御隠居氏政の弟であり片腕のバディ、我らが八王子城城主・北条氏照

氏照は、忍城の成田、皆川(4/8 に投降)、壬生、毛利北条らと共に、本陣を報身寺に置く(文末のリンクブログ記事をご参照)。海側は真里谷武田らが守る。

対するは、木村一、長谷川秀一(羽柴藤五郎)、池田照政、堀秀政(羽柴左衛門尉)ら。


▲ その北、箱根道へ通じる「板橋口」
守るは、氏政弟(従弟)の北条氏忠、筆頭重臣の松田憲秀。

その向こう富士山砦に陣を張るのは、細川忠興(長岡越中)、織田信包(伊勢上野)。

▲ 御隠居・氏政は、最北の「水之尾口」
共に守るは、氏政五男の千葉直重

対するは、羽柴秀次(三好中納言)、宇喜多秀家(備前宰相)。


氏政・氏照らが自ら最前線で迎え撃とうとするところが興味深い。


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~『小田原陣図』松平文庫。本陣は石垣山へ移っている。ピンクのマーカーが北条氏照本陣の報身寺。~


▲ 山側、「荻窪口と久野口」
守るは、氏政弟(従弟)の北条氏光(当初は氏房カ?)

対するは、蒲生レオ様、黒田官兵衛ら。

このあたりの総構はかなり高さがあるので、レオ様たちはずっと下から「うわーっ、北条の総構すっげえな~」と見上げていたってことよね~。


▲ その東、「井細田口」
守るは、氏直弟、岩付の北条氏房。氏房は7月5日、氏直と共に降伏している。

対するは、滝川雄利(羽柴下総)、織田信雄(尾州内府)。

滝川は官兵衛と共に氏直の元へ最後の説得(打ち合わせ?)のために城へ行きましたから、たぶんここから入ったのでしょうねえ。


井細田より南へ海までは徳川家康(内府様/家康公/家康様)の持口となる。
(詳しくは末尾のリンクブログ記事「徳川陣場巡り」を是非ご覧くだされませ)


▲ 井細田とその東の渋取あたり
守るは、武蔵国衆、土気酒井、由良、足利長尾。

▲ 当主氏直とその弟氏房が出城した「渋取口」
守るは、氏直の馬廻り衆、山角、鈴木大学、小幡、津久井の内藤ら。



▲ 渋取と山王のあたり
守るは、和田、箕輪衆、上野国衆など

▲ 東の出丸「篠曲輪」
守るは、一門の吉良、重臣山角、依田。

▲ その南 「山王口」
守るは、重臣山角弟、氏直馬廻り衆二宮。


▲そして 海にはship
長宗我部元親、加藤嘉明、小浜隆景、菅達長、九鬼嘉隆、脇坂安治の水軍勢


ふうぅ~。途中で何度かのポジション替えもあったようですが、以上で合っているかな~。


もちろん以上は主なものだけで、守る側も攻める側も、これらの間も廻りもビッシリと固められ、様々な大名たちから籠城組への調略や、開城へ向けての折衝が進められていくわけです。

また、秀吉は、「城に入って共に籠城したい(果てたい)」と外地からやってくる北条側の者達の入城を許したりもしています。なかなか、人の情けの分かった人物ですな。


flair ちなみに・・
家康(と織田信雄)により氏直の元へ送られ面談したのは、信雄の家臣岡田利世だとのこと。それは、開城の約1ヶ月前。

それを小幡さんに話しちゃったので、小幡文書に書き残されているそうです。


文末にこれまでの小田原攻めについて妄想したブログ記事の一部をリンクいたしましたので、「真田丸」の愚痴をすっ飛ばしてご覧くだされますれば嬉しいです。


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「真田丸」 の愚痴

やっぱり信繁くんが氏政を説得か。

「しかし、なにゆえ私なのですか?」by 信繁
「おぬしが主役だからじゃ」by 家康


氏直には信繁に頭を下げさせ、御隠居さまはついに白塗りの精神破綻者にされてしまった(戦や儀式の際には確かにお羽黒など施していたと以前某先生に伺いましたが、それは別物)。

今年の大河は、「対比」を描くために「(北条を)時代の変化について行けなかっ た象徴」としているそうですね。


最近の大河ドラマの特徴である、「視聴者に分かり易いように対比で描く」ために、なにゆえ北条が事実を変えられここまで過剰な創作をされなければならないのか・・。

また、これもここ数年同じことを書いておりますが、分かり易く、分かり易くって、視聴者をバカにしていますな。


しつこく申しますが、史実通りにやれなんて、これっぽっちも思っておりまへん。だってドラマだもの。

ただ、大河ドラマは影響が大きいのです。我が家の親や同僚たちのように「大河でやっていることは、ほぼ本当」と思う人が多いのです。また、大河でやると、NHKはじめ各局の歴史バラエティー番組や博物館の特別展も、そのコンセプトに追従します。


こうなったら、早く北条が滅びて、ワテに安らかな日常を戻してくれいと思う今日この頃。

では、今宵はこれまでにいたしとうございます。


wine籠城中に自害したとみられる瑞渓院さまのこと→「北条氏康ご正室「瑞渓院」の二つの菩提寺」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-653a.html

「小田原攻め、松平文庫の『小田原陣図』」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-2808.html
「小田原攻め、徳川方の陣場めぐり」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-5964.html
「堀秀政の小田原の墓」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-bf85.html
「小田原攻め、北条氏照の本陣」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-33dc.html

「戦国フィナーレを望む 石垣山一夜城」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/the-b831.html
「石垣山で歴友たちと天正18年を偲んだ」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-e888.html
「天正18年の石垣山を歴友と歩く」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-017b.html
「小田原衆と歩く、総構えの北と西」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-31ae.html


「北条氏政イメージアップ推進ひとり委員会」のマリコ・ポーロでした。

cat 画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。
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