小田原北条最後の日~かくて小田原は開城した
▲ 先代の二人の兄弟
(北条氏政)
御隠居、小田原北条四代当主
(北条氏照)
氏政のすぐ下の弟、八王子城主、北条軍団軍団長、氏政の片腕
二人は小田原開城後、秀吉の命により共に切腹する。
▲ 当代の二人の兄弟
(北条氏直)
氏政嫡男、五代当主
(北条氏房)
氏直の弟、岩付城主
二人は開城後、高野山へ送られる。氏直は、翌年、赦免となった大阪で亡くなる。享年29才。氏房は、2年後、お預けとなった肥前唐津にて秀吉の朝鮮出兵時に亡くなる。享年27才。 天正18年7月5日、小田原城 氏政の新城内
上座に座る氏政、縦格子窓から外を眺めて立つ氏照。氏政の前に控えるは、剃髪し墨染の衣に身を包んだ氏直と氏房。
氏政 「…もうよい、氏直。そなたはそなたの道をゆけ・・」
氏直 「父上…」
氏照、振り返り穏やかにうなずく。
氏直 「おじ上…」
深々と頭を下げよろめきながら立ち上がる氏直と、それを支える弟氏房。
退室しようとするも敷居際で前に進めず立ち止まる氏直の背中に、氏政、必死の願いをこめ
「ゆけっ!ゆくのだ!」
全ての思いを断ち切るように、涙をこらえ城内を渋取口へ向かう二人の兄弟。そのバックに流れるは、亡き氏綱公のあの御遺訓のナレーション(亡き氏綱の声で)。
~天運尽きはて滅亡を致すとも、義理違へまじきと心得なば末世にうしろ指をささるる恥辱はあるまじく候。 昔より天下をしろしめす上とても、一度は滅亡の期あり。
人の命はわずかの間なれば、むさき心底 努々(ゆめゆめ)あるべからず・・~ 再び氏政の屋敷内
城下を見やる、先の世代の二人の兄弟。共に手を携え、一心同体、勝利の旗を上げ続け北條王国を広げてきた。
眼下に広がる こゆるぎ(相模)の海を眺め、氏政は静かに言う。
「美しい海じゃ・・・」
Fin
(今年の大河での氏政の描かれ方にハラタツノリになり、一人妄想してFBにアップしたものです)
~小田原、御幸ケ浜~ お願ひ
出来ましたら、氏政は中井貴一さん。氏照は真田広之さんで妄想お願いたす。 注
「氏綱公御遺訓」は実際に氏綱公が書かれたかどうかは不明です。
以下は以前に書いた、なんちゃって小説です
「レジェンド・オフ・香沼姫」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-bb1a.html
「城跡の幻影~八王子城」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-75cf.html
萩真尼 こと マリコ・ポーロ 画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。
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