北条幻庵の、伊豆の屋敷と菩提寺「金龍院」
シリーズ 北条五代の娘たち
【初代・伊勢宗瑞の娘たち~番外編その1】
修善寺駅より下田街道をバスで下ること約10分 → 尺八の名曲「滝落」ゆかりの名漠旭滝がある「旭滝口」でバスを降り → 5分ほど坂を上ると、北条幻庵宗哲の菩提寺「金龍院」があります。
「金龍院」は眺めが良く、吹く風も爽やかな気持ちのよいお寺でした。 宝珠山「金龍院」
~坂の上の石段を上ると大きなな本堂が現われ、振り返れば幻庵屋敷があった大平(おおだいら)の景色が広々と見晴らせる。~
金龍院には、いつの時代に作られたものかは分かりませんが、幻庵&姉・長松院&妹・青松院、そして母親である善修寺殿のお位牌があります。
幻庵の母「善修寺殿」と、妻の「栖徳寺殿」がどうやら入れ替わって伝わっているらしいことは前回のブログ記事に書きました。次の番外編②でもそのことに触れますが、それを実証する手がかりのひとつが、ここ金龍院の御位牌にも見られました。
幻庵のことが書かれた本などには、「金龍院位牌によると・・」みたいなことがよく出てきます。大変申し訳ないことに、金龍院というお寺自体は明治の初めに無くなったとばかり思っておりました。
ところが、先日のブログ記事にも書かせていただいた三島祐泉寺さんのHPで、金龍院さんが現在も立派に健在されていることを知りました。本当に申し訳もございませんです。
「金龍院殿」とは、言わずもがな、宗瑞の息子で我らが北条の長老である、北条幻庵宗哲の戒名でござります。
お寺の開基は幻庵宗哲。臨済宗大徳寺派早雲寺末寺でしたが、明治の廃仏毀釈の時に一瞬廃寺となり、その後は曹洞宗のお寺として再興されたそうです。
(お寺は境内は自由に入れますが通常本堂は開いておらず、事前にお寺へ連絡をとらせていただきました。) お位牌
~古~い御位牌。写真の掲載はご遠慮願いたいとのことなので、超ヘタクソで雑な絵ですが簡単に書いてみた。(お位牌の形状などは、正確ではござりませぬ。)~
真ん中に金龍院殿、つまり幻庵宗哲。その右側には母の「善修寺殿」。左側には前回のブログ記事に書いた姉の長松院。その左が妹の青松院となっています。背面には、それぞれの関係性と没年が書かれていました。右から順に、
善 天正二年戌年七月弐五日 幻庵公母君也
金 天正十七己丑年十一月朔日 逝去
(空 白)幻庵公姉君也
(空 白)幻庵公妹君也
で、合っているかな・・。背面は、ちょっと見えないところもありましたのでチト不安。もちろん縦書きです。
ところで表面ですが、あれ?
右側(善の隣)が開いていてチト不自然ですね。
ご住職に、「複数を一緒にした位牌ってこういうものなのか」「右端に、いずれ他の誰かを足そうと考えていたのだろうか」と伺ってみたところ、「位牌は複数一緒というものはないですね」「最初は普通に金龍院殿(幻庵)だけだったのを、いつの頃かあとから足したのだと思いますよ」 とのこと。
そういえば、あまりにご先祖様が多くて位牌がたくさんになってしまい置ききれず、後世に数人をまとめたという古いおウチの位牌をいくつか見たことがあります。
再び、あれ?
「宗」の文字がありませんね。馴染みのある「宗哲」「宗意」ではなく、「哲公」「意公」となっていました。あにゃ?「宗」は大徳寺派の僧名ですよね。
このへんは、私にはチト分かりません。
よくお参りできるようにと、ご住職がお位牌を手前の机の上に出してくださいました。しみじみ~と手を合わせました。 伊豆の幻庵屋敷
~館跡にある謎のお堂~
金龍院のすぐ近くには、幻庵の伊豆での屋敷がありました。
幻庵宗哲の屋敷といえば小田原の久野のことしか念頭になく、修善寺大平の屋敷のことはまったく存じませんでした。金龍院さんと同じく、先日お参りした、幻庵の息子の菩提寺である三島の祐泉寺さんのHPで知りました。
候補地は、道芦原地区と下宿地区の二つあるそうですが隣接しているので、妄想する上では、ほぼ「このあたり一帯」という感じでいいのですかねえ。金龍院さんが詳しい場所を教えてくださいました。
一帯は畑でした。説明板もなにもありませんし、新しい路地や道路が作られていて、そこがそうだと知らなければまったくわからないと思います。でも知っているその目で見ると…雰囲気チト分かります。まさか、土塁と堀の名残じゃあないですよね?って。
畑中に狭い小高い場所があります。大きな大きな椿の木の下に、上の写真のお堂がありました。
畑仕事をしてらしたご近所の方が寄ってらして(不審だった?)少しお話を伺えました。お堂は、以前は個人の所有でしたが、今は修善寺町が管理しているそうです。中には、仏様がおわすそうです。
それ以外のことは分からないので、その場でスマホ検索してみましたが何も出てきませんでした。なんだろうねえ。お寺だったのかしらねえ。そんなに古くはないのかしらねえ。
(加筆
まったく分からんので、家に戻ってから伊豆市の方へ問い合わせしてみました。伊豆市さんからは大変丁寧で詳しいお返事を頂戴いたしました。
このお堂は「宝勝院」というお寺だったそうです。しかし、詳細は不明とのこと。また、幻庵の屋敷跡やその地の歴史についての内容も興味深いものでした。
私の方でももう少し勉強して、妄想を広げてからブログに書きたいと思っています。ありがとうございました。) 兄弟姉妹の晩年
~その、謎のお堂がある小高い場所から、下田街道や金龍院や旭滝の方角を眺めるの図。~
金龍院さんで、長松院さまが確かに生きた証のお位牌をお参りした後、境内から、遮る物なく眼下に広がる大平の景色を眺めました。
子供の頃の長松院さまはこの景色を眺めて暮らし駿河に嫁いでいったのだろうな。今川から戻ってきた晩年も、もしかしたら小田原の久野ではなく、この大平で余生を送ったかもしれないな。
また、金龍院の開基は天正11年とのこと。
黒田氏の本によると幻庵の発給文書は、家督を譲った天正11年頃に韮山から発給されたものが数通を最後にパッタリとなくなったそうです。
長松院さまだけではなく、幻庵も、晩年は久野を後継者(孫)に譲り伊豆で暮らしたのではないかと思いました。
早雲こと早雲庵宗瑞も韮山を本拠地としその生涯を終えました。中伊豆は私達北条ファンにとっては、やはり聖地ですねえ。
そういえば!
もう一人の宗瑞の息女、青松院さまーーっ。あなた様はいずこに・・ 名瀑「旭滝」
~写真では全然表せないぐらい、大きくてビックリ。高~くて、神々しいほどキラキラキラキラ。天から落ちてくるみた~い。~
旭滝は、金龍院を下ってすぐのところにあります。136号から入って徒歩でもすぐです。ここには、かつて虚無僧の普化宗「瀧源寺 ろうげんじ」というお寺があったそうです。
虚無僧といえば、吉川栄治『鳴門秘帳』。田村正和サマ。
ぱおぉ~~~♪
どうも古い人間で。いや!時代はもっともっと昔のこと。そして、北条幻庵といえば尺八(一節切)。旭滝を見ることは、幻庵の菩提寺をお参りすることと同じくらい楽しみでした。
内田康夫の『喪われた道』という小説に、この旭滝と、普化宗や虚無僧、そして尺八の名曲「瀧落之曲」のことが書かれてあります(あと大久保長安のことも出てきますよん)。
訪ねた時が小説を読んだ直後だったので、もっと曰くありげな閉塞感のある滝だと勝手にイメージしていました。ところがギッチョン、明るくまぶしく、また、雨が続いていた後だったので水量も多く見事なものでした。つい、「おおぉ! 」と声が出てしもうただよ。
県指定文化財の十一面観音
瀧源寺の御本尊だった十一面観音は、現在は金龍院にあります。平安時代の作とみられています。金龍院さんでは、そちらも拝ませていただけました。
高さは1mあるかないか。小振りなのに迫力がある観音様でした。函南といい、韮山の願成就院といい、伊豆半島には素晴らしい仏様がたくさんあるのですねえ。
早雲の息女だけでマリコ・ポーロは3部作になってしまう。氏直の息女までなんていつになるやら。いや、だいたいからして遠征費用が掛かり過ぎ、そこまで続くのだろうか。。。
では、こたびはここまでに。番外編その②へまだ続く。
北条幻庵の子息の菩提寺「三島 祐泉寺」
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萩真尼 こと マリコ・ポーロ
画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。
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