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2016年11月 3日 (木)

北条幻庵の妻は、葛山氏ではないだろうか?

【シリーズ 北条の血をひく女人たち】
伊勢宗瑞の息女たち~番外編その2

Img20160912_203838
~小田原久野にある栖徳山京福寺~


富士の裾野の名族、葛山氏の最後を今さら初めて知りました。衝撃的でした。文末に取り急ぎ少しだけ。


さて、
前回のブログ記事「番外編その①」では、幻庵こと北条宗哲の伊豆の屋敷と菩提寺を訪れた時のことをご報告いたしました。

こちら小田原の久野は、幻庵宗哲の小田原での屋敷があった一帯です。ここに、「栖徳山 京福寺」はあります。


pen その前に、幻庵宗哲の母親と正室についてですが・・

位牌や過去帳などの研究から、現在では、幻庵ママが善修寺殿。ミセス幻庵は栖徳寺殿(せいとくじ)とされているそうです。ママ善修寺殿は伊豆の狩野氏の娘(たぶん)。ミセス栖徳寺殿は今のところ出自不明です。


前々回のブログ記事「北条早雲こと伊勢宗瑞の息女たち」で昨今の説を、前回のブログで、それを確かめるべく伊豆修善寺にある幻庵の菩提寺「金龍院」をお参りした時のことを書きましたので、そちらも合わせてご覧くださると助かりまする。


そこで行き当るのが、幻庵宗哲のミセスはどこのどなた様か?ということですよね。

小田原詣(?)はもう何十回にもなりますが、先日、なんと初めて幻庵殿の久野へ行きました。例によってウロチョロウロチョロしていて見つけたのが「栖徳山京福寺」。


栖徳!
ミセスの法名ではありませんかっ!

あ、皆さんとうにご存知で。幻庵ファンには当然知られたお寺とのことですが、今まで全然気に留めんかっただよsweat01

京福寺は、かつては足柄街道をもう少し先へ行った幻庵の屋敷跡の奥にあったそうですが、その後(いつ?)現在の場所に移されたそうです。


ここで、ちょっと待った!

え?え?え?小田原の幻庵の屋敷跡は現在の中宿あたりですが、伊豆の幻庵屋敷跡も同じく現在の中宿ですよ!


これはどういう偶然の一致ですか!?ドびっくり~。

冷静になって考えると、つまり、そうなるべく場所に幻庵は屋敷を構えたということなのだね。お流石でござりますなぁ。


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~本堂の屋根にも内陣にも、泣く子も黙る三鱗~


大好きな萩の花が風情をいや増しているお寺の境内には説明板がありました。

へえぇ~。北条研究の先生方の本には、「栖徳寺殿」は<せいとくじでん>とありますが、お寺では<すうとくじでん>と呼ぶのですね。


え?え?え?ちょっと待った!←また(^^;

そも、こちらのお寺は、「葛山氏の菩提寺」だとあるではありませんか!


ドびっくり~!←また(^^;

つまり・・
栖徳寺殿様が幻庵の母であれ妻であれ、栖徳寺殿=葛山氏 ということか!


昔、何かで読んだことがあります。栖徳寺殿は、幻庵や氏綱の兄弟である、葛山に養子に入った「氏広の正室で北条の女」だと。

その時、某SNS に書いたことを今思い出しましたが、「確かに当時の伊勢宗瑞にとって葛山は大事かもしれないけれど、その頃の北条家にはまだそこまでの女子の要員がおらず、血が近すぎてそんなこたあないやろう」とスルーしていました。


しかし、逆に考えたらどうだろう?

幻庵の正室を葛山氏から迎えることは十分あり得る話です。宗瑞が、側室である葛山殿との間に出来た息子(氏広)を葛山へ入れ、もう一人の息子(幻庵)には葛山から嫁をもらう。

それは、もしかしたら、葛山殿の姪とか従妹とかかもしれない。(←で、大丈夫よね?血は濃くならないですよね?ややこしくて、自分で書いてて訳分からなくなっちゃった。)


当時の宗瑞はまだ今川の構成員だったから、自分も含め、三浦だの葛山だのとの婚姻政策が大事だったのかもしれない。実際、氏広は今川の御一家衆に名を連ねています。いや、すでに宗瑞が御一家衆だったので、今川筋との縁組が盛んに行われたのでしょうか?

孫(氏綱の娘)も葛山に嫁がせているし、前にも書きましたが、葛山とは濃ゆ~~い関係ですねえ。


(加筆
というか、もしかしたら宗瑞は、今川の御屋形様に覚られぬよう、着々と駿東ゲットを目論んでいたのかもしれへんかもしれへん。義元の代になった時、義元はそのけん制のために武田と組みましたものね。)


pen 葛山氏のこと

葛山に嫁いだ氏綱の息女 ちよさん のことを調べていて、ドびっくり~(←また)。

追々書こうと思っていますが、葛山氏の最後をご存知でしたか?あんなことやこんなことがあった結果(追って)、ちよさんが嫁いだ葛山氏元は、信玄殿に謀反の疑いをかけられ、「諏訪にて誅畢」されたそうですよ。


「諏訪にて誅畢」は、北条友の一人である武将さんが裾野市史から探し出してくださいました。

氏元は諏訪で処断され遺体は諏訪湖に沈められたとか、諏訪湖に投身したとか色々と伝わっているのですね。

武将さんが教えてくださったので私も図書館で裾野市史や諏訪市史や茅野市史を見てみました。「諏訪湖に投身(潜蹤)」という言葉は裾野市史の『仏眼禅師語録』にありましたが、諏訪や茅野の市史には葛山のことは何も載っていませんでした。


それにしても、宗瑞や氏綱がこれほど関係を大事にした名族の終焉は諏訪だった。それも、もしかしたら諏訪湖の底に沈んで終わりかと思うと切ないです。

このことは、また。


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~京福寺の景虎の供養塔~

話を小田原の栖徳山京福寺に戻し。

京福寺には、越後に嫁いだ・・ちゃうちゃうpaper養子に行った、氏康の息子で幻庵の娘婿であった景虎さんの供養塔がありました。


次は、葛山と共にその生涯を終えた ちよさんをはじめとする北条氏綱の息女たちになりますが、なんですか、様々な時代や様々な人々が交錯し、「北条五代」ってやっぱり長いな~と思った秋の一日でした。

では、こたびはここまでに。


北条早雲こと伊勢宗瑞の息女たち
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-3132.html
北条幻庵の、伊豆の屋敷と菩提寺
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-df1a.html


マリコ・ポーロ こと 萩真尼

cat 画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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