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2017年3月31日 (金)

吉良頼康ゆかりの寺々(川崎・目黒・世田谷・蒔田)

シリーズ 北条五代の娘たち
二代・北条氏綱の息女たち、吉良頼康室~続編】


wine 「泉澤寺」
川崎、武蔵小杉駅からバスで15分弱位…だったかな?

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~門前に着くなり、説明板でいきなり我らが氏政アニキの虎朱印!(右下の)~


泉澤寺は当初世田谷にあったものの、火災にあったために天文年間に頼康殿が現在の地へ移したと伝わっています。お寺は中原往還に面しており、周りには当時の堀ではないかといわれている二ヶ領用水が流れています。


ご本尊の阿弥陀如来は南北朝時代の作。その銘札には、「吉良頼康」と「妻平氏女」の墨書きが残っているそうです(『戦336』 by 黒田基樹『北条早雲とその一族 2007』)。

「平氏女」とは、小田原北条家の姫ということです。頼康と連名で「妻」となっているということは、頼康に嫁いだ北条氏綱の娘、つまり、﨑姫ということになります。(ということの連呼で恐縮。)法名は不明。


お寺の方に伺ってみました。大変感じ良く対応してくださいましたが、その銘札のことは分からない、亡き先代なら知っていたかもしれないとのこと。残念なり。

そこで、家に戻ってから川崎市さんの方へ問い合わせさせていただいたところ、北条幻庵の伊豆市さん同様、とても詳しく丁寧なお返事を頂戴しました。なんと、世田谷区にまで聞いてくださっていました。


以下、要約です。

上記の『戦国遺文後北条氏編336』は、世田谷区が出版した『世田谷区史料第二集』からの引用なので、世田谷区に問い合わせてみたところ…
「1959年以前に世田谷区内の古文書等の調査をした際に、泉澤寺のこの阿弥陀仏の札銘に関する記録が出てきた」

のだそうですが、この記録も札銘も現在は確認が出来ない状態なのだそうです。


(川崎市さん、世田谷区さん、お忙しいところ一歴史ファンの疑問を調べてくださり誠にありがとうございました。)


泉澤寺は元々世田谷にあったので、お寺の記録も世田谷に残っているのだとは思いますが、それにしてももう分からないとは重ね重ね残念じゃのうcrying

(どのように書かれていたのかは記録に残っていて史料を読むことが出来ます。ややこしく長くなるゆえここには書きませんが、ご興味あらばお調べくだされ。)

川崎市教育委員会HP→http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000000056.html


wine 次は「勝光院」
世田谷区、世田谷線宮の坂駅

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~駅から住宅街に入るとすぐに美しい竹林が現われた~


当初は「竜凰寺」として吉良家が創建。その後、先のブログ記事にも書いた、頼康の養子となった北条氏朝が、養父頼康の院号の「勝光院」と改めたそうです。

すわっ、ほな頼康殿のお墓はここかっ!と思ったのですが、そこらへんのところはよく分かりません。


「吉良家墓所 ↑ この先右手」という案内板がある木戸をくぐると、きちんと柵で囲まれた世田谷吉良一族の墓所がありました。説明板を読むと、こちらには氏朝の孫以降のお墓があると書かれていました。

つまり江戸時代ってことですな。右の隅には、もう少し古そうな五輪塔がいくつかまとめてありましたが、あれらはどなたのお墓なのかな…。


「氏朝の局」(正室である北条の娘か、側室かは不明)や、世田谷城にあった千手観音などの仏様が坐すそうなのですが、本堂はピシッと閉っていて、境内は人っ子一人おらず静寂に包まれていたため、お参りできるのか否か分かりませんでした。

勝光院は非常に美しいお寺で敷地も広く、世田谷線の駅近くの住宅街に京都の洛外にあるようなお寺があるとは想像もしていませんでした。


wine 世田谷「勝国寺」
世田谷区、世田谷線世田谷駅

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~境内で、ワテのことをジーーーッと見ていた猫。「よりやす殿か?」と声をかけてみたが、無反応。お寺に入ってから出てゆくまで、ずーーーーっと見られていたsweat01。~


開基は頼康殿のお祖父さんといわれている政忠殿です。

こちらには、小田原北条から嫁いだ室の持仏であった(『世田谷区社寺史料』より)と伝わる薬師如来が坐します。昭和初期までは秘仏だったと『勝国寺寺院明細帳』にあったそうですが、その『勝国寺寺院明細帳』の所在は今は不明で、調査時に聞き取ったものだろうとのことです。


現在、秘仏は年に一度、新春初薬師法要の時(1月12日が日曜日の場合は1月12日、それ以外は1月12日以降の最初の日曜日)に御開帳があります。

是非拝んでみたい!と思ったら、歴友師匠に、「(数年前の)横浜歴博の蒔田の吉良氏展に出ていたじゃない」と言われちった。まったく覚えとらんcrying。なに見てんだろ私ったら。


それよりなにより、
勝国寺は、なぜ世田谷と蒔田と2つあるのだろうか?

世田谷区HP→http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/106/152/d00129077.html


wine 蒔田「勝国寺」
横浜市、ブルーライン蒔田駅

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~蒔田城の麓にある勝国寺~


ということで、蒔田の勝国寺にもお参りしました。


吉良殿の主な領地は世田谷と蒔田ですよね。どっちを、いつ、どのように使っていたのか知りませんでしたが、上と同じく横浜歴博の企画展の時に少し雰囲気が分かりました。

吉良成高・頼康父子の頃は、世田谷が公邸で正室が住み、蒔田は文化人などが訪れる別荘のような場所だったのだろうとのことだそうです。へえ~~。

また、
パパ成高の妻は「世田谷局」と呼ばれ(上杉定正書状)、息子の頼康(or氏朝)の妻は「蒔田御前」と称した(世田谷徴古録)ともありました。へえ~~。


蒔田勝国寺には頼康殿の供養塔があります。案内&説明板があり、自由にお参りできます。

境内の碑には、「頼康も当寺に葬りしといへば四基の中にあると思慮せられる」とありました。ホンマどすかっ!ドびっくり~ coldsweats02。ただ、頼康のお祖父さん・政忠の法名は「勝国寺殿」ではない、とも言われていますな…。うーん。よう分からん。


それにしても、今、蒔田城には某女学校が建っていますね。学校が建っていて良かったです。

これは玉縄城にも言えることですが、もし学校が建っていなかったら、今頃は宅地開発やその他様々な施設により跡形も無くなっていたことだろうと、私は思いますよ。


wine 東光寺
目黒区八雲、都立大学駅

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~おお!吉良殿の紋がまぶしかとーshine


東光寺は、頼康殿より数代前のご先祖殿が、幼少で亡くなった息子の墓所としたお寺だそうですが、説明板を読んで驚きました。


こちらには3基の宝篋院塔があり、案内板もあって自由にお参りできます。

その幼少で亡くなった方以外のあとの2つの宝篋院塔のうちのひとつが、私が今探している頼康殿のお墓だとされていました。そして、あとのひとつは、頼康養子の氏朝(山木大方と今川堀越六郎の息子) の娘、つまり頼康の義理の孫のお墓だと!

ホンマどすか!ドびっくり~coldsweats02


う~ん。しかし…
頼康の法名は「勝光院殿」なのに「大徳寺殿」となっているし、没年も大永では早過ぎるし、官途名がこちらは「左京大夫」になっていますが、そうじゃなかったような…。手持ちの吉良の年表を見てみたらやっぱり違うような。世田谷吉良で「左京大夫」は3代目の頼氏だけのような。頼氏の法名は「大徳寺殿」かな?チト分からにゃい。

まあねえ、昔のことゆえ、その後の数百年の間に何人もの名前が混ぜぇこぜぇになってしまうなんてことは、どこのお寺でもあることですよね~。


いや、それとも!あの当時は頼康殿を世田谷に葬れなかった理由が何かあったのかのう。

まったく分からん!いったい、頼康殿とその室である北条氏綱の娘はどこに葬られたのか…。


以上の他にも世田谷等々力で満願寺や八幡神社などを訪ね歩きました。

頼康殿は寺社への信仰心が厚かったようで、ゆかりの素敵なお寺は他にもあまたありますが、これ以上お寺参りをしては脳内が益々混乱してしまいそう。ひとまず頼康殿のお寺巡りはこれにて終わりにいたしとう存じます。


本編→北条五代の娘たち ③ 吉良頼康室~謙信の侵攻と吉良の代替わり
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-9be1.html

「蒔田の吉良氏 戦国まぼろしの蒔田城と姫君」展
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/at-2d5f.html
「後北条の姫も妬んだ常盤姫」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-64d0.html
「後北条の女領主、伊豆の山木大方」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-d6d6.html

「北条五代の娘たち①北条早雲こと伊勢宗瑞の娘たち」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-3132.html

「北条五代の娘たち②太田資高室~江戸城を取り戻せなかった太田資高」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-3f58.html→その後知った驚きの事実「浄心院は三浦道寸の娘ではなく、北条氏綱の娘ではないか? 」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-aaec.html


萩真尼 こと マリコ・ポーロ

cat 画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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