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2017年5月30日 (火)

講演会 「後北条以前の小田原」

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~サブタイトルは「政治・社会状況からみる鎌倉・室町時代の小田原地域」~


ゴールデンウィークで賑わう小田原で催された講演会の主催は、小田原史談会さん。

講師は、野村朋弘氏。京都造形大(東京の)准教授で、小田原在住。ご専門は中世朝廷儀礼・公武・神社史。特には、金沢文庫の称名寺文書だそうで す。北条執権~南北朝あたりの話を少しされましたが、面白かったです。


講演会場は、お城の本丸広場より混んでいると言っても過言ではない程の沢山の人で、大盛況~!立ち見はおろか会場に入りきれるのか、消防法は大丈夫かと心配しましたが、どうにか大丈夫だったらしいです。私はもちろん2時間立ち見、いや立ち聞き。

後北条以前の小田原ってあまり知らないですものねえ。私なんて、『鎌倉大草子』の足利尊氏さまの野営のことぐらいしか存じまへん。興味津々ですよねえ。


それもそのはず、講師の野村氏もおっしゃるように、後北条以前の小田原に関する史料はほとんどないそうです。

史料が少ない中での「歴史の復元」「小田原の、敗者の歴史の再構築」がこたびの目的とのこと。あ!「敗者」というのは小田原北条家ではありませんよ。後北条以前ですから、上杉禅秀の乱で、禅秀について負けた中村党の土肥氏や、次に小田原をおさえたものの、伊勢宗瑞に負けてしまった大森氏などのことです。


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~会場は駅から天守閣にむかう途中の市民交流センターUMECO。ホールには亡くなったUMECOの肖像画と北条五代キャラクター画が並んでいた。~


horse 講演内容

-古代の相模の国の成り立ち、古代~中世の小田原・鎌倉へ至る街道、小田原宿・酒匂宿などの宿、早川・成田・中村などの荘園とその領主、北条執権が滅びた要因のひとつ(後家人制度の複雑化と崩れ)などなど。


-酒匂・国府津・小田原あたりは交通の要所であり、また、様々な例から、幕府(鎌倉幕府)からすると早川・国府津あたりが重要な境界線 だったと。

知らなかったのですが、酒匂には、将軍家(室町)が泊まる御座所があったそうですね。御座所跡のようなものは残っているのかしら?


-最後の10分ぐらいで荘園領主の話になり、大森氏の話が出たのですが、このへんの話をもそっと聞きたかったかったと思いました。

小田原についての史料がとーっても少ないのは、上にも書きましたが、つまり彼らは敗者であるからだそうです。そのあとに北条が入ったから。

江戸時代以前の江戸と同じだと思いましたわ。江戸時代以前の江戸には何も無かったとされたのは、小田原北条は敗者であり、そのあとに徳川殿が入ったからね。


急いで帰らなければならなかったので、講演後の質問タイムまではいられませんでした。会場を去る時に、最初の質問者の方が「北条以前の領主の館はどのあたりにあったのか…」のようなことを質問されてらっしゃいました。

うー、聞きたかったよぉcrying
どこにあったの?


「小田原にある謎の城跡 花岳城」(城源寺)
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-3b70.html


萩真尼 こと マリコ・ポーロ

cat 画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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