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2017年6月 7日 (水)

今川氏真が父義元の13回忌を営んだ小田原「久翁寺」

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~久翁寺は、北条幻庵の家臣の関善左衛門が中興したとのこと。現在は無住。~


駿府を捨て、掛川、戸倉と移ってきた今川氏真がどうにか落ち着いたのが、正室・早川殿の実家である北条の小田原です。小田原では、城から西へ早川を渡った「早川」に屋敷を与えられたとされています。後の一夜城の麓になります。

早川は北条の重鎮中の重鎮、宗瑞(早雲)の息子、北条幻庵の知行地でした。幻庵は、小田原に戻ってきたり逃れてきたりした親族たちの後見をする立場にあったようで、氏真ご一行様が早川にいたというのも、確かな史料はありませんが幻庵の関係からなのだと思います。


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久翁寺のことは『北条氏康の子供たち』で知りました。今川義元殿の13回忌が営まれたことは、龍譚寺所蔵「記事諸余」にあるそうです。他にも書かれているものがないか帰りに城内の図書館で探してみましたが、ありませんでした。


あの今川義元殿の法事が、あの氏真によって小田原で営まれたとは、なんだか感慨深いものがあります。

法要には、氏真の女兄弟で、武田信玄の息子義信に嫁いだ嶺松院(嶺寒院?)も列席していたことでしょう。嶺松院は義信廃嫡後に実家に戻されてより、氏真夫妻と行動を共にしています。

また、その席には、宗瑞の娘で今川の三浦に嫁ぎ、こたび同じく一緒に戻ってきた長松院様もいたことでしょう。


このまま小田原から、駿府復帰を果たしたかった(たぶん)氏真殿。しかし、再び流浪の人生が始まります。もちろん、正室である我らが北条の早川殿も、その人生の最後まで一緒だったことは言うまでもありません。

二人の終焉の地である江戸品川の屋敷跡のことは、追々。


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~今日の江戸時代の小田原城は、菖蒲と紫陽花で美しく彩られていました。~


「東京にある、今川氏真と早川殿の菩提寺」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-1bac.html

「駿府 「臨済寺」の特別公開」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-2e50.html
「今川時代の駿府~吐月峰 柴屋寺」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-7dec.html

「駿府で暮らした早雲の姉と北条氏規」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-5a23.html

「北条五代の娘たち①今川から戻った長松院様」
伊勢宗瑞(北条早雲)の息女たち
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-3132.html
北条幻庵の、伊豆の屋敷と菩提寺
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-df1a.html
「北条幻庵の妻は、葛山氏ではないだろうか?」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-d602.html


萩真尼 こと マリコ・ポーロ

cat 画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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