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2017年11月 3日 (金)

「寿桂尼と今川氏展」 島田市博物館(2017)

マリコ・ポーロ


Photo
~島田宿を歩き大井川に突き当たった河畔に建つ~


早川殿 朱印状

♪ 唄は茶っ切り節~ 男はぁぁ 次郎長~

毎度古くてすみませんと、静岡の茶どころ島田の宿、島田市博物館の「寿桂尼と今川氏展」へ行った一番の目的は、今川氏真に嫁いだ北条氏康の娘、早川殿の ナマ朱印 を見ることです。


ただそれだけのために島田まで行くかね。我ながらビックリですが、今のところ日本でただひとつしかないのです。

今まででしたら行かなかったと思いますが、書き続けている「北条五代の娘たち」で早川殿の足跡を辿ったばかりでパッション Max。どうしても見たい!お昼ご飯代を削ってでも、秘蔵のマンガを売ってでも見たい(?)。エイヤッ! と行ってしまいました。


堪能しました~ 早川殿の朱印 「芳菊」 。早川殿の朱印は「幸菊」と書かれている本が多いので、私もそう思ってきましたが、「芳菊」なんですね。でも、義元殿の印伴「承芳」の「芳」の字と随分違うような、違わないような…。ちょっと私には分かりませんが。

一回見て、会場を一回りしてまた戻って見ました。穴のあくほど見ちゃった。もし穴が開いていたら、私がジーーーーッと見たからです。なんてね。


朱印状の内容は、寿桂尼が所領を安堵していたお寺に、寿桂尼が亡くなったあとその権限を受け継いだ早川殿が、寿桂尼と同じく所領を認めたものでした。

Photo_4
~図録を撮ったのでボケボケ。現物はかなりハッキリクッキリと鮮やかだった。図録には「芳菊」とあったが、展示はどうだったか忘れた


朱印状が出されたのは永禄11年11月。その1ヶ月後、今川は武田信玄によって駿府を追われることになります。


そして、
今回の企画展では、花倉(花蔵)の乱について 2つ 新しいことを知りました。そのうちの1つは、本当に驚きました。


「花倉」の乱?「花蔵」の乱?

皆さんはとうにご存知かもしれませんが、今、「花倉の乱」ではなく、「花蔵の乱」と呼ぶ(書く)方が主流だそうですね。


「花倉」とは合戦があった場所。はなくらの乱は、以前は恵探が福島と最終的に花倉城に入り起こした内乱のように考えられていたので「花倉の乱」と言われていました。私もそう認識していました。

しかし今では、はなくらの乱は、花倉城だけでのことではなく、今川家を二分し北条や武田など周辺の大名も巻き込んだ大きな政争だととらえられ、恵探の異名「花蔵殿」から「花蔵の乱」と呼ばれているそうです。


知らんかった~。ブログなどに書く時に、「花倉」「花蔵」どちらの字を使うかいつも悩んでいましたよ。へえ~~~。


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~図録充実。ワテの2つの知らなかったことも記載。キーホルダーは、「反撃!今川さん」。悔し涙の義元殿だとか。静岡市非公式キャラクターだそうだが人気者で活躍している。~


そしてもうひとつは、もっの凄く驚いたこと。

寿桂尼は、「花蔵ト同心シテ」いた by 高白斎記

ドびっくり~~


なぜ同心したのか?

寿桂尼も恵探も共に北条と繋がりが深かったことと、栴岳承芳(義元)と組み今川家中で発言力を増してきた雪斎への寿桂尼の対抗意識から…ですと。恵探が北条と懇意だったのも知りませんでした。


よもや寿桂尼が実子の義元を抹殺するまでのことではないとは思いますが、ほなら、北条氏綱は義元に支援を要請されたのではなく、やっぱり氏綱が「今が好機!」と、勝手に河東に乱入したのだったりして。

いや、それより、氏綱に要請したのは義元ではなくと恵探と組んだ寿桂尼だったりして。すると、乱後に義元が怒って、雪斎ラインで武田と同盟したのも納得だわ~なんて思ってしまいました。


ホンマかいなと思って、家に戻ってからチト調べてみました。それは有光氏・前田氏・大久保氏らのご研究のようです。しかし、「同心シテ」 をどう解釈するかはそれぞれ「味方をする」「一味して」などなど諸先生方色々。小和田先生は、「妥協して」ととらえてらっしゃるようです。

いずれにしても、これは他国の高白斎が見聞きしたことを書いたもの。聞き間違いや情報伝達の不十分さもあると思われるから、そのまま理解してよいかどうかも問題とありました。


また、乱の前、寿桂尼が恵探のもとを訪れる時に「住書を持参した」とあるそうで、それは、この乱の妥協案が書かれたものではないかと小和田先生はおっさってらっさるそうです。住書 には何が書かれてあったのでしょう。寿桂尼は息子義元を助けようとしたのでしょうか…。

また、寿桂尼が恵探に住書を持っていったことを、なんで駒井が知ったのでしょうね。


そんな論争があることなんて全然知りませんでした。『今川氏研究の最前線』にも書いてなかったような…。

(加筆:
『今川氏研究の最前線』の大石泰史氏 P109 にそれらしきニュアンスのことが書いてあると、コメントちょうだいしました。あらためて読んでみましたら、ホント、あるある!ありがとうございました。福嶋との繋がりは夫君の氏親さま時代からなのですね。へえ~。


様々な論文や本を全て読んで常に最新の研究を知るということは私には無理ですが、諸説ありということを知ることができ、また、早川殿のナマ朱印も堪能することが出来て今回の企画展に、エイヤッと行ってよかったです。神様、仏様、稲尾様(これまた古い)、ありがとう。


「寿桂尼と今川氏展」は、11月26日(日)まで。

新発見・初公開だという、氏真さんが6首の和歌を書いたものも出ていました。書かれたのは天正5年頃。氏真が諏訪原城にいた頃です。注)途中一部展示替えがあるようです。


寿桂尼の隠居所&菩提寺 「龍雲寺」

島田で企画展を観たあとは駿府へ戻り、静岡駅からバスですぐの寿桂尼さまのお墓参りです。

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~寿桂尼墓所を背後に、寿桂尼が見守った駿府のご城下をワテも眺めてみた。~


これも行きたい
「馬をめでる武将たち」 馬の博物館

新発見の「伝・北条氏康像」や、「今川氏真像」も出ているそうです。またまた講演会も魅力的。講演会は行けないですが…。HP→http://www.bajibunka.jrao.ne.jp/uma/event/event_20171020.html


「駿府 「臨済寺」の特別公開」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-2e50.html
「今川時代の駿府~吐月峰 柴屋寺」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-7dec.html
「駿府で暮らした早雲の姉と北条氏規」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-5a23.html

「北条五代の娘たち④今川氏真室~戦国の高等遊民夫妻」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-9cbd.html
「今川氏真が父義元の13回忌を営んだ小田原の久翁寺」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/13-bdf8.html
「東京にある、今川氏真と早川殿の菩提寺」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-1bac.html
「今川氏真夫妻らの、当初の菩提寺 「萬昌院」」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-88b5.html


萩真尼ことマリコ・ポーロ

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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