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2017年11月20日 (月)

花蔵の乱~寿桂尼は恵探を擁立しようとしていた!?

マリコ・ポーロ

加筆しました。あわせて是非ご覧くださいませ。
「諸説あり?『北条氏康の妻 瑞渓院』 黒田基樹著」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/12/post-56ab.html


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~駿府、寿桂尼の隠居所であり菩提寺でもある「龍雲寺」~


少し前のブログ記事に、島田市博物館の「寿桂尼と今川氏展」のことを書きました。その時、花蔵の乱で寿桂尼は義元ではなく玄広恵探を擁立しようとしていたという展示を見て、皆さんはすでにご存知のことだったかもしれませんが、私は驚いてしまいました。


その根拠として、

① 企画展の説明には、高白斎記に「(寿桂尼は)花蔵ト同心シテ」とあることだとありました。高白斎とは、信玄殿の駒井高白斎のことですね。


チラッと調べたところ、

② ‐寿桂尼は福嶋のところへ何かしらの「住書(注書)」を持って行った(←このことがどこに書かれていたのかは、この時点では調べきれなかった)。
   ‐ 寿桂尼は夫君の氏親の代から、恵探の母(氏親様の側室)の実家の福嶋と昵懇だった。その関係は、寿桂尼が隠居しても続いている。

いうことは分かりました。


北条以外にあまり興味の巾を広げないようにしているため、寿桂尼が恵探側だったということは初耳で本当にビックリ 。広げないようにしているのに、もう少し詳しいことが知りたくて…買ってしまいました~。

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~有光友學 著。吉川弘文館。葛山を調べるのにチョコチョコ図書館で読んでいたが、図書館通いでは間に合わなくなってしまった(キーホルダーは今川さん)。~


ご本の発刊は2013年ですが、参考にさせていただいたのは、中におさめられている 1992年の講演のお話です。


①の「同心シテ」の解釈は諸先生方によって様々です。事件のザックリした流れと合わせて以下。


(天文5年)
3月17日、当主氏輝とその弟彦五郎が同日に急死。

4月27日、福嶋、恵探を擁立し挙兵。

5月24日、高白斎の日記には以下のように書かれているそうです。ここで、寿桂尼が福嶋のところへ行き「同心シテ」が出てきます。

「五月廿四日夜、氏照(輝)ノ老母、福嶋越前守宿所ヘ行、花蔵ト同心シテ、翌廿五日従未明於駿府戦、夜中福嶋党久能へ引籠、…」

そして、6月14日、花蔵殿(恵探)は藤枝の普門寺で自害することになります。

(天文6年)
2月10日、義元と武田信虎の娘が結婚

2月26日、北条氏綱が「駿州出陣」

という事態になってゆきます。


② の「住書(注書)」とは、書物(カキモノ)、書類のことです。かなり分かりました。


「住書(柱書)」のことが書かれていたのは、義元が岡部左京進に出した自筆の感状だそうです。

何に対しての感状かというと、花蔵に取られた「住書」を取り返したことに対してだそうです。
住書花蔵ヘ被取之処、親綱(岡部)取返付畢


そして岡部殿は、賜った感状にメモを書き足しています。

乱の前に、大上様(寿桂尼)が住書(注書)を持って花蔵殿へ行った。(岡部殿は)花蔵城(葉梨城)を落とし、住書を取り返した、と。

大上様御注書お取、花蔵被為参候処…うんぬん」


へえ~~ 。乱の前ですか~。感状が出たということは、よほど大事な書き付けだったのですね。その住書にはいったい何が書かれていたのでしょう。


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~企画展でかかっていた今川の赤鳥~


有光先生の本には、寿桂尼の発給文書のことも書かれていました。

同じく息子である先代の氏輝の時は、氏輝が一人前になるまでは寿桂尼が代わって発給していることが多かったのですが、義元の代になるとそれが全くないそうです。義元はまだ 18‐19才で、印判も僧侶時代の黒印「承芳」を使っている頃だったにもかかわらずです。

つまり、乱以降、寿桂尼はかなり遠ざけられたのではないかというのです。


しょえ~~

なんだか、色々と複雑そう。


歴史小説や雑誌を読んだり、ネットなどで検索すると、今でもほとんど「寿桂尼は実の息子の義元を当主にしたかったので、雪斎と組んで福嶋と恵探を滅ぼした」と書かれていますよねえ。時代劇だって、義元の傍には必ず雪斎と寿桂尼がいるじゃあないですか。

前のブログにも書きましたが、島田市博物館にいかなければ私は諸説あることを知らず、これからも「息子を当主にしようとした寿桂尼」を話していたと思います。花蔵に限らず、こういうことって他にもたくさんあるのだろうな~。


これで完全に決まり!という時点ではまだないとは思いますが、これからはドラマや映画の絵面も少し変わってくるのでしょうかねえ。


「福嶋氏と氏親・寿桂尼~戦国史研究会」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/post-8921.html

「寿桂尼と今川氏展」 島田市博物館(2017)
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/2017-29ad.html


萩真尼 こと マリコ・ポーロ

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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