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2018年11月20日 (火)

シンポジウム「戦国都市小田原の風景」 2018.11

マリコ・ポーロ


その前に…

恒例となったクリスマス行事?「お城EXPO」が 12/22~24 に開催されます。北条関係では以下のプログラムがあります。

・23日15:00~16:00 
 佐々木健策・諏訪間順 両氏によるセミナー
 「小田原北条の城を語る」
・24日13:00~14:30 
 諏訪間順、平山優 両氏による厳選プログラム
 「戦国大名の生き残り戦略ー小田原北条氏と武田氏の城から考えるー」

今までで一番面白そう。行けないですが…


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~12月24日まで~


▲鎌倉での玉縄北条の講演会 ▲氏綱の八幡宮再建(氏綱奉納の太刀&氏康建立の大鳥居跡)に続けて、▲玉縄北条綱成に嫁いだ氏綱の娘大頂院のことを書き、「鎌倉トリロジー三つ鱗」にしようと目論んでおりました。しかし、先日の小田原での講演会がとても面白かったので、忘れないうちに自分の備忘も兼ねてそちらの方を先に。


「北条早雲公顕彰五百年事業」たけなわ?の今日この頃。サル11月10日、小田原城天守閣特別展「小田原開府五百年~北条氏綱から続くあゆみ~」の関連行事として催されたシンポジウム「戦国都市小田原の風景」を拝聴しました。


午前中は、特別展を観に天守閣へ

企画展にしてもドラマにしても、早雲こと宗瑞や氏康、または天正18年の氏政さんをメインに据えることが多いですが、さすが本城小田原。こたびの五百年事業では我ら北条ファンがもっともリスペクトする二代北条氏綱公をメインにしてくれています。嬉しいねえ。

(注) 目玉の氏綱公の鞍は3階に展示されています。回廊になっているところではありもはん。


午後は本題のシンポジウムへ

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~アサクラってる表紙。小田原市内の遺跡分布図も折り込みでたくさん付いて論文集のような内容。~


シンポジウム前半の特別講演は、小野正敏先生。その後は、小田原の発掘現場ではお馴染みの土屋氏(小田原市)・太田氏&小山氏(玉川文化財研究所)により、度々見学会も行われた発掘調査の興味深い事例報告3件が続きました。

ここ数年小田原の町をウロチョロしていると、あちらこちらで発掘調査をしている光景に出くわしますよね。これらの城下町の発掘調査は、小田原が当初から山の下にも政治の中心があったことの証明にもなってきています。


さて、小野先生の講演のテーマは、「小田原と東国の戦国城下町」。今年1月の同じく小田原での講演「戦国大名と京都-小田原北条氏にみる権威の演出」と同様、KK(客観的辛口)で、とても面白かったです。

下記、知らなかったこと(私が)やビビッときたことを備忘。


お話は、
・領国の首都としての小田原
・他国から小田原はどう見られていたのか
・小田原を首都というなら他はどうなのか
・小田原は首都といえるか
・守護大名と違う小田原北条の町づくり

などなどの視点から進みました。


「開府」について

上にも書きましたが、今年から来年にかけて小田原は「小田原開府五百年~北条氏綱から続くあゆみ~」と銘打ち様々な顕彰やイベントを行っています。

思っていたんですよね~実は。小田原は幕府を開いていたわけでもないし、府中でもなのに、「開府」といえるのかな…?って。それが、払拭されました。

書いてあったのですね!「府中」と。東嶺智旺の書状に。「到 府中 小田原…」。他国からも中央からも、府中と認められていたのですわ。すっかり忘れていました(覚えてないとも言える )。大変、失礼いたしました。


毛利家文庫の「小田原陣仕寄陣取図」

絵のほかに、細かく漢字や仮名文字で色々と書き込んでありますよね。すでに皆さんは解読してらっしゃると存じますが、私には意味が分からない箇所がたくさんあります。それがいくつか判明しました。


・「町中此内下京ほとあるべく候」=京都の下京ほど家々がある

下京って、京都の下京のことだったのですか。←今更(恥)


・「此内家かすしらす候」=家の数がどれほどたくさん~

カスシラス?籠城食として家々が、カスのシラスを干していたのかと思ってた…ってこともないですが、なんじゃこりゃ?でしたわ。


・「小田原市場」=小田原宿

西国では「宿」のことを「市場」と呼ぶのだそうですね。小田原城下町マルシェ が開かれているのかと思っていました。陣図は西国の毛利が作成したものです。なるへそ~ね。


「総構」は小田原が初めてではない

(信長の焼き討ち後の)元亀4年の信長の書状に、「総構は下京にならうべきこと」とあるんですって?すでに「総構」と呼ばれていたんですね(1983高橋氏)。

ご存知と思いますが、北条は自ら「総構」と呼んだことはありません。スケールの大きさは違えど、京都では早くからあったから、西国人は小田原を見た時に総構と呼んだのですね。スケースの大きさは違えどね。


グリッド(方形地割り)の町

佐々木健策氏のご研究に、小田原はグリッド状の町並が形成されていたとあります。それは今回報告された城下町の発掘事例からも可能性が益々高まりました。


武田館の城下町形成などを例として、下剋上の小田原は、京や名門の守護大名が造るグリッド状の町に憧れた、と小野先生。

そうかもしれない…と思いながらも、政権が安定したら造る町並みは方形にするのが一般的ではないかしらねえとも思いました。でもまあ、北条家もそのようにしたかったのかもしれないかもしれなかったのでしょうな。


もちろん、その後の小田原北条は何代も続き関東の名門となります。黒田基樹氏がおっしゃるように、他の守護大名のほとんどは一代で終わりましたが。

と、ちょっと言いたいマリコ・ポーロ。


鉢形城下と滝山城下

つまり、城下町を先の領主から受け継ぐ場合と、新たに造る場合の差について。


信仰する薬師如来を、城下の8ヶ所(9ヶ所)の境界に置いた氏邦。それは鉢形のランドマークともなる。一方、氏照は街道に沿った3口をそれとしただけ(信玄侵攻時、3口を守れとの文書から)。新たに城を造ると「この程度」しか出来ないと。

滝山城下の場合は平地が広がっておらず、川と山に挟まれたところに街道があるので立地の問題があるとは思います。というか、滝山も先時代から受け継いだ城下町ではなかったでしったっけか?


余談ですが、氏邦の薬師如来信仰については、今年1月の小田原でのシンポジウム「小田原北条氏の絆」で関東管領?浅野晴樹先生が朝倉直美氏の研究を紹介しお話しされていました。

氏邦の生年が十二神将の申神像(薬師)のことから判明し、氏邦が氏規より年下だという林宏一氏のあの報告のことです。浅倉氏は、『北条氏康の子供たち』でもお書きになっていましたね。


他国と比べての小田原のインフラ整備の速さ(例えば小田原用水)

他国と比べても小田原北条のシステマティックな町づくりは、とても早い!それだけ早く大都市化していったと言えると、お褒めの言葉をいただきました~。

よしっ ←?


そして、私のある疑問も解決、かいけつゾロ!

それは、今川氏真一行の早川の難民キャンプのこと

以前ブログで氏真とその室(氏康娘)の早川殿のことに触れた時、「早川は北条の重鎮中の重鎮の幻庵の所領。幻庵は、出戻った女人や避難してきた武家の後見をしていたから、氏真一行を早川に置いたのだろう…」みたいに書きました。

一応書いてはみたものの、城内に置いてもいいのにな~と、もひとつ腑に落ちないでいました。


「城下」とは家臣が住むところなんですってね。目上や対等の者の屋敷は城下には置かないものだそうですね。あ、皆様ご存知で…。だから、今川の御当主一行を城下に住まわせるわけにいかなかったのですねえ。

これは佐々木健策氏の書かれたものにあるそうですが、知りませんでしたよぉ。なーるへそ~。目からミツウロコ。







あれ?では小笠原さんは?小笠原さんはもう客分ではなく家臣ってことで、城下住まいでいいのかにゃ?

というところで、マリコ・ポーロ時間がなくなり後半のシンポジウムを前にしてあえなく撤退。シンポジウムは30分強位の時間だったと思うのですが、どんな話が出たのかな~。残念。


萩真尼 こと マリコ・ポーロ

天守閣特別展「小田原開府五百年~北条氏綱から続くあゆみ~」HP→https://odawaracastle.com/news/kaifu500.html

「シンポジウム「小田原北条氏の絆」 2018.1」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-4e55.html
「小田原攻め、松平文庫の「小田原陣図」」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-2808.html


画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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