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2019年1月14日 (月)

北条五代の娘たち ⑦ 錯綜する堀越(今川)六郎室

by マリコ・ポーロ

シリーズ 北条五代の娘たち
【二代北条氏綱の息女~堀越(今川)六郎室/山木大方】

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を使った山木大方の印判「軍勝」~


今年は亥の年。正確には、十二支が亥(いのしし)、干支は己亥(つちのとい)となるそうですね。

さて、イノシシと言われ北条ファンとしてまず思い浮かべるのは、中伊豆の イノシシ鍋…ではなく 中伊豆の女領主、山木大方の印判ですよね!


山木大方とは

法名:高源院殿

父上: 北条二代当主、我らが氏綱公
母上: 北条幻庵もあこがれた伊豆の佳人、養珠院様
兄上(弟との説あり): 天下の名将、北条氏康

夫君: 今川の堀越六郎
お嬢さん: 香沼姫
ご子息: 吉良氏朝
(吉良の家督を継ぐ→文末添付ブログ記事をご参照くだされ。)


山木大方には一時かなりハマリ何度も韮山に詣で、娘の香沼姫のことと共にブログにもたくさん書かせていただきました。その後に何か新しい情報を入手したら、それを元に当シリーズ「北条五代の娘たち」で書こうと思っていました。

しかし、昨年には『戦国北条家一族事典』なども出版されましたが、山木大方については特に最新説はないようです。まあねえ…。夫君が亡くなったあと、どこかの戦国大名家にでも再婚していたりしたら別ですが、それはなかったとすると、大方について研究する人も少ないのでしょう。


ゆえに、こたびはパッション濃ゆい今までのブログ記事のアーカイブでいこうと思いましたが、とは申すものの、それでは終われないのがマリコ・ポーロ。山木大方について加筆したいことが 3つ鱗 ござりまする。以下、よろしゅう。


▲ 崎姫(さきひめ)とは誰か?

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~小田原駅近くにある山木大方の菩提寺「高長寺(旧高源院)」。電車の中からお寺の屋根が見える。本堂前でまったり寝ていた猫がムクッと置き上がって近づいてきた。「御大方 おんたいほう 様?」と呼びかけたら、「Yes, I am にゃ~」 。~


そう、この猫が﨑姫です…
ってわきゃない。それが、タイトルの「錯綜」です。


今までのブログ記事の繰り返しになりますが、山木大方は、かつて、吉良頼康に再婚した女人だとされていました。その後史料研究が進み、今では山木大方と頼康室は姉妹であり別人だということが分かりました。

吉良を次に継いだのが六郎さんとの間の大方の息子だったことから、山木大方が連れ子で再婚したと誤解されていたのだろうとのことでした。


また、山木大方には呼び名が複数ありました。山木大方(御大方)、高源院、そして 崎姫 です。山木大方と高源院はいいのですが、問題は「崎姫」です。


私が存じている限りでは…

かつては、再婚説により 山木大方=崎姫 とされていた(例えば黒田基樹著『戦国北条家五代 2012』、その他)

ところが、2014年横浜市歴史博物館「蒔田の吉良氏」で、山木大方≠崎姫 で、吉良頼康室=崎姫 ではないだろうか?となっていて、ドびっくり~

ところが、黒田基樹著『戦国北条家一族事典 2018.6』では、 山木大方=崎姫、吉良頼康室=お名前も法名も不明 とされており、どひゃ~もうわけが分からん!


もちろん、それぞれには根拠となる史料があるわけで、その元の史料が錯綜しているということになるのでしょう。

前にも書きましたが、吉良頼康室 と 崎姫は、当時から江戸時代を通して、ごちゃ混ぜ&混然一体&錯綜されながら、寺社やゆかりの土地で語り継がれてきたようです。



他の研究者の方達がどう書いてらっしゃるか調べようかとも思ったのですが、何を読んでも結局は黒田氏の引用で時間とお金の無駄。黒田氏のだけを読めばいいことに気が付きました。

なので、ここでは「﨑姫」という呼び方は使わず「山木大方」で通したいと思います。そうしないと、説が変わったことに気が付くたびに以前のブログ記事を書き直したり注釈を入れたりと、それはそれは大変なんですよぉ。まあね、一素人のブログですからどうだっていいっちゃあいいのですが、自分が気持ち悪いだけで。


▲ 山木大方の、人となりへの妄想が変わった

以前のブログではたびたび書いておりましたが、その頃は今よりもっと知識が浅かったので、山木大方のことを活動的なカッコイイ女人だと思っておりました。なぜなら、夫君の死後は「軍勝」なんて勇ましい印判を使い、伊豆に所領を持ち、小田原と伊豆を行ったり来たりしてらしたので、男勝りな方だとイメージしていたからです。

でも、それから様々な戦国時代の女性を知るようになると、大方へのイメージもだんだん変わってきました。今川の寿桂尼も北条の女性でも印判を使っている人は多いですし、女性で所領を持っているなんて アタリマエダのクラッカーですもんね。


もしかしたら、山木大方は勇ましく活動的というタイプではなかったのかもしれない。夫君の死後は実家へ戻り、子息を吉良へ出したあとは、亡き夫の菩提を弔って静かに暮らした…のかもしれない、なんて。

小田原と中伊豆山木を行き来したと思っていたのも、どうやら「行き来」ではなく、小田原にいたのはいっときで、ほとんど山木にいらしたようですし、その領地も母養珠院の所領を継承したものですしね。


また、夫君の供養のための菩提寺への寄進を、兄(弟?)の氏康殿へ「うち嘆いて」頼んでいますしねえ。

全然、逆ですな。妄想です。分かりまへん。


▲ 六郎さんの菩提寺「正覚院」

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~修禅寺の奥の院「正覚院」。創建は古く、弘法大師が修行したと伝わっている。写真の石段を登ると岩の洞があり、弘法大師像と「降魔壇」という修行石がある。~


上に書いた、大方が氏康に再興のための寄進を懇願したという六郎さんの菩提寺「正覚院」についての疑問です。修禅寺奥の院の「正覚院」は、修禅寺のことを調べていてたまたま見つけました。

その頃は、正覚院は六郎さんの菩提寺ということが頭にありましたし、中伊豆は山木大方が出戻ってから晩年まで暮らした土地です。なんの疑問もなく単純に、「お!ここが六郎さんの菩提寺正覚院か~」と思い、お参りにも行きました。


ところが、上記の『戦国北条家一族事典』には「正覚院は早雲寺にあった」と書いてあるのです。

皆さんご承知のように、早雲寺というお寺は、当主とその正室、直系の息子などの菩提寺です。他家の六郎さん程度(←失礼だ)の菩提寺を早雲寺に建てられるのでしょうか。六郎さんの菩提寺を早雲寺に建てたら、他にも我も我もと早雲寺に建てたがる人達が出てきてしまうのではないでしょうか。

それとも、大方が氏康に懇願してたから、六郎さんだけは例外として許されたのでしょうか?


また、大方が入寺をお願いした「めいざんまいる」の明山隣察は修禅寺の僧です。

私なりに早雲寺を調べても「正覚院」のことは見つからず、とはいえ、修禅寺正覚院にも六郎さんの記録は見つけられません。

未亡人山木大方が暮らした所領は修善寺(修善寺は土地名、修禅寺はお寺名)エリア。明山は修禅寺の僧、同じ名前の「正覚院」は修禅寺の奥の院。早雲寺ではなく、こちらではないのでしょうかねえ。2ヶ所お墓がある場合もありますが…。


だって、そうそう簡単に遠出は出来ない当時の女人。大切に想っていた夫君のお墓を、格式はあれど離れた箱根よりは、いつでもお参りできる近くにおきたくないですか?現代の女性陣の方々。

しかも修禅寺ですよ。宗瑞の葬儀もした。申し分ありません。


違いますかねえ…。違っていたらゴメンナチャイ。

どなた様か、当時の文書に「早雲寺の正覚院」 または 「修善寺の正覚院と堀越六郎」のことが載っているのをご存知でしたら、教えてくださるとありがたいです。もちろん現代語訳付きで。テヘヘ


ほにゃ、今宵はこれまでにいたしとうございます。

北条五代の娘たちを書きはじめてから、調べることや訪ねる場所が多くブログの更新が間遠になっております。でも楽しく頑張って書いているので、今年もご贔屓の程よろしゅうおん願い上げたてまつりまする~。

チョーン!(←きのねの音)


以下、山木大方&娘の香沼姫のアーカイブと、シリーズ「北条五代の娘たち」の記事にてござ候。


アーカイブ~山木大方のこと(今回と同じ写真が多くて恐縮です)

「小田原北条の女領主、伊豆の山木大方」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-d6d6.html
「前北条と後北条の 「伊豆 修禅寺」」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-475a.html
「後北条の姫も妬んだ常盤姫」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-64d0.html


アーカイブ~お嬢さん(つまり氏綱様の孫)の香沼姫のこと

「小田原北条の謎の女人 「香沼姫」」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-4e66.html
「小田原城「御前曲輪」で妄想す~香沼姫」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-7998.html
「北条の香沼姫と「香沼姫どん」」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-58ba.html
「レジェンド・オブ・香沼姫」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-bb1a.html


以下は、まだまだ途中の、シリーズ「北条五代の娘たち」です。

▲初代 伊勢宗瑞(北条早雲)の息女
「北条五代の息女たち①今川から戻った長松院様」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-3132.html
「北条幻庵の、伊豆の屋敷と菩提寺「金龍院」」

http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-df1a.html
「北条幻庵の妻は、葛山氏ではないだろうか?」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-d602.html

▲二代 北条氏綱の息女
「北条五代の娘たち ② 太田資高室~浄心院は氏綱の娘か道寸の娘か?」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-3f58.html

「江戸編~浄心院は氏綱の娘か道寸の娘か?」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-aaec.html
「祖父道灌が誅され、父資康が三浦へ行った後、資高はどうしていたのか?」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-92ee.html

「安房編①~浄心院は氏綱の娘か道寸の娘か?」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/post-69b9.html
「安房編②~浄心院は氏綱の娘か道寸の娘か?」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-dcd4.html

「北条五代の娘たち ③ 吉良頼康 室~上杉謙信の侵攻と吉良の代替わり」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-9be1.html
「北条五代の娘たち⑤古河公方晴氏室~関宿にある謎の五輪塔」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-b38c.html

「北条五代の娘たち ⑥ 諏訪湖に消えた駿東の名族葛山氏」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/post-7fbd.html

▲三代 北条氏康の息女
「北条五代の娘たち④今川氏真室~戦国の高等遊民夫妻」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-9cbd.html
「今川氏真が父義元の13回忌を営んだ小田原「久翁寺」」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/13-bdf8.html
「東京にある、今川氏真と早川殿の菩提寺」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-1bac.html
「今川氏真夫妻らの、当初の菩提寺 「萬昌院」」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-88b5.html

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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