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2019年7月 1日 (月)

小田原北条家と猿楽の宝生大夫

マリコ・ポーロ

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~『匠明』(しょうめい)鹿島出版会 / 『戦国武将と能』雄山閣~


いささか気になることがあり、戦国時代の猿楽についてチビット調べていたところ、北条師匠が、小田原北条家が贔屓にした宝生家の猿楽師の名前が分かることを教えてくれました。



小田原の芸能集団といえば、まず思い浮かぶのが「舞々の天十郎」。舞々とは神社に奉納する大道芸のようなもののようですが、氏綱の頃から大道芸能者や陰陽師や平家琵琶の座頭などを天十郎に統括させていたと、『戦国武将の居城と暮らし~北条氏康』(下山治久)で読みました。

天十郎大夫は庶民向けとしまして、武家向け(むけむけだね)といえば「宝生大夫」ですよね~。


三代氏康の頃になると、全国から貴賤問わず様々な人達が小田原にやってきます。大和猿楽四座もそうです。天文14年の松原神社の「前庭」での興行の様子が『北条五代記』にありますね。

今まで小田原北条の猿楽にまで興味が広がらなかったので、大和猿楽座の宝生大夫のことも、応仁・文明の乱で荒れた京の都から各地に下り、小田原に庇護を求めた…ぐらいの知識しかありませんでした。


名前が分かるとのことなので、現代の宝生流のHPを見てみました。あら~、ほんとですねえ。出ていますねえ。北条時代の小田原では三代で、「一閑」「重勝」「新次郎」だそうです。

もうチョット詳しいことが知りたいにゃ~と思って、トップの画像の『戦国武将と能』(曽我孝司)を読んでみました。もうチョット詳しいことが書かれていました。


▲ 宝生大夫

それは、『大乗院寺社雑事記』にあるそうです。大和(奈良)の興福寺大乗院で室町時代の三代の門跡さんが記した日記だそうな。

宝生大夫は、まず周防の大内氏の元へゆき、その後各地を流浪し、天文年間に氏綱の元へ来て、子・孫と三代にわたり北条お抱えの大夫となったそうです。


また、『北条五代記』には、宝生だけではなく大和猿楽四座の「大夫達と囃子方がこぞって小田原に下り、生計を立てていたとの記述」があるとしています。以下一部抜粋。

「宝生は北条家の大夫と号し、金春八郎・落観世、金剛大夫……此四座の役者、脇は金春源七、宝生新左衛門、太鼓は三谷大蔵、仁助、威徳三郎四郎、小鼓の美濃意楽、宮増弥右衛門、金春権助、太鼓は奈良新八郎、五野井、笛は彦兵衛、助三郎、狂言は五右衛門、鷺大夫、此人々は小田原にこぞり居て、渡世を送る…」

面白いです~。こぞりて…というか、ごっそりといますねえ。


▲ 八王子

『北条五代記』には、お囃子方の動向がもっと書かれているんですねえ。

「佐藤は太鼓、山室は小鼓、霞斉は太鼓、此三人は三浦三崎に有りて其の芸を教え、嶋屋親子は武州八王子に有りて、近国を行めぐり勧進能して力をすぐる。一不は笛ををしへ、渋谷はうたひををしへ、武州品川の里に居住し、暮松は江戸を栖として、神田明神の祭三年に一度の神事能をまもり…」


ここで、ちょっと待った!
嶋屋親子が、武州八王子ですと!?

初耳ですな。八王子では「宗阿弥」という猿楽師が有名です。相即寺だったか大善寺だったか(うろ覚え~)の、八王子戦の犠牲者過去帳に名前だけがあると、旧八王子城を守る会の重鎮(?)たちに伺ったことがあります。名前だけなので、どういう人物かは定かではありませんが。


そりゃあ我が氏照も戦国武将。そのうえ、「武」だけではなく、初代新九郎さん(宗瑞)の教えで「文」も重んじる北条家の御曹司。猿楽や幸若舞の嗜みのひとつやふたつはあったとは思いますが、歌舞音曲に関する氏照の史資料は私は見たことがありません。笛「大黒」のことも後世に作られたお話ですよね。

氏照については、私信プライベートレター さえ見たことがありませんが…というか、嶋屋親子って誰?


▲ 宝生大夫と小田原「報身寺」

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~お寺でいただいた絵葉書~


ここで、to my surprised、更に驚いたことに…

『戦国武将と能』には、小田原「報身寺」の阿弥陀来迎図(掛軸)は、宝生新次郎さんが天正7年に寄進したもの(鎌倉時代制作)だとありました!「報身寺」とは、小田原籠城中の、我らが北条氏照の本陣です!


それで、今ごろ思い出しました。以前にブログに書きましたが、報身寺さんをお訪ねした時に、この掛軸のお話を伺っていましたのでござります!

この来迎図は、現在は東京国立博物館にあると。そこまでは本には書かれていませんが、確かです。その時、東博さんに問い合わせをしましたので。常設ではないとのことなので近々展示されることはないかと伺いましたが、その時は未定とのことでした。


(加筆:東博のHPには阿弥陀「如来像」となっていますが、報身寺さんの阿弥陀様の独尊像のお軸はひとつだけですので間違いないと思います。お寺の方がおっしゃるには、「来迎図」だと阿弥陀様が大勢引き連れた図であり、こちらは阿弥陀様お一人なので「如来像」となったのだろうとのこと。墨書のことについては、ただ今東博さんに確認中。)


しっかし、どひゃ~。ドびっくり~。

何にびっくりしたのかと言うと、掛軸のことを今の今まですっかり忘れていた自分に。そろそろ始まってきたか、マリコ・ポーロ。いや、その時は小田原攻めのことばかり頭にあって…ゴニョニョ。


掛軸の裏の墨書には、次のようにあるそうです。潮音寺とは報身寺の以前のお寺です。

天正七歳小田原 
潮音寺江祖父母 
寶生新次郎納入 
    元禄五歳 
      壬申七月二十二日 
         寶生九郎 
               重吉(花押)

 

祖父母とありますから、一閑大夫の供養のために奉納したのですかねえ…。元禄5年に九郎重吉さんとあるということは、徳川になっても宝生家は小田原にいたのですかねえ。それとも一旦小田原を出たあと再来したのでしょうかねえ。掛軸、見てみたいですねえ。東博さんに展示されても裏側は見られないでしょうねえ。



▲ 『匠明』

 

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~『匠明』の「舞台」のページ。~


『匠明』は、桃山時代に書かれた「木割書」です。これまた別の北条大師匠が薦めてくださいました。「木割」というのは、建築物の各部の比例をいうものだそうですね。

『匠明』と『匠明五巻考』は、大きな図書館に行かないと置いていないようです。私はいつも都の中央図書館に行きますが、「閉架」だったので頼んだところ、職員の方がいる近くの机での閲覧でした。かなり傷んでいて、貴重な史料だからだそうです。コピーも自分では出来ず図書館が取ります。なので、ご興味がある方は上の写真を拡大してご覧くださいませ。

冒頭の「舞台 昔ハ 泉殿ト云リ」が、ちと意外。


全てがこの基準ではないでしょうが、桃山時代以前に造られた舞台はどんなものだったのでしょうね。皆様ご存知のように、当時の猿楽は主に座敷やアウトドアで行われました。教えていただいた話では、あの朝倉館や三好亭でさえ、舞台は「仮設」だったそうです。

 

我らが本城小田原にも今のところ「能舞台」があったという痕跡は出てきていないようですし、我が八王子城にしても、発掘調査からも残された記録からも「舞台」についての痕跡は見つけられません。まあねえ、八王子城については、氏照があの臨戦態勢下で築城を始めた城。池も、あったということには興奮ですが、造りは雑(by 講演会での小野正敏先生。先のブログ記事をご参照)。現実的な氏照どのが遊行の物を造ったとはなかなか微妙なところで…テンテンテン。



秀吉より前の、他の戦国大名で「能舞台」(能楽堂ではない)があった城はあったのでしょうか。
上記の『戦国武将と能』で少し見つけました。

(信長の岐阜城)
「…その山頂に彼の根城があります。途方もなく大きな自然石の垣がそれを囲んでいます。第一の広場には優れた用材で造られた一種の舞台があり、そこでは演劇や公の祝祭の余興が行われている。…」
by ルイス・フロイス

岐阜城へは参ったことがないのですが、曲輪に舞台があったのですね。フロイスさんの書いたことだけからすると、舞台は青天井ですかね??桃山時代より少し前ですし、信長のことですから仕様は「匠明」の基準とはまったく違う独創的なものだったのかもしれません。ということは、安土にもあったのですかねえ?


(信玄殿の躑躅が崎館)
信玄殿ファンならご存知でしょうが、「御能館」があったそうですね。御能館には使用の細かい規定があるんですって。『甲陽軍艦』に記されているそうです。

一 舞台の高さはお座敷によるべし
一 舞台の高さは勧進能は少しかはる
一 田楽、猿楽に太刀を可渡事

これらからわかることとして、本にはこうあります。
「武田家では「座敷能」が頻繁に催されていたことや、舞台では猿楽座の勧進能や田楽能も上演されるなど…」と。


しっかし、昔の史資料を調べるのって楽しいですねえ。限がありませんのう。


以下よろしければタイトルをクリックしてご覧くださいましたら嬉しいです。

「小田原攻め、北条氏照の本陣」
「現(うつつ)か夢か 小田原城 薪能」

下山先生の『戦国武将の居城と暮らし~北条氏康』について
「小田原城のライフスタイルと饗応の膳」

「北条氏照の「大善寺」と「土方能」」


マリコ・ポーロ こと 萩真尼

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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