« 小田原北条家と猿楽の宝生大夫 | トップページ | 「北条の 城郭(支城)ネットワーク は本当にあったのか?」鳥居和郎氏 »

2019年7月16日 (火)

天正18年の供養~氏政・氏照墓前祭と八王子「相即寺」

マリコ・ポーロ


Img_20190712_214844_20190716182701

~「相即寺」地蔵堂。延命地蔵。150尊の石のお地蔵さまが周りをぐるりと囲んでいる。~


八王子の相即寺は、八王子城戦での犠牲者のうち、「近藤出羽守」はじめ寺に縁故の首を引き取ったお寺のひとつです。その数283体。約180年後の明和年間、150尊の石のお地蔵さんと、延命地蔵を堂内に安置し供養しました。

八王子衆の古老(失礼)であり研究者のS氏の話によると、地蔵堂は今でこそ床がコンクリートですが、八王子衆が子供の頃は土間のままで、雨なんかが降ると土から骨が出てきたりしていたそうです(南無…)。


天正18年6月23日。
落城した城跡に残された遺体は、八王子城側だけで「数千」と伝わっています。

「数千」とは漠然とした言い方ですが、八王子衆の古老…たびたび失礼、重鎮であり研究者のS氏が、八王子戦にかかわった敵味方双方の武将の書状や、氏照が帰依した心源院はじめ周辺の寺などに残された記録など様々な史料から検討したところ、数千なんてものではなく、遥かに上回る数だったようです。実際、その後、前田家では兵を補充しなければならなくなり、募集をかけています。

遺体を引き取ったお寺も、相即寺だけではなく、先のブログにも書いた「大善寺」や、「大悲願寺(あきる野)」など多数です。


6月23日、八王子城ではそれほどの人達が命を落としたのです。城跡にはどれだけの血が流れ、回収しきれなかった遺体が今でもどれだけ埋まっていることでしょう。

『戦国の終わりを告げた城』の著者であり八王子城を守る会の重鎮であった亡き椚國男先生は、城に入る時、必ず運動靴を洗ってから登城してらっしゃいました。敵味方関係なく、戦死者への弔意を持ちながら城跡を歩いてらしたのですねえ。


だから、6月23日はこの城で果てた人達の魂が鎮まるように、城跡は静かにしてあげていたいと思います。旧暦、新暦、関係ありません。どちらも6月23日なのです。

だから、昔から「6月23日は城に入ってはいけない。入ると良くないことが起きる」と土地に伝わっているのだと思います。それは祟りを恐れるのではなく、供養の気持ちから発したことなのだと思います。


Photo_20190717160201
~八王子郷土資料館でも、ボランティアさんによる「紙芝居」で落城の悲劇が伝えられている。~


7月8日の朝目が覚めた時、「あ、今日は相即寺の延命地蔵の御開帳の日だ!」と思い出しました。7月8日は、現代の戦で八王子に疎開していた小学生がP51による銃撃を受け犠牲となった日です。

御開帳は、6月23日・7月8日・8月8日の年に3日だけなので、なかなか都合が合わず一度もお参りしたことがありませんでした。午後は用事があったため、急いで八王子に向かいました。


お堂の扉は開いていました。足を踏み入れようとして一瞬ためらいました。床を踏みにくいですよね~。堂内も延命地蔵も、物凄い気配。こんな立派な地蔵尊は初めて観ました。写真よりずっと素晴らしいですよ。

合掌…


Photo_20190717155701
~西蓮寺。右側が薬師堂。~

また、相即寺の斜め向かいの「西蓮寺」の薬師堂の梁には、天正18年に景勝率いる上杉軍が焦がしたと伝わる焼け焦げ跡があるそうです。陣中の煮炊きをしていてとか、護摩を焚いていてとか言われています。

八王子衆に聞いたのですが、椚先生方が若い頃は、その焼け焦げ痕が分かったそうです。今は、私には見えません。


Img_20190711_145501
~北条氏政・氏照墓前祭~


7月5日、小田原開城。

そして 11日は、兄上氏政と我らが北条氏照が果てた日です。小田原では、北條顕彰会さんの主催で(詳細は下記ブログ記事をご覧くだされ)、市長さん(今年は副市長さん)、観光課、文化財課、そして一般ファンも自由に集い、墓前にお参りします。


我ら旧八王子城を守る会の残党衆(?)もお参りさせていただきました。

今年は雨の平日でしたが、時間になると続々と参集。読経が始まり、みな粛々とお参りして帰ります。しずか~ですが、なんとなく想いを分かち合えたような気がします。


ちなみに、7月11日は三浦一族が宗瑞によって滅ぼされた日でもあります。
合掌…


ま、供養の仕方は人それぞれ。また、致し方なき仕儀もござる。百言居士のマリコ・ポーロの申すことゆえ、聞き流してくだれれませ。


「八王子城、戦い済んで日は暮れて…」

「八王子城戦~前田家臣たちの証言と、彼らの驚きのその後」

「今夜半、八王子城総攻撃始まる」
「今日(23日)八王子城、落ちる」

「檜原の残影、横地監物と武田の松姫」
「約400年ぶりに八王子城へ戻った横地監物」

↓ 氏照が帰依し、戦の跡の城で一体一体に引導を渡した牛秀讃誉上人の隠居所のことです。
「新選組と北条氏照の日野」

↓ 以下のブログ記事に、天正18年の北条一族を書いた記事を添付たくさん添付しました。よろしくば。
「北条氏政・氏照 「墓前祭」~今年も小田原開城に思いを馳せる」(2017)
「恒例 「北条氏政・氏照墓前祭」(2018)」

↓ 以下は支城などの供養祭の模様です。

「北条氏邦と大福御前慰霊祭(2012)」

「玉縄城の歴代城主の法要が営まれました」

「津久井城開城祭~合戦劇従軍レポート(2013)」

「報告!「津久井城開城記念~攻防戦(2012)」

「三増合戦まつり 従軍レポート(2013)」
以前の三増従軍レポートも記事文末に添付あります


マリコ・ポーロ こと 萩真尼

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村

|

« 小田原北条家と猿楽の宝生大夫 | トップページ | 「北条の 城郭(支城)ネットワーク は本当にあったのか?」鳥居和郎氏 »

0.八王子城と北条氏照」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 小田原北条家と猿楽の宝生大夫 | トップページ | 「北条の 城郭(支城)ネットワーク は本当にあったのか?」鳥居和郎氏 »