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2020年1月 5日 (日)

北条氏照と太田資正(三楽斎)は義兄弟!

マリコ・ポーロ


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~いつも静かな、大石氏から氏照のものになった滝の城(2020.1.3)~


♪ 親の血をぉひく
きょおぉだ~いぃぃ よりぃも~
かた~い 契りの~


違う…
それに、
いつものことながら古過ぎる💦


そう、義兄弟と言えば…
今、BS12 トゥエルビ で放映中の「Secret of Three Kingdoms(三國機密)」の、陛下と司馬の御曹司の義兄弟にはまっております。

三國志の時代は(も)詳しくないので最初の頃は状況把握が大変でした。しかし、メインテーマが曹操や孫権や劉備玄徳たちの活躍ではなく、許都の皇帝たちによる漢王朝の復活!でどうにかついてゆけています。毎日録画して観ているせいか、このところ脳内が献帝(?)と司馬懿の義兄弟(そこだけは架空の話)で占められていました。なんと、全54回!すでに40回を過ぎました。毎日だから、もうすぐ終わっちゃう。それから何を楽しみに生きていけばよいのか…シクシク。


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滝の城 は、またまた発掘調査中。橋があったとされる箇所の堀あたり。2月初めまで続くらしい。~


さて、本題の我らが北条氏照と太田三楽斎殿が義兄弟だということ。それぞれの正室は姉妹だったそうですね。

皆様ご存知でしたか?私はまったく気が付いていませんでした。不覚。前回のブログ記事で紹介させていただいた「中世太田領研究会」の方に教えていただいて、ドびっくり~。

こりゃまた、♪ かた~い 契りの~♪ どころではない義兄弟ですな。氏照と資正殿に義兄弟という認識があったかどうかも分からないところ。ま、当時は義兄弟だろうがなんだろうが、そんなの全然関係ない!


ふたりの姫は当然、大石氏のお嬢さん。同腹の姉妹だそうな。氏照の正室はご存知「比佐」。三楽斎殿の後室は「登志」さんとな。

教えてもらった帰り道、そいういえばどこかでその字面を見たことがあるな~と思い、家に帰ってから、図書館でコピーしたのだのなんだのとドサドサとペーパー類が入っているポケットファイルの「大石」のポケットを漁ってみました。

ありましたよ。『論集 戦国大石と国衆』黒田基樹編 2010.5 の 「大石氏の研究 大石史跡調査研究会」P117 に。比佐さんのことが書かれたところをコピーしたのですが、たまたまコピーの最後のページにありました。


ということは、登志さんが梶原政景の母上ということです。梶原政景は、前にブログに書いた『雪の峠』というマンガの冒頭に出てきていましたね(文末添付)。

ええ、冬、謙信殿が越後から松山城へ峠を越えて来た時の、あのシーンですよ。母さん、あれは好きなマンガでしたよ。謙信殿はあのときずいぶんくやしった。(←むろん西条八十先生のパクリです)


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~二の郭西側の堀の角のところ。登城していた少年に教えていただいた。枝に引っ掛かったままのビニールがお邪魔虫。~


マリコ・ポーロのブログのアクセス数(&滞在時間)の上位は何年も、常に、「江戸は寒村だったのか?」と、武田信玄の娘たちのことと、豊嶋氏のことを書いた記事です。あのう、これって、小田原北条の追っかけブログなんですけど…。悲し過ぎるぅ~~。

そんななかで、北条関係で一番読まれているらしいのが、我が氏照どのの女性関係の記事のようです(文末添付)。


🐎 氏照の正室 比佐さま と、謎の女性たち

以前の記事にも書きましたが、実のところ氏照の女関係には興味がありません。少年関係には興味津々(そんなのあったかどうか知らない・腐)ですが、北条関係の姫君たちのことを書くのがマリコ・ポーロのマリコ・ポーロたる所以 ♪ ユエンナキバラハンドッ? だと皆さんおっしゃいますし、縁戚関係は当時の情勢に影響するのでやっぱり避けては通れにゃい。


今まで書き散らしたものを整理すると…

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いわずもがな、大石殿のお嬢さんで、氏照の正室 比佐 さま

母上は 金指平左衛門珍兼 のお嬢さんです。金指殿とは、信玄殿の滝山城侵攻の時、十々里で討死した方だそうですね。『論集戦国大名大石氏と国衆』黒田基樹編 2010.5 「大石氏の研究(大石氏史跡調査研究会)」で知りました。


しかし、同じ本の「武州前沢浄牧院と大石氏(前島康彦)」 には、母上は、「…宗関寺古記録によれば 帯刀先生藤常治 の娘 だという。片倉城主安藤氏の出自で…」とあります。

宗関寺の記録にあるのですか…。安藤氏の帯刀殿?誰ですか?奥州の片倉の安藤氏ではないのですか?八王子の片倉城の城主は長井氏ではないのですか?それから「先生」とはどういう意味ですか?


ちなみに、八王子市史の「宗関寺」のところには…

四世豁州達翁 武州の人、片倉城主大炊允常貞安藤氏の子、幼くして舜悦に侍して一四歳祝髪、一八年間宗関寺に住したが、兵火で焼かれたのを再興し、ほぼ旧観に復した。寛永一五年(一六三八)一〇月五日寂す

とあります。

宗関寺さんは今は「北条氏照の菩提寺ではない」そうですが、つまり、北条ではなく大石氏や片倉城の安藤氏の寺だということなんですかねえ。よく分かりませんが、氏照は中興開基ですし、今のお墓(供養墓?)は、江戸時代の中山家のものです。氏照のお墓に堂々と並んで中山家のお墓がありますでしょ。家臣だったのに…ごにょ。


比佐さまがいつどこで亡くなったかは様々な言い伝えはあれど、史料にはありません。八王子にはそれと伝わるお墓も供養塔もありません。比佐さまのお墓がどこにあるのか、はたまた、すでに時代に埋もれてしまったのか分からないのです。


女人- その2
浄牧院にお墓(供養塔?)がある女人

① お寺さんの言い伝え

お参りした時のことを書いたブログ記事を文末に添付しましたが、東久留米の浄牧院には「伝・北条氏照内室の墓」があります。「内室」とは微妙な書き方です。こちらもハッキリとはどなたのことかは分かりません。お寺の方がおっしゃるには「自害したお姫様のお墓だと聞いている」とのことで、その「お姫様」が誰かは分かりません。

② 滝の城の言い伝え

八王子城が落城した天正18年6月23日、城から氏照の正室が 浄牧院 に落ち、そこで自害したというのものです。城山神社の社務所に、このことを書いたもの(古文書ではない)が額に入れられて飾ってありました。これを見た時は伝承のたぐいだろうとメモもせず、写真も撮りませんでしたので、なんと書いてあったのか正確には思い出せません。

今になって、伝承も一縷の手掛かり、もう一度ジックリ読もうとお正月に行ったところ、社務所は改装工事中で閉っていました。しまった💦

なんて。

③ くだんの高橋家過去帳

氏照正室の比佐さまが、「天正拾八庚寅年六月弐拾参日滅 大石駿河守安祝開基神護山 浄牧院 ニテ自害」とあります。最初にこれを読んだ時はビビビッときましたが、高橋家過去帳以外に史料にないので確実とは言えないと思います。


しかし、①~③を合わせて推察するに、浄牧院には、滝の城から逃れてきて自害した大石氏ゆかりの姫がいたことは確かなようです。浄牧院は、今でもそうですが当時はたいそう大きな大石氏ゆかりの寺院ですから、娘の比佐さまが落ちてきた可能性は充分あります。


女人- その3
志木の柏の城に墓があったらしい、女人と思われる人


こちらも探した時のことをブログに書きましたが、これは本当に謎の女人です。言い伝えしか残っていません。

「志木町の城跡に、天正18年八王子城落城当日、柳瀬城(滝の城)から逃れてきて、ここで自殺した女性の墓があり、それは氏照夫人との言い伝えがある」「碑面は全く摩滅して、僅かに六月二十三日の他判読できない」

と、上記の『戦国大名と国衆…』「大石氏の研究(大石氏史跡調査研究会)』に載っているだけです。


私が行った時は、その墓さえまったく見つけられませんでした。6月23日に亡くなったお墓の主は誰なのでしょう。

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~柏の城に残る堀跡だそうな~


🐎 比佐さまの姉妹 登志さま

氏照の義兄弟ということになってしまった太田三楽斎殿の、正室であり大石殿のもう一人のお嬢さんである 登志さん。姉妹はそれぞれ結局は生涯の宿敵となる夫を持つことになりました。登志さんは、どういう人生を送ったのでしょうか。


後妻ゆえ三楽斎殿とはかなり年が離れていたでしょう。先妻(難波田氏)の子であり北条の婿であった氏資に岩付を乗っ取られたあと、三楽斎殿や息子の梶原政景についていったのでしょうか。それとも、人質として小田原にいたりしてそのまま天正18年を迎えたのでしょうか。それとも、実家大石の縁故を頼ったのでしょうか。それとも、すでに…。

登志さんのことは、太田資正研究の方々にお委ねしてもよろしかろうか。

(’∀`)ノ


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~堀跡の横の道にいた猫。「比佐さまっ!」「登志さまっ!」どっちで呼んでも振り返った。戦のさなかなのにチトふっくらでござるにゃ。~


「浄牧院~北条氏照 「謎の内室」の墓」

「ついに分かった?北条氏照正室の最後と、氏綱正室の出自」

「「柏の城」 北条氏照、第3の室の最後」

「「滝の城」 焼かれた(焼いた?)四脚門跡」

「岩明均 『雪の峠』 (1999)」


萩真尼 こと マリコ・ポーロ

画像は全てマリコ・ポーロの撮影です。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。
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